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aozora_Kobayashi-1929のコンテキスト表示

title Kani kosen
author Kobayashi, Takiji
date 1929
publisher Senki
source Aozora Bunko (http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/card1465.html)
genre fiction
subcorpus Aozora Bunko
terms of use Creative Commons license


 1蟹工船
 2小林多喜二
 3
 4「 おい 地獄 さ 行ぐ ん だ で ! 」
 5二人 は デッキ の 手すり に 寄りかかっ て 、 蝸牛 が 背のび を し た よう に 延び て 、 海 を 抱え込ん で いる 函館 の 街 を 見 て い た 。
 6―― 漁夫 は 指元 まで 吸い つくし た 煙草 を 唾 と 一緒 に 捨て た 。
 7巻煙草 は おどけ た よう に 、 色々 に ひっくりかえっ て 、 高い 船腹 を すれずれ に 落ち て 行っ た 。
 8彼 は 身体一杯 酒臭かっ た 。
 9赤い 太鼓腹 を 巾広く 浮かば し て いる 汽船 や 、 海 の 中 から 片袖 を グイと 引張ら れ て でも いる よう に 、 積荷 最中 らしく 思いッ切り 片側 に 傾い て いる の や 、 黄色い 、 太い 煙突 、 大きな 鈴 の よう な ヴイ 、 南京虫 の よう に 船 と 船 の 間 を せわしく 縫っ て いる ランチ 、 寒々 と ざわめい て いる 油煙 や パン屑 や 腐っ た 果物 の 浮い て いる 何 か 特別 な 織物 の よう な 波 …… 。
 10風 の 工合 で 煙 が 波 と すれずれに なびい て 、 ムッと する 石炭 の 匂い を 送っ た 。
 11ウインチ の ガラガラ という 音 が 、 時々 波 を 伝っ て 直接 に 響い て き た 。
 12この 蟹工船 博光丸 の すぐ 手前 に 、 ペンキ の 剥げ た 帆船 が 、 へさき の 牛 の 鼻穴 の よう な ところ から 、 錨 の 鎖 を 下し て い た 、 甲板 を 、 マドロス・パイプ を くわえ た 外人 が 二人 同じ ところ を 何 度 も 機械人形 の よう に 、 行っ たり 来 たり し て いる の が 見え た 。
 13ロシア の 船 らしかっ た 。
 14たしか に 日本 の 「 蟹工船 」 に対する 監視船 だっ た 。
 15「 俺ら もう 一 文 も 無え 。―― 糞 。 こら 」
 16そう 云っ て 、 身体 を ずらし て 寄こし た 。
 17そして もう 一人 の 漁夫 の 手 を 握っ て 、 自分 の 腰 の ところ へ 持っ て 行っ た 。
 18袢天 の 下 の コールテン の ズボン の ポケット に 押しあて た 。
 19何 か 小さい 箱 らしかっ た 。
 20一人 は 黙っ て 、 その 漁夫 の 顔 を み た 。
 21「 ヒヒヒヒ …… 」 と 笑っ て 、 「 花札 よ 」 と 云っ た 。
 22ボート・デッキ で 、 「 将軍 」 の よう な 恰好 を し た 船長 が 、 ブラブラ し ながら 煙草 を のん で いる 。
 23はき出す 煙 が 鼻先 から すぐ 急角度 に 折れ て 、 ちぎれ飛ん だ 。
 24底 に 木 を 打っ た 草履 を ひきずッ て 、 食物バケツ を さげ た 船員 が 急がしく 「 おもて 」 の 船室 を 出入 し た 。
