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aozora_Miyazawa-1934のコンテキスト表示

title:Kaze no Mata Saburo
author:Miyazawa, Kenji
date:1934
source:Miyazawa Kenji Zenshu; Aozora Bunko (http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card462.html)
genre:fiction
subcorpus:Aozora Bunko
terms of use:Creative Commons license


 1風の又三郎
 2宮沢賢治
 3どっどど
 4どどうど
 5どどうど
 6どどう
 7青い くるみ も 吹きとばせ
 8すっぱい かりん も 吹きとばせ
 9どっどど
 10どどうど
 11どどうど
 12どどう
 13谷川 の 岸 に 小さな 学校 が あり まし た 。
 14教室 は たった 一 つ でし た が 生徒 は 三 年生 が ない だけ で 、 あと は 一 年 から 六 年 まで みんな あり まし た 。
 15運動場 も テニスコート の くらい でし た が 、 すぐ うしろ は 栗 の 木 の ある きれい な 草 の 山 でし た し 、 運動場 の すみ に は ごぼごぼ つめたい 水 を 噴く 岩穴 も あっ た の です 。
 16さわやか な 九 月 一 日 の 朝 でし た 。
 17青ぞら で 風 が どう と 鳴り 、 日光 は 運動場 いっぱい でし た 。
 18黒い 雪袴 を はい た 二人 の 一 年生 の 子 が どて を まわっ て 運動場 に はいっ て 来 て 、 まだ ほか に だれ も 来 て い ない の を 見 て 、 「 ほう 、 おら 一 等 だ ぞ 。 一 等 だ ぞ 。 」 と かわるがわる 叫び ながら 大よろこび で 門 を はいっ て 来 た の でし た が 、 ちょっと 教室 の 中 を 見 ます と 、 二人 とも まるで びっくり し て 棒立ち に なり 、 それから 顔 を 見合わせ て ぶるぶる ふるえ まし た が 、 ひとり は とうとう 泣き出し て しまい まし た 。
 19という わけ は 、 その しんと し た 朝 の 教室 の なか に どこ から 来 た の か 、 まるで 顔 も 知ら ない おかしな 赤い 髪 の 子供 が ひとり 、 いちばん 前 の 机 に ちゃんと すわっ て い た の です 。
 20そして その 机 といったら まったく この 泣い た 子 の 自分 の 机 だっ た の です 。
 21も ひとり の 子 も もう 半分 泣き かけ て い まし た が 、 それでも むりやり 目 を りんと 張っ て 、 そっち の ほう を にらめ て い まし たら 、 ちょうど その とき 、 川上 から 、 「 ちょう は あかぐり ちょう は あかぐり 。 」 と 高く 叫ぶ 声 が し て 、 それから まるで 大きな からす の よう に 、 嘉助 が かばん を かかえ て わらっ て 運動場 へ かけ て 来 まし た 。
 22と 思っ たら すぐ その あと から 佐太郎 だの 耕助 だの どやどや やってき まし た 。
 23「 なして 泣い で ら 、
 24うな かも た の が 。 」
 25嘉助 が 泣か ない こども の 肩 を つかまえ て 言い まし た 。
 26すると その 子 も わあ と 泣い て しまい まし た 。
 27おかしい と おもっ て みんな が あたり を 見る と 、 教室 の 中 に あの 赤毛 の おかしな 子 が すまし て 、 しゃんと すわっ て いる の が 目 に つき まし た 。
 28みんな は しんと なっ て しまい まし た 。
 29だんだん みんな 女の子たち も 集まっ て 来 まし た が 、 だれ も なん と も 言え ませ ん でし た 。
 30赤毛 の 子ども は いっこう こわがる ふう も なく やっぱり ちゃんと すわっ て 、 じっと 黒板 を 見 て い ます 。
 31すると 六 年生 の 一郎 が 来 まし た 。
 32一郎 は まるで おとな の よう に ゆっくり 大また に やってき て 、 みんな を 見 て 、 「 何 し た 。 」 と きき まし た 。
 33みんな は はじめて がやがや 声 を たて て その 教室 の 中 の 変 な 子 を 指さし まし た 。
 34一郎 は しばらく そっち を 見 て い まし た が 、 やがて 鞄 を しっかり かかえ て 、 さっさと 窓 の 下 へ 行き まし た 。
 35みんな も すっかり 元気 に なっ て つい て 行き まし た 。
 36「 だれ だ 、 時間 に なら ない に 教室 へ はいっ てる の は 。 」
 37一郎 は 窓 へ はいのぼっ て 教室 の 中 へ 顔 を つき出し て 言い まし た 。
 38「 お天気 の いい 時 教室 さ はいっ てる づど 先生 に うんと しか らえる ぞ 。 」