 25―― 用意 は すっかり 出来 て 、 もう 出る に いい ばかり に なっ て い た 。
 26雑夫 の いる ハッチ を 上 から 覗きこむ と 、 薄暗い 船底 の 棚 に 、 巣 から 顔 だけ ピョコピョコ 出す 鳥 の よう に 、 騒ぎ 廻っ て いる の が 見え た 。
 27皆 十四 、 五 の 少年 ばかり だっ た 。
 28「 お前 は 何処 だ 」
 29「 ××町 」
 30みんな 同じ だっ た 。
 31函館 の 貧民窟 の 子供 ばかり だっ た 。
 32そういう の は 、 それ だけ で 一 かたまり を なし て い た 。
 33「 あっち の 棚 は ? 」
 34「 南部 」
 35「 それ は ? 」
 36「 秋田 」
 37それ等 は 各※(二の字点、1-2-22) 棚 を ちがえ て い た 。
 38「 秋田 の 何処 だ 」
 39膿 の よう な 鼻 を たらし た 、 眼 の ふち が あかべ を し た よう に ただれ て いる の が 、 「 北秋田 だんし 」 と 云っ た 。
 40「 百姓 か ? 」
 41「 そん だ し 」
 42空気 が ムンと し て 、 何 か 果物 でも 腐っ た すッぱい 臭気 が し て い た 。
 43漬物 を 何十 樽 も 蔵っ て ある 室 が 、 すぐ 隣り だっ た ので 、 「 糞 」 の よう な 臭い も 交っ て い た 。
 44「 こんだ 親父 抱い て 寝 て やる ど 」 ―― 漁夫 が ベラベラ 笑っ た 。
 45薄暗い 隅 の 方 で 、 袢天 を 着 、 股引 を はい た 、 風呂敷 を 三角 に かぶっ た 女出面 らしい 母親 が 、 林檎 の 皮 を むい て 、 棚 に 腹ん這い に なっ て いる 子供 に 食わ し て やっ て い た 。
 46子供 の 食う の を 見 ながら 、 自分 で は 剥い た ぐるぐる の 輪 に なっ た 皮 を 食っ て いる 。
 47何 か しゃべっ たり 、 子供 の そば の 小さい 風呂敷包み を 何 度 も 解い たり 、 直し て やっ て い た 。
 48そういう の が 七 、 八 人 も い た 。
 49誰 も 送っ て 来 て くれる もの の い ない 内地 から 来 た 子供達 は 、 時々 そっち の 方 を ぬすみ見る よう に 、 見 て い た 。
 50髪 や 身体 が セメント の 粉 まみれ に なっ て いる 女 が 、 キャラメル の 箱 から 二 粒 位 ずつ 、 その 附近 の 子供達 に 分け て やり ながら 、 「 うち の 健吉 と 仲よく 働い て やっ て けれ よ 、 な 」 と 云っ て い た 。
 51木 の 根 の よう に 不恰好 に 大きい ザラザラ し た 手 だっ た 。
 52子供 に 鼻 を かん で やっ て いる の や 、 手拭 で 顔 を ふい て やっ て いる の や 、 ボソボソ 何 か 云っ て いる の や 、 あっ た 。
 53「 お前さん どこ の 子供 は 、 身体 は ええ べ もの な 」
 54母親同志 だっ た 。
 55「 ん 、 まあ 」
 56「 俺 どこ の ア 、 とても 弱い ん だ 。
 57どう す べき か ッて 思う ん だ ども 、 何んしろ …… 」
 58「 それ ア 何処 で も 、 ね 」
 59―― 二人 の 漁夫 が ハッチ から 甲板 へ 顔 を 出す と 、 ホッと し た 。
 60不機嫌 に 、 急 に だまり 合っ た まま 雑夫 の 穴 より 、 もっと 船首 の 、 梯形 の 自分達 の 「 巣 」 に 帰っ た 。
 61錨 を 上げ たり 、 下し たり する 度 に 、 コンクリート・ミキサ の 中 に 投げ込ま れ た よう に 、 皆 は 跳ね上り 、 ぶッつかり 合わ なけれ ば なら なかっ た 。
 62薄暗い 中 で 、 漁夫 は 豚 の よう に ゴロゴロ し て い た 、 それに 豚小屋 そっくり の 、 胸 が すぐ ゲエと 来 そう な 臭い が し て い た 。
 63「 臭せえ 、 臭せえ 」
 64「 そ よ 、
 65俺だち だ もの 。
 66ええ加減 、 こったら 腐り かけ た 臭い でも す べ よ 」
 67赤い 臼 の よう な 頭 を し た 漁夫 が 、 一升瓶 その まま で 、 酒 を 端 の かけ た 茶碗 に 注い で 、 鯣 を ムシャムシャ やり ながら 飲ん で い た 。
 68その 横 に 仰向け に ひっくり返っ て 、 林檎 を 食い ながら 、 表紙 の ボロボロ し た 講談雑誌 を 見 て いる の が い た 。
 69四 人 輪 に なっ て 飲ん で い た の に 、 まだ 飲み足り なかっ た 一人 が 割り込ん で 行っ た 。
 70「 …… ん だ べ よ 。
 71四 カ月 も 海 の 上 だ 。
 72もう 、 これ んか やれ ね べ と 思っ て …… 」
 73頑丈 な 身体 を し た の が 、 そう 云っ て 、 厚い 下唇 を 時々 癖 の よう に 嘗め ながら 眼 を 細め た 。
 74「 んで 、 財布 これ さ 」
 75干柿 の よう な べったり し た 薄い 蟇口 を 眼 の 高さ に 振っ て みせ た 。
 76「 あの 白首 、 身体 こったら に 小せえ くせ に 、 とても 上手えがっ た どオ ! 」
 77「 おい 、 止せ 、
 78止せ ! 」
 79「 ええ 、
 80ええ 、
 81やれ
 82やれ 」
 83相手 は へへへへへ と 笑っ た 。
 84「 見れ 、
 85ほら 、 感心 な もん だ 。
 86ん ? 」
 87酔っ た 眼 を 丁度 向い側 の 棚 の 下 に すえ て 、 顎 で 、 「 ん ! 」 と 一人 が 云っ た 。
 88漁夫 が その 女房 に 金 を 渡し て いる ところ だっ た 。
 89「 見れ 、
 90見れ 、
 91なア ! 」
 92小さい 箱 の 上 に 、 皺くちゃ に なっ た 札 や 銀貨 を 並べ て 、 二人 で それ を 数え て い た 。
 93男 は 小さい 手帖 に 鉛筆 を なめ なめ 、 何 か 書い て い た 。
 94「 見れ 。
 95ん ! 」
 96「 俺 に だって 嬶 や 子供 は いる ん だ で 」 白首 の こと を 話し た 漁夫 が 急 に 怒っ た よう に 云っ た 。
 97そこ から 少し 離れ た 棚 に 、 宿酔 の 青ぶくれ に ムクン だ 顔 を し た 、 頭 の 前 だけ を 長く し た 若い 漁夫 が 、 「 俺 ア もう 今度 こそ ア 船 さ 来 ねえ ッて 思っ て た ん だ けれども な 」 と 大声 で 云っ て い た 。
 98「 周旋屋 に 引っ張り廻さ れ て 、 文無し に なっ て よ 。 ―― 又 、 長げえ こと くたばる め に 合わさ れる ん だ 」
 99こっち に 背 を 見せ て いる 同じ 処 から 来 て いる らしい 男 が 、 それ に 何 か ヒソヒソ 云っ て い た 。