 39窓 の 下 の 耕助 が 言い まし た 。
 40「 しから え で も おら 知ら ない よ 。 」
 41嘉助 が 言い まし た 。
 42「 早ぐ 出はっ て 来 、
 43出はっ て 来 。 」
 44一郎 が 言い まし た 。
 45けれども その こども は きょろきょろ 室 の 中 や みんな の ほう を 見る ばかり で 、 やっぱり ちゃんと ひざ に 手 を おい て 腰掛け に すわっ て い まし た 。
 46ぜんたい その 形 から が 実に おかしい の でし た 。
 47変てこ な ねずみいろ の だぶだぶ の 上着 を 着 て 、 白い 半ずぼん を はい て 、 それ に 赤い 革 の 半靴 を はい て い た の です 。
 48それに 顔 といったら まるで 熟し た りんご の よう 、 こと に 目 は まん丸 で まっくろ な の でし た 。
 49いっこう 言葉 が 通じ ない よう な ので 一郎 も 全く 困っ て しまい まし た 。
 50「 あいづ は 外国人 だ な 。 」
 51「 学校 さ はいる の だ な 。 」
 52みんな は がやがや がやがや 言い まし た 。
 53ところが 五 年生 の 嘉助 が いきなり 、 「 ああ 三 年生 さ はいる の だ 。 」 と 叫び まし た ので 、 「 ああ そう だ 。 」 と 小さい こどもら は 思い まし た が 、 一郎 は だまっ て くび を まげ まし た 。
 54変 な こども は やはり きょろきょろ こっち を 見る だけ 、 きちんと 腰掛け て い ます 。
 55その とき 風 が どう と 吹い て 来 て 教室 の ガラス戸 は みんな がたがた 鳴り 、 学校 の うしろ の 山 の 萱 や 栗 の 木 は みんな 変 に 青じろく なっ て ゆれ 、 教室 の なか の こども は なんだか にやっと わらっ て すこし うごい た よう でし た 。
 56すると 嘉助 が すぐ 叫び まし た 。
 57「 ああ わかっ た 。
 58あいつ は 風の又三郎 だ ぞ 。 」
 59そう だっ と みんな も おもっ た とき 、 にわか に うしろ の ほう で 五郎 が 、 「 わあ 、 痛い ぢゃあ 。 」 と 叫び まし た 。
 60みんな そっち へ 振り向き ます と 、 五郎 が 耕助 に 足 の ゆび を ふま れ て 、 まるで おこっ て 耕助 を なぐりつけ て い た の です 。
 61すると 耕助 も おこっ て 、 「 わあ 、 われ 悪く て で ひと 撲い だ なあ 。 」 と 言っ て また 五郎 を なぐろ う と し まし た 。
 62五郎 は まるで 顔じゅう 涙だらけ に し て 耕助 に 組み付こ う と し まし た 。
 63そこ で 一郎 が 間 へ はいっ て 嘉助 が 耕助 を 押え て しまい まし た 。
 64「 わあい 、 けんか する な ったら 、 先生あ ちゃんと 職員室 に 来 て ら ぞ 。 」 と 一郎 が 言い ながら また 教室 の ほう を 見 まし たら 、 一郎 は にわか に まるで ぽかんと し て しまい まし た 。
 65たった いま まで 教室 に い た あの 変 な 子 が 影 も かたち も ない の です 。
 66みんな も まるで せっかく 友だち に なっ た 子うま が 遠く へ やら れ た よう 、 せっかく 捕っ た 山雀 に 逃げ られ た よう に 思い まし た 。
 67風 が また どう と 吹い て 来 て 窓ガラス を がたがた 言わ せ 、 うしろ の 山 の 萱 を だんだん 上流 の ほう へ 青じろく 波だて て 行き まし た 。
 68「 わあ 、 うなだ けんか し た ん だ がら 又三郎 いなぐなっ た な 。 」
 69嘉助 が おこっ て 言い まし た 。
 70みんな も ほんとう に そう 思い まし た 。
 71五郎 は じつに 申しわけない と 思っ て 、 足 の 痛い の も 忘れ て しょんぼり 肩 を すぼめ て 立っ た の です 。
 72「 やっぱり あいつ は 風の又三郎 だっ た な 。 」
 73「 二百十 日 で 来 た の だ な 。 」
 74「 靴 はい で だた ぞ 。 」
 75「 服 も 着 で だた ぞ 。 」
 76「 髪 赤く て おかし やづ だっ た な 。 」
 77「 ありゃ ありゃ 、 又三郎 おれ の 机 の 上 さ 石かけ 乗せ でっ た ぞ 。 」
 78二 年生 の 子 が 言い まし た 。
 79見る と その 子 の 机 の 上 に は きたない 石かけ が 乗っ て い た の です 。
 80「 そう だ 、 ありゃ 。
 81あそご の ガラス も ぶっかし た ぞ 。 」
 82「 そだ ない であ 。
 83あいづ あ 休み前 に 嘉助 石 ぶっつけ だ の だ な 。 」
 84「 わあい 。 そだ ない であ 。 」 と 言っ て い た とき 、 これ は また なん という わけ でしょう 。
 85先生 が 玄関 から 出 て 来 た の です 。