 100ハッチ の 降口 に 始め 鎌足 を 見せ て 、 ゴロゴロ する 大きな 昔風 の 信玄袋 を 担っ た 男 が 、 梯子 を 下り て き た 。
 101床 に 立っ て キョロキョロ 見廻わし て い た が 、 空い て いる の を 見付ける と 、 棚 に 上っ て 来 た 。
 102「 今日は 」 と 云っ て 、 横 の 男 に 頭 を 下げ た 。
 103顔 が 何 か で 染っ た よう に 、 油じみ て 、 黒かっ た 。
 104「 仲間 に 入れ て 貰え ます 」
 105後 で 分っ た こと だ が 、 この 男 は 、 船 へ 来る すぐ 前 まで 夕張炭坑 に 七 年 も 坑夫 を し て い た 。
 106それが この 前 の ガス爆発 で 、 危く 死に 損ね て から ―― 前 に 何 度 か あっ た 事 だ が ―― フイ と 坑夫 が 恐ろしく なり 、 鉱山 を 下り て しまっ た 。
 107爆発 の とき 、 彼 は 同じ 坑内 に トロッコ を 押し て 働い て い た 。
 108トロッコ に 一杯 石炭 を 積ん で 、 他 の 人 の 受持場 まで 押し て 行っ た 時 だっ た 。
 109彼 は 百 の マグネシウム を 瞬間 眼 の 前 で たか れ た と 思っ た 。
 110それ と 、 そして 1/500 秒 も ちがわ ず 、 自分 の 身体 が 紙ッ片 の よう に 何処 か へ 飛び上っ た と 思っ た 。
 111何 台 という トロッコ が ガス の 圧力 で 、 眼 の 前 を 空 の マッチ箱 より も 軽く フッ飛ん で 行っ た 。
 112それ ッ切り 分ら なかっ た 。
 113どの 位 経っ た か 、 自分 の うなっ た 声 で 眼 が 開い た 。
 114監督 や 工夫 が 爆発 が 他 へ 及ば ない よう に 、 坑道 に 壁 を 作っ て い た 。
 115彼 は その 時 壁 の 後 から 、 助けれ ば 助ける こと の 出来る 炭坑夫 の 、 一 度 聞い たら 心 に 縫い込ま れ でも する よう に 、 決して 忘れる こと の 出来 ない 、 救い を 求める 声 を 「 ハッキリ 」 聞い た 。
 116―― 彼 は 急 に 立ち上る と 、 気 が 狂っ た よう に 、 「 駄目 だ 、 駄目 だ ! 」 と 皆 の 中 に 飛びこん で 、 叫び だし た 。
 117( 彼 は 前 の 時 は 、 自分 で その 壁 を 作っ た こと が あっ た 。
 118その とき は 何ん で も なかっ た の だっ た が )
 119「 馬鹿野郎 ! ここ さ 火 でも 移っ て みろ 、 大損 だ 」
 120だが 、 だんだん 声 の 低く なっ て 行く の が 分る で は ない か !
 121彼 は 何 を 思っ た の か 、 手 を 振っ たり 、 わめい たり し て 、 無茶苦茶 に 坑道 を 走り出し た 。
 122何 度 も のめっ たり 、 坑木 に 額 を 打ちつけ た 。
 123全身 ドロ と 血 まみれ に なっ た 。
 124途中 、 トロッコ の 枕木 に つまずい て 、 巴投げ に でも さ れ た よう に 、 レール の 上 に たたきつけ られ て 、 又 気 を 失っ て しまっ た 。
 125その 事 を 聞い て い た 若い 漁夫 は 、 「 さあ 、 ここ だって そう 大して 変ら ない が …… 」 と 云っ た 。
 126彼 は 坑夫独特 な 、 まばゆい よう な 、 黄色ッぽく 艶 の ない 眼差 を 漁夫 の 上 に じっと 置い て 、 黙っ て い た 。