 86先生 は ぴかぴか 光る 呼び子 を 右手 に もっ て 、 もう 集まれ の したく を し て いる の でし た が 、 その すぐ うしろ から 、 さっき の 赤い 髪 の 子 が 、 まるで 権現さま の 尾っぱ持ち の よう に すまし 込ん で 、 白い シャッポ を かぶっ て 、 先生 に つい て すぱすぱ と あるい て 来 た の です 。
 87みんな は しいんと なっ て しまい まし た 。
 88やっと 一郎 が 「 先生 お早う ござい ます 。 」 と 言い まし た ので みんな も つい て 、 「 先生 お早う ござい ます 。 」 と 言っ た だけ でし た 。
 89「 みなさん 。
 90お早う 。
 91どなた も 元気 です ね 。
 92では 並ん で 。 」
 93先生 は 呼び子 を ビルル と 吹き まし た 。
 94それ は すぐ 谷 の 向こう の 山 へ ひびい て また ビルルル と 低く 戻っ て き まし た 。
 95すっかり やすみ の 前 の とおり だ と みんな が 思い ながら 六 年生 は 一人 、 五 年生 は 七 人 、 四 年生 は 六 人 、 一二 年生 は 十二 人 、 組ごと に 一 列 に 縦 に ならび まし た 。
 96二 年 は 八 人 、 一 年生 は 四 人 前へならえ を し て ならん だ の です 。
 97すると その 間 あの おかしな 子 は 、 何 か おかしい の か おもしろい の か 奥歯 で 横っちょ に 舌 を かむ よう に し て 、 じろじろ みんな を 見 ながら 先生 の うしろ に 立っ て い た の です 。
 98すると 先生 は 、 高田さん こっち へ おはいり なさい と 言い ながら 五 年生 の 列 の ところ へ 連れ て 行っ て 、 丈 を 嘉助 と くらべ て から 嘉助 と その うしろ の きよ の 間 へ 立た せ まし た 。
 99みんな は ふりかえっ て じっと それ を 見 て い まし た 。
 100先生 は また 玄関 の 前 に 戻っ て 、 「 前 へ なら え 。 」 と 号令 を かけ まし た 。
 101みんな は もう 一 ぺん 前へならえ を し て すっかり 列 を つくり まし た が 、 じつは あの 変 な 子 が どういう ふう に し て いる の か 見 たく て 、 かわるがわる そっち を ふりむい たり 横目 で にらん だり し た の でし た 。
 102すると その 子 は ちゃんと 前へならえ でも なん でも 知っ てる らしく 平気 で 両腕 を 前 へ 出し て 、 指さき を 嘉助 の せなか へ やっと 届く くらい に し て い た もの です から 、 嘉助 は なんだか せなか が かゆく 、 くすぐったい という ふう に もじもじ し て い まし た 。
 103「 直れ 。 」
 104先生 が また 号令 を かけ まし た 。
 105「 一 年 から 順 に 前 へ おい 。 」
 106そこで 一 年生 は あるき出し 、 まもなく 二 年生 も あるき出し て みんな の 前 を ぐるっ と 通っ て 、 右手 の 下駄箱 の ある 入り口 に はいっ て 行き まし た 。
 107四 年生 が あるき出す と さっき の 子 も 嘉助 の あと へ つい て 大威張り で あるい て 行き まし た 。
 108前 へ 行っ た 子 も ときどき ふりかえっ て 見 、 あと の 者 も じっと 見 て い た の です 。
 109まもなく みんな は はきもの を 下駄箱 に 入れ て 教室 へ はいっ て 、 ちょうど 外 へ ならん だ とき の よう に 組ごと に 一 列 に 机 に すわり まし た 。
 110さっき の 子 も すまし 込ん で 嘉助 の うしろ に すわり まし た 。
 111ところが もう 大さわぎ です 。
 112「 わあ 、 おら の 机 さ 石かけ はいっ てる ぞ 。 」
 113「 わあ 、 おら の 机 代わっ てる ぞ 。 」
 114「 キッコ 、 キッコ 、 うな 通信簿 持っ て 来 た が 。
 115おら 忘れ で 来 た ぢゃあ 。 」
 116「 わあい 、 さの 、 木ペン 借せ 、
 117木ペン 借せ ったら 。 」
 118「 わあ が ない 。
 119ひと の 雑記帳 とっ て って 。 」
 120その とき 先生 が はいっ て 来 まし た ので みんな も さわぎ ながら とにかく 立ちあがり 、 一郎 が いちばん うしろ で 、 「 礼 。 」 と 言い まし た 。
 121みんな は おじぎ を する 間 は ちょっと しんと なり まし た が 、 それから また がやがや がやがや 言い まし た 。
 122「 しずか に 、 みなさん 。
 123しずか に する の です 。 」
 124先生 が 言い まし た 。
 125「 しっ 、 悦治 、 やがまし ったら 、 嘉助え 、 喜っこう 。
 126わあい 。 」 と 一郎 が いちばん うしろ から あまり さわぐ もの を 一人 ずつ しかり まし た 。
 127みんな は しんと なり まし た 。
 128先生 が 言い まし た 。
 129「 みなさん 、 長い 夏 の お休み は おもしろかっ た です ね 。
 130みなさん は 朝 から 水泳ぎ も でき た し 、 林 の 中 で 鷹 に も 負け ない くらい 高く 叫ん だり 、 また にいさん の 草刈り に つい て 上 の 野原 へ 行っ たり し た でしょう 。
 131けれども もう きのう で 休み は 終わり まし た 。
 132これ から は 第二 学期 で 秋 です 。
 133むかし から 秋 は いちばん からだ も こころ も ひきしまっ て 、 勉強 の できる 時 だ と いっ て ある の です 。
 134ですから 、 みなさん も きょう から また いっしょ に しっかり 勉強 し ましょ う 。
 135それから この お休み の 間 に みなさん の お友だち が 一人 ふえ まし た 。
 136それ は そこ に いる 高田さん です 。
 137その かた の おとうさん は こんど 会社 の ご用 で 上 の 野原 の 入り口 へ おいで に なっ て い られる の です 。
 138高田さん は いま まで は 北海道 の 学校 に おら れ た の です が 、 きょう から みなさん の お友だち に なる の です から 、 みなさん は 学校 で 勉強 の とき も 、 また 栗拾い や 魚とり に 行く とき も 、 高田さん を さそう よう に し なけれ ば なり ませ ん 。
 139わかり まし た か 。
 140わかっ た 人 は 手 を あげ て ごらん なさい 。 」
 141すぐ みんな は 手 を あげ まし た 。
 142その 高田 と よば れ た 子 も 勢いよく 手 を あげ まし た ので 、 ちょっと 先生 は わらい まし た が 、 すぐ 、 「 わかり まし た ね 、 では よし 。 」 と 言い まし た ので 、 みんな は 火 の 消え た よう に 一ぺん に 手 を おろし まし た 。
 143ところが 嘉助 が すぐ 、 「 先生 。 」 と いっ て また 手 を あげ まし た 。
 144「 はい 。 」
 145先生 は 嘉助 を 指さし まし た 。
 146「 高田さん 名 は なんて 言う べ な 。 」
 147「 高田三郎さん です 。 」
 148「 わあ 、 うまい 、 そりゃ 、 やっぱり 又三郎 だ な 。 」
 149嘉助 は まるで 手 を たたい て 机 の 中 で 踊る よう に し まし た ので 、 大きな ほう の 子どもら は どっと 笑い まし た が 、 下 の 子どもら は 何 か こわい という ふう に しいんと し て 三郎 の ほう を 見 て い た の です 。
 150先生 は また 言い まし た 。
 151「 きょう は みなさん は 通信簿 と 宿題 を もっ て くる の でし た ね 。
 152持っ て 来 た 人 は 机 の 上 へ 出し て ください 。
 153私 が いま 集め に 行き ます から 。 」
 154みんな は ばたばた 鞄 を あけ たり ふろしき を とい たり し て 、 通信簿 と 宿題 を 机 の 上 に 出し まし た 。
 155そして 先生 が 一 年生 の ほう から 順 に それ を 集め はじめ まし た 。
 156その とき みんな は ぎょっと し まし た 。
 157という わけ は みんな の うしろ の ところ に いつ か 一人 の 大人 が 立っ て い た の です 。
 158その 人 は 白い だぶだぶ の 麻服 を 着 て 黒い てかてか し た はんけち を ネクタイ の 代わり に 首 に 巻い て 、 手 に は 白い 扇 を もって 軽く じぶん の 顔 を 扇ぎ ながら 少し 笑っ て みんな を 見おろし て い た の です 。
 159さあ みんな は だんだん しいんと なっ て 、 まるで 堅く なっ て しまい まし た 。
 160ところが 先生 は 別 に その 人 を 気 に かける ふう も なく 、 順々 に 通信簿 を 集め て 三郎 の 席 まで 行き ます と 、 三郎 は 通信簿 も 宿題帳 も ない かわり に 両手 を にぎりこぶし に し て 二 つ 机 の 上 に のせ て い た の です 。
 161先生 は だまっ て そこ を 通りすぎ 、 みんな の を 集め て しまう と それ を 両手 で そろえ ながら また 教壇 に 戻り まし た 。
 162「 では 宿題帳 は この 次 の 土曜日 に 直し て 渡し ます から 、 きょう 持っ て 来 なかっ た 人 は 、 あした きっと 忘れ ない で 持っ て 来 て ください 。
 163それ は 悦治さん と 勇治さん と 良作さん と です ね 。
 164では きょう は ここ まで です 。
 165あした から ちゃんと いつも の とおり の したく を し て おいで なさい 。