 127秋田 、 青森 、 岩手 から 来 た 「 百姓 の 漁夫 」 の うち で は 、 大きく 安坐 を かい て 、 両手 を はすがい に 股 に 差しこん で ムシッと し て いる の や 、 膝 を 抱えこん で 柱 に よりかかり ながら 、 無心 に 皆 が 酒 を 飲ん で いる の や 、 勝手 に しゃべり 合っ て いる の に 聞き入っ て いる の が ある 。
 128―― 朝 暗い うち から 畑 に 出 て 、 それで 食え ない で 、 追払わ れ て くる 者達 だっ た 。
 129長男 一人 を 残し て ―― それでも まだ 食え なかっ た ―― 女 は 工場 の 女工 に 、 次男 も 三 男 も 何処 か へ 出 て 働か なけれ ば なら ない 。
 130鍋 で 豆 を える よう に 、 余っ た 人間 は ドシドシ 土地 から ハネ飛ばさ れ て 、 市 に 流れ て 出 て き た 。
 131彼等 は みんな 「 金 を 残し て 」 内地 に 帰る こと を 考え て いる 。
 132然し 働い て き て 、 一 度 陸 を 踏む 、 すると モチ を 踏みつけ た 小鳥 の よう に 、 函館 や 小樽 で バタバタやる 。
 133そう すれ ば 、 まるッきり 簡単 に 「 生れ た 時 」 と ちっとも 変ら ない 赤裸 に なっ て 、 おっぽり出さ れ た 。
 134内地 へ 帰れ なく なる 。
 135彼等 は 、 身寄り の ない 雪 の 北海道 で 「越年」 する ため に 、 自分 の 身体 を 手鼻 位 の 値 で 「 売ら なけれ ば なら ない 」
 136―― 彼等 は それ を 何 度 繰りかえし て も 、 出来 の 悪い 子供 の よう に 、 次 の 年 に は 又 平気 で ( ? ) 同じ こと を やっ て のけ た 。
 137菓子折 を 背負っ た 沖売 の 女 や 、 薬屋 、 それに 日用品 を 持っ た 商人 が 入っ て き た 。
 138真中 の 離島 の よう に 区切ら れ て いる 所 に 、 それぞれ の 品物 を 広げ た 。
 139皆 は 四方 の 棚 の 上下 の 寝床 から 身体 を 乗り出し て 、 ひやかし たり 、 笑談 を 云っ た 。
 140「 お菓子 めえ か 、 ええ 、 ねっちゃ よ ? 」
 141「 あッ 、 もッ ちょこい ! 」 沖売 の 女 が 頓狂 な 声 を 出し て 、 ハネ上っ た 。
 142「 人 の 尻 さ 手 ば やっ たり し て 、 いけすかない 、 この 男 ! 」
 143菓子 で 口 を モグモグ さ せ て い た 男 が 、 皆 の 視線 が 自分 に 集っ た こと に テレ て 、 ゲラゲラ 笑っ た 。
 144「 この 女子 、 可愛い な 」
 145便所 から 、 片側 の 壁 に 片手 を つき ながら 、 危い 足取り で 帰っ て き た 酔払い が 、 通りすがり に 、 赤黒く プクンと し て いる 女 の 頬ぺた を つッつい た 。
 146「 何ん だ ね 」
 147「 怒ん な よ 。
 148―― この 女子 ば 抱い て 寝 て やる べ よ 」
 149そう 云っ て 、 女 に おどけ た 恰好 を し た 。
 150皆 が 笑っ た 。
 151「 おい 饅頭 、 饅頭 ! 」
 152ずウと 隅 の 方 から 誰 か 大声 で 叫ん だ 。
 153「 ハアイ …… 」 こんな 処 で は めずらしい 女 の よく 通る 澄ん だ 声 で 返事 を し た 。
 154「 幾ぼ です か ? 」
 155「 幾ぼ ?