 166それから 四 年生 と 六 年生 の 人 は 、 先生 と いっしょ に 教室 の お掃除 を し ましょ う 。
 167では ここ まで 。 」
 168一郎 が 気 を つけ 、 と 言い みんな は 一ぺん に 立ち まし た 。
 169うしろ の 大人 も 扇 を 下 に さげ て 立ち まし た 。
 170「 礼 。 」
 171先生 も みんな も 礼 を し まし た 。
 172うしろ の 大人 も 軽く 頭 を 下げ まし た 。
 173それから ずうっと 下 の 組 の 子どもら は 一目散 に 教室 を 飛び出し まし た が 、 四 年生 の 子どもら は まだ もじもじ し て い まし た 。
 174すると 三郎 は さっき の だぶだぶ の 白い 服 の 人 の ところ へ 行き まし た 。
 175先生 も 教壇 を おり て その 人 の ところ へ 行き まし た 。
 176「 いや どうも ご苦労さま で ござい ます 。 」
 177その 大人 は ていねい に 先生 に 礼 を し まし た 。
 178「 じき みんな と お友だち に なり ます から 。 」
 179先生 も 礼 を 返し ながら 言い まし た 。
 180「 何ぶん どうか よろしく おねがい いたし ます 。
 181それでは 。 」
 182その 人 は また ていねい に 礼 を し て 目 で 三郎 に 合図 する と 、 自分 は 玄関 の ほう へ まわっ て 外 へ 出 て 待っ て い ます と 、 三郎 は みんな の 見 て いる 中 を 目 を りん と はっ て だまっ て 昇降口 から 出 て 行っ て 追いつき 、 二人 は 運動場 を 通っ て 川下 の ほう へ 歩い て 行き まし た 。
 183運動場 を 出る とき その 子 は こっち を ふりむい て 、 じっと 学校 や みんな の ほう を にらむ よう に する と 、 また すたすた 白服 の 大人 に つい て 歩い て 行き まし た 。
 184「 先生 、 あの 人 は 高田さん の とうさん です か 。 」
 185一郎 が 箒 を もち ながら 先生 に きき まし た 。
 186「 そう です 。 」
 187「 なん の 用 で 来 た べ 。 」
 188「 上 の 野原 の 入り口 に モリブデン という 鉱石 が できる ので 、 それ を だんだん 掘る よう に する ため だ そう です 。 」
 189「 どこら あだり だ べ な 。 」
 190「 私 も まだ よく わかり ませ ん が 、 いつも みなさん が 馬 を つれ て 行く みち から 、 少し 川下 へ 寄っ た ほう な よう です 。 」
 191「 モリブデン 何 に する べ な 。 」
 192「 それ は 鉄 と まぜ たり 、 薬 を つくっ たり する の だ そう です 。 」
 193「 そだら 又三郎 も 掘る べ が 。 」
 194嘉助 が 言い まし た 。
 195「 又三郎 だ ない 。
 196高田三郎 だ ぢゃ 。 」
 197佐太郎 が 言い まし た 。
 198「 又三郎 だ
 199又三郎 だ 。 」
 200嘉助 が 顔 を まっ赤 に し て がん張り まし た 。
 201「 嘉助 、 うな も 残っ て らば 掃除 し て すけろ 。 」
 202一郎 が 言い まし た 。
 203「 わあい 。
 204やん た ぢゃ 。
 205きょう 四 年生 ど 六 年生 だ な 。 」
 206嘉助 は 大急ぎ で 教室 を はねだし て 逃げ て しまい まし た 。
 207風 が また 吹い て 来 て 窓ガラス は また がたがた 鳴り 、 ぞうきん を 入れ た バケツ に も 小さな 黒い 波 を たて まし た 。
 208次 の 日 一郎 は あの おかしな 子供 が 、 きょう から ほんとう に 学校 へ 来 て 本 を 読ん だり する かどうか 早く 見 たい よう な 気 が し て 、 いつも より 早く 嘉助 を さそい まし た 。
 209ところが 嘉助 の ほう は 一郎 より もっと そう 考え て い た と 見え て 、 とう に ごはん も たべ 、 ふろしき に 包ん だ 本 も もっ て 家 の 前 へ 出 て 一郎 を 待っ て い た の でし た 。
 210二人 は 途中 も いろいろ その 子 の こと を 話し ながら 学校 へ 来 まし た 。
 211すると 運動場 に は 小さな 子供ら が もう 七八 人 集まっ て い て 、 棒かくし を し て い まし た が 、 その 子 は まだ 来 て い ませ ん でし た 。
 212また きのう の よう に 教室 の 中 に いる の か と 思っ て 中 を のぞい て 見 まし た が 、 教室 の 中 は しいんと し て だれ も い ず 、 黒板 の 上 に は きのう 掃除 の とき ぞうきん で ふい た 跡 が かわい て ぼんやり 白い 縞 に なっ て い まし た 。
 213「 きのう の やつ まだ 来 て ない な 。 」
 214一郎 が 言い まし た 。
 215「 うん 。 」
 216嘉助 も 言っ て そこら を 見まわし まし た 。
 217一郎 は そこ で 鉄棒 の 下 へ 行っ て 、 じゃみ上がり という やり方 で 、 無理やり に 鉄棒 の 上 に のぼり 両腕 を だんだん 寄せ て 右 の 腕木 に 行く と 、 そこ へ 腰掛け て きのう 三郎 の 行っ た ほう を じっと 見おろし て 待っ て い まし た 。
 218谷川 は そっち の ほう へ きらきら 光っ て ながれ て 行き 、 その 下 の 山 の 上 の ほう で は 風 も 吹い て いる らしく 、 ときどき 萱 が 白く 波立っ て い まし た 。
 219嘉助 も やっぱり その 柱 の 下 で じっと そっち を 見 て 待っ て い まし た 。
 220ところが 二人 は そんな に 長く 待つ こと も あり ませ ん でし た 。
 221それ は 突然 三郎 が その 下手 の みち から 灰いろ の 鞄 を 右手 に かかえ て 走る よう に し て 出 て 来 た の です 。
 222「 来 た ぞ 。 」 と 一郎 が 思わず 下 に いる 嘉助 へ 叫ぼ う と し て い ます と 、 早く も 三郎 は どて を ぐるっ と まわっ て 、 どんどん 正門 を はいっ て 来る と 、 「 お早う 。 」 と はっきり 言い まし た 。
 223みんな は いっしょ に そっち を ふり向き まし た が 、 一人 も 返事 を し た もの が あり ませ ん でし た 。
 224それ は 返事 を し ない の で は なくて 、 みんな は 先生 に は いつ で も 「 お早う ござい ます 。 」 と いう よう に 習っ て い た の です が 、 お互い に 「 お早う 。 」 なんて 言っ た こと が なかっ た のに 三郎 に そう 言わ れ て も 、 一郎 や 嘉助 は あんまり にわか で 、 また 勢い が いい ので とうとう 臆し て しまっ て 一郎 も 嘉助 も 口 の 中 で お早う と いう かわり に 、 もにゃもにゃっと 言っ て しまっ た の でし た 。
 225ところが 三郎 の ほう は べつだん それ を 苦 に する ふう も なく 、 二三 歩 また 前 へ 進む と じっと 立っ て 、 その まっ黒 な 目 で ぐるっ と 運動場 じゅう を 見まわし まし た 。
 226そして しばらく だれ か 遊ぶ 相手 が ない か さがし て いる よう でし た 。
 227けれども みんな きょろきょろ 三郎 の ほう は み て い て も 、 やはり 忙し そう に 棒かくし を し たり 三郎 の ほう へ 行く もの が あり ませ ん でし た 。
 228三郎 は ちょっと 具合 が 悪い よう に そこ に つっ立っ て い まし た が 、 また 運動場 を もう 一 度 見まわし まし た 。
 229それから ぜんたい この 運動場 は 何間 ある か と いう よう に 、 正門 から 玄関 まで 大また に 歩数 を 数え ながら 歩き はじめ まし た 。
 230一郎 は 急い で 鉄棒 を はねおり て 嘉助 と ならん で 、 息 を こらし て それ を 見 て い まし た 。
 231その うち 三郎 は 向こう の 玄関 の 前 まで 行っ て しまう と 、 こっち へ 向い て しばらく 暗算 を する よう に 少し 首 を まげ て 立っ て い まし た 。
 232みんな は やはり きろきろ そっち を 見 て い ます 。
 233三郎 は 少し 困っ た よう に 両手 を うしろ へ 組む と 向こう側 の 土手 の ほう へ 職員室 の 前 を 通っ て 歩きだし まし た 。
 234その 時 風 が ざあっ と 吹い て 来 て 土手 の 草 は ざわざわ 波 に なり 、 運動場 の まん中 で さあっ と 塵 が あがり 、 それ が 玄関 の 前 まで 行く と 、 きりきり と まわっ て 小さな つむじ風 に なっ て 、 黄いろ な 塵 は 瓶 を さかさま に し た よう な 形 に なっ て 屋根 より 高く のぼり まし た 。
 235すると 嘉助 が 突然 高く 言い まし た 。
 236「 そう だ 。
 237やっぱり あいづ 又三郎 だ ぞ 。
 238あいづ 何 か する と きっと 風 吹い て くる ぞ 。 」
 239「 うん 。 」
 240一郎 は どうだか わから ない と 思い ながら も だまっ て そっち を 見 て い まし た 。
 241三郎 は そんな こと に は かまわ ず 土手 の ほう へ やはり すたすた 歩い て 行き ます 。
 242その とき 先生 が いつも の よう に 呼び子 を もって 玄関 を 出 て 来 た の です 。
 243「 お早う ござい ます 。 」
 244小さな 子どもら は みんな 集まり まし た 。
 245「 お早う 。 」
 246先生 は ちらっ と 運動場 を 見まわし て から 、 「 では ならん で 。 」 と 言い ながら ビルルッ と 笛 を 吹き まし た 。