 156二 つ も あっ たら 不具 だ べ よ 。
 157―― お饅頭 、 お饅頭 ! 」 ――
 158急 に ワッと 笑い声 が 起っ た 。
 159「 この 前 、 竹田 って 男 が 、 あの 沖売 の 女 ば 無理矢理 に 誰 も い ねえ どこ さ 引っ張り 込ん で 行っ た ん だ と よ 。
 160んだけ 、 面白い ん で ない か 。
 161何んぼ 、 どう やっ て も 駄目 だ って 云う ん だ …… 」
 162酔っ た 若い 男 だっ た 。
 163「 …… 猿又 はい てる ん だ と よ 。 竹田 が いきなり それ を 力一杯 に さき取っ て しまっ た ん だ ども 、 まだ 下 に はい てる ッて 云う ん で ね か 。 ―― 三 枚 も はい て た と よ …… 」 男 が 頸 を 縮め て 笑い出し た 。
 164その 男 は 冬 の 間 は ゴム靴会社 の 職工 だっ た 。
 165春 に なり 仕事 が 無くなる と 、 カムサツカ へ 出稼ぎ に 出 た 。
 166どっち の 仕事 も 「 季節労働 」 な ので 、 ( 北海道 の 仕事 は 殆んど それ だっ た ) イザ 夜業 と なる と 、 ブッ続け に 続け られ た 。
 167「 もう 三 年 も 生き れ たら 有難い 」 と 云っ て い た 。
 168粗製ゴム の よう な 、 死ん だ 色 の 膚 を し て い た 。
 169漁夫 の 仲間 に は 、 北海道 の 奥地 の 開墾地 や 、 鉄道敷設 の 土工部屋 へ 「 蛸 」 に 売ら れ た こと の ある もの や 、 各地 を 食いつめ た 「 渡り者 」 や 、 酒 だけ 飲め ば 何 もかも なく 、 ただ それ で いい もの など が い た 。
 170青森辺 の 善良 な 村長さん に 選ば れ て き た 「 何 も 知ら ない 」 「 木 の 根ッこ の よう に 正直 な 」 百姓 も その 中 に 交っ て いる 。
 171―― そして 、 こういう てんでんばらばら の もの 等 を 集める こと が 、 雇う もの にとって 、 この上なく 都合 の いい こと だっ た 。
 172( 函館 の 労働組合 は 蟹工船 、 カムサツカ行 の 漁夫 の なか に 組織者 を 入れる こと に 死物狂い に なっ て い た 。
 173青森 、 秋田 の 組合 など と も 連絡 を とっ て 。
 174―― それ を 何より 恐れ て い た )
 175糊 の つい た 真白い 、 上衣 の 丈 の 短い 服 を 着 た 給仕 が 、 「 とも 」 の サロン に 、 ビール 、 果物 、 洋酒 の コップ を 持っ て 、 忙しく 往き来 し て い た 。
 176サロン に は 、 「 会社 の オッかない人 、 船長 、 監督 、 それに カムサツカ で 警備 の 任 に 当る 駆逐艦 の 御大 、 水上警察 の 署長さん 、 海員組合 の 折鞄 」 が い た 。
 177「 畜生 、 ガブガブ 飲む ったら 、 ありゃ し ない 」 ――
 178給仕 は ふくれかえっ て い た 。
 179漁夫 の 「 穴 」 に 、 浜なす の よう な 電気 が つい た 。
 180煙草 の 煙 や 人いきれ で 、 空気 が 濁っ て 、 臭く 、 穴 全体 が その まま 「 糞壺 」 だっ た 。
 181区切ら れ た 寝床 に ゴロゴロ し て いる 人間 が 、 蛆虫 の よう に うごめい て 見え た 。
 182―― 漁業監督 を 先頭 に 、 船長 、 工場代表 、 雑夫長 が ハッチ を 下り て 入っ て 来 た 。
 183船長 は 先 の ハネ上っ て いる 髭 を 気 に し て 、 始終 ハンカチ で 上唇 を 撫でつけ た 。