 247みんな は 集まっ て き て きのう の とおり きちんと ならび まし た 。
 248三郎 も きのう 言わ れ た 所 へ ちゃんと 立っ て い ます 。
 249先生 は お日さま が まっ正面 な ので すこし まぶし そう に し ながら 号令 を だんだん かけ て 、 とうとう みんな は 昇降口 から 教室 へ はいり まし た 。
 250そして 礼 が すむ と 先生 は 、 「 では みなさん きょう から 勉強 を はじめ ましょ う 。
 251みなさん は ちゃんと お道具 を もっ て き まし た ね 。
 252では 一 年生 ( と 二 年生 ) の 人 は お習字 の お手本 と 硯 と 紙 を 出し て 、 二 年生 と 四 年生 の 人 は 算術帳 と 雑記帳 と 鉛筆 を 出し て 、 五 年生 と 六 年生 の 人 は 国語 の 本 を 出し て ください 。 」
 253さあ すると あっち で も こっち で も 大さわぎ が はじまり まし た 。
 254中 に も 三郎 の すぐ 横 の 四 年生 の 机 の 佐太郎 が 、 いきなり 手 を のばし て 二 年生 の かよ の 鉛筆 を ひらり と とっ て しまっ た の です 。
 255かよ は 佐太郎 の 妹 でし た 。
 256すると かよ は 、 「 うわあ 、 兄 な 、 木ペン 取 て わかん ない な 。 」 と 言い ながら 取り返そ う と し ます と 佐太郎 が 、 「 わあ 、 こいつ おれの だ なあ 。 」 と 言い ながら 鉛筆 を ふところ の 中 へ 入れ て 、 あと は シナ人 が おじぎ する とき の よう に 両手 を 袖 へ 入れ て 、 机 へ ぴったり 胸 を くっつけ まし た 。
 257すると かよ は 立っ て 来 て 、 「 兄な 、 兄な の 木ペン は きのう 小屋 で なくし て しまっ た け なあ 。 よこせ ったら 。 」 と 言い ながら 一生けん命 とり返そ う と し まし た が 、 どう し て も もう 佐太郎 は 机 に くっつい た 大きな 蟹 の 化石 みたい に なっ て いる ので 、 とうとう かよ は 立っ た まま 口 を 大きく まげ て 泣きだし そう に なり まし た 。
 258すると 三郎 は 国語 の 本 を ちゃんと 机 に のせ て 困っ た よう に し て これ を 見 て い まし た が 、 かよ が とうとう ぼろぼろ 涙 を こぼし た の を 見る と 、 だまっ て 右手 に 持っ て い た 半分 ばかり に なっ た 鉛筆 を 佐太郎 の 目 の 前 の 机 に 置き まし た 。
 259すると 佐太郎 は にわか に 元気 に なっ て 、 むっくり 起き上がり まし た 。
 260そして 、 「 くれる ? 」 と 三郎 に きき まし た 。
 261三郎 は ちょっと まごつい た よう でし た が 覚悟 し た よう に 、 「 うん 。 」 と 言い まし た 。
 262すると 佐太郎 は いきなり わらい出し て ふところ の 鉛筆 を かよ の 小さな 赤い 手 に 持た せ まし た 。
 263先生 は 向こう で 一 年生 の 子 の 硯 に 水 を つい で やっ たり し て い まし た し 、 嘉助 は 三郎 の 前 です から 知り ませ ん でし た が 、 一郎 は これ を いちばん うしろ で ちゃんと 見 て い まし た 。
 264「 では 二 年生 の ひと は お休み の 前 に ならっ た 引き算 を もう 一 ぺん 習っ て み ましょ う 。
 265これ を 勘定 し て ごらん なさい 。 」
 266二 年生 の こどもら は みんな 一生けん命 に それ を 雑記帳 に うつし まし た 。
 267かよ も 頭 を 雑記帳 へ くっつける よう に し て い ます 。
 268「 四 年生 の 人 は これ を 置い て 。 」
 269四 年生 は 佐太郎 をはじめ 喜蔵 も 甲助 も みんな それ を うつし まし た 。
 270「 五 年生 の 人 は 読本 の ( 二 字 空白 ) ページ の ( 二 字 空白 ) 課 を ひらい て 声 を たて ない で 読める だけ 読ん で ごらん なさい 。
 271わから ない 字 は 雑記帳 へ 拾っ て おく の です 。 」
 272五 年生 も みんな 言わ れ た とおり し はじめ まし た 。
 273「 一郎さん は 読本 の ( 二 字 空白 ) ページ を しらべ て やはり 知ら ない 字 を 書き抜い て ください 。 」
 274それ が すむ と 先生 は また 教壇 を おり て 、 一 年生 の 習字 を 一人一人 見 て あるき まし た 。
 275三郎 は 両手 で 本 を ちゃんと 机 の 上 へ もっ て 、 言わ れ た ところ を 息 も つか ず じっと 読ん で い まし た 。
 276けれども 雑記帳 へ は 字 を 一 つ も 書き抜い て い ませ ん でし た 。