 184通路 に は 、 林檎 や バナナ の 皮 、 グジョグジョ し た 高丈 、 鞋 、 飯粒 の こびりつい て いる 薄皮 など が 捨て て あっ た 。
 185流れ の 止っ た 泥溝 だっ た 。
 186監督 は じろり それ を 見 ながら 、 無遠慮 に 唾 を はい た 。
 187―― どれ も 飲ん で 来 た らしく 、 顔 を 赤く し て い た 。
 188「 一寸 云っ て 置く 」 監督 が 土方 の 棒頭 の よう に 頑丈 な 身体 で 、 片足 を 寝床 の 仕切り の 上 に かけ て 、 楊子 で 口 を モグモグ さ せ ながら 、 時々 歯 に はさまっ た もの を 、 トットッ と 飛ばし て 、 口 を 切っ た 。
 189「 分っ てる もの も ある だろう が 、 云う までも なく この 蟹工船 の 事業 は 、 ただ 単に だ 、 一 会社 の 儲仕事 と 見る べき で は なくて 、 国際上 の 一大問題 な の だ 。
 190我々 が ―― 我々 日本帝国人民 が 偉い か 、
 191露助 が 偉い か 。
 192一騎打ち の 戦い な ん だ 。
 193それに 若し 、 若しも だ 。 そんな 事 は 絶対 に ある べき 筈 が ない が 、 負ける よう な こと が あっ たら 、 睾丸 を ブラ下げ た 日本男児 は 腹 でも 切っ て 、 カムサツカ の 海 の 中 に ブチ落ちる こと だ 。
 194身体 が 小さく たって 、 野呂間 な 露助 に 負け て たまる もん じゃ ない 。
 195「 それに 、 我 カムサツカ の 漁業 は 蟹罐詰 ばかり で なく 、 鮭 、 鱒 と 共 に 、 国際的 に 云っ て だ 、 他 の 国 と は 比らべ も なら ない 優秀 な 地位 を 保っ て おり 、 又 日本国内 の 行き詰っ た 人口問題 、 食糧問題 に対して 、 重大 な 使命 を 持っ て いる の だ 。
 196こんな 事 を しゃべっ たって 、 お前等 に は 分り も し ない だろう が 、 ともかく だ 、 日本帝国 の 大きな 使命 の ため に 、 俺達 は 命 を 的 に 、 北海 の 荒波 を つッ切っ て 行く の だ という こと を 知っ て て 貰わ にゃ なら ない 。
 197だからこそ 、 あっち へ 行っ て も 始終 我 帝国 の 軍艦 が 我々 を 守っ て い て くれる こと に なっ て いる の だ 。
 198…… それを 今流行り の 露助 の 真似 を し て 、 飛んでもない こと を ケシかける もの が ある と し たら 、 それ こそ 、 取りも直さず 日本帝国 を 売る もの だ 。
 199こんな 事 は 無い 筈 だ が 、 よッく 覚え て おい て 貰う こと に する …… 」
 200監督 は 酔いざめ の くさめ を 何 度 も し た 。
 201酔払っ た 駆逐艦 の 御大 は バネ仕掛 の 人形 の よう な ギクシャク し た 足取り で 、 待た し て ある ランチ に 乗る ため に 、 タラップ を 下り て 行っ た 。
 202水兵 が 上 と 下 から 、 カントン袋 に 入れ た 石ころ みたい な 艦長 を 抱え て 、 殆んど 持てあまし て しまっ た 。
 203手 を 振っ たり 、 足 を ふんばっ たり 、 勝手 な こと を わめく 艦長 の ため に 、 水兵 は 何 度 も 真正面 から 自分 の 顔 に 「 唾 」 を 吹きかけ られ た 。
 204「 表 じゃ 、 何んとかかんとか 、 偉い こと 云っ て この 態 な ん だ 」
 205艦長 を のせ て しまっ て 、 一人 が タラップ の おどり場 から ロープ を 外し ながら 、 ちらっと 艦長 の 方 を 見 て 、 低い 声 で 云っ た 。
 206「 やっ ちまう か ※(感嘆符疑問符、1-8-78) …… 」