 277それ は ほんとう に 知ら ない 字 が 一 つ も ない の か 、 たった 一 本 の 鉛筆 を 佐太郎 に やっ て しまっ た ため か 、 どっち と も わかり ませ ん でし た 。
 278その うち 先生 は 教壇 へ 戻っ て 二 年生 と 四 年生 の 算術 の 計算 を し て 見せ て また 新しい 問題 を 出す と 、 今度 は 五 年生 の 生徒 の 雑記帳 へ 書い た 知ら ない 字 を 黒板 へ 書い て 、 それ に かな と わけ を つけ まし た 。
 279そして 、 「 では 嘉助さん 、 ここ を 読ん で 。 」 と 言い まし た 。
 280嘉助 は 二三 度 ひっかかり ながら 先生 に 教え られ て 読み まし た 。
 281三郎 も だまっ て 聞い て い まし た 。
 282先生 も 本 を とっ て 、 じっと 聞い て い まし た が 、 十 行 ばかり 読む と 、 「 そこ まで 。 」 と 言っ て こんど は 先生 が 読み まし た 。
 283そうして 一まわり 済む と 、 先生 は だんだん みんな の 道具 を しまわ せ まし た 。
 284それから 「 では ここ まで 。 」 と 言っ て 教壇 に 立ち ます と 一郎 が うしろ で 、 「 気 を つけい 。 」 と 言い まし た 。
 285そして 礼 が すむ と 、 みんな 順 に 外 へ 出 て こんど は 外 へ ならば ずに みんな 別れ別れ に なっ て 遊び まし た 。
 286二 時間目 は 一 年生 から 六 年生 まで みんな 唱歌 でし た 。
 287そして 先生 が マンドリン を 持っ て 出 て 来 て 、 みんな は いま まで に 習っ た の を 先生 の マンドリン について 五 つ も うたい まし た 。
 288三郎 も みんな 知っ て い て 、 みんな どんどん 歌い まし た 。
 289そして この 時間 は たいへん 早く たっ て しまい まし た 。
 290三 時間目 に なる と こんど は 二 年生 と 四 年生 が 国語 で 、 五 年生 と 六 年生 が 数学 でし た 。
 291先生 は また 黒板 に 問題 を 書い て 五 年生 と 六 年生 に 計算 さ せ まし た 。
 292しばらく たっ て 一郎 が 答え を 書い て しまう と 、 三郎 の ほう を ちょっと 見 まし た 。
 293すると 三郎 は 、 どこ から 出し た か 小さな 消し炭 で 雑記帳 の 上 へ がりがり と 大きく 運算 し て い た の です 。
 294次 の 朝 、 空 は よく 晴れ て 谷川 は さらさら 鳴り まし た 。
 295一郎 は 途中 で 嘉助 と 佐太郎 と 悦治 を さそっ て いっしょ に 三郎 の うち の ほう へ 行き まし た 。
 296学校 の 少し 下流 で 谷川 を わたっ て 、 それから 岸 で 楊 の 枝 を みんな で 一 本 ずつ 折っ て 、 青い 皮 を くるくる はい で 鞭 を こしらえ て 手 で ひゅうひゅう 振り ながら 、 上 の 野原 へ の 道 を だんだん のぼっ て 行き まし た 。
 297みんな は 早く も 登り ながら 息 を はあはあ し まし た 。
 298「 又三郎 ほんとに あそご の わき水 まで 来 て 待ぢ でる べ が 。 」
 299「 待ぢ でる ん だ 。
 300又三郎 う そこ が ない も な 。 」
 301「 ああ 暑う 、
 302風 吹げ ば いい な 。 」
 303「 どご がら だ が 風 吹い で る ぞ 。 」
 304「 又三郎 吹が せ で ら べ も 。 」
 305「 なんだが お日さん ぼやっ と し て 来 た な 。 」
 306空 に 少し ばかり の 白い 雲 が 出 まし た 。
 307そして もう だいぶ のぼっ て い まし た 。
 308谷 の みんな の 家 が ずうっと 下 に 見え 、 一郎 の うち の 木小屋 の 屋根 が 白く 光っ て い ます 。
 309道 が 林 の 中 に 入り 、 しばらく 道 は じめじめ し て 、 あたり は 見え なく なり まし た 。
 310そして まもなく みんな は 約束 の わき水 の 近く に 来 まし た 。
 311すると そこ から 、 「 おうい 。 みんな 来 た かい 。 」 と 三郎 の 高く 叫ぶ 声 が し まし た 。
 312みんな は まるで せかせか と 走っ て のぼり まし た 。
 313向こう の 曲がり角 の 所 に 三郎 が 小さな くちびる を きっと 結ん だ まま 、 三 人 の かけ上っ て 来る の を 見 て い まし た 。
 314三 人 は やっと 三郎 の 前 まで 来 まし た 。
 315けれども あんまり 息 が はあはあ し て すぐ に は 何 も 言え ませ ん でし た 。
 316嘉助 など は あんまり もどかしい もん です から 、 空 へ 向い て 「 ホッホウ 。 」 と 叫ん で 早く 息 を 吐い て しまお う と し まし た 。
 317すると 三郎 は 大きな 声 で 笑い まし た 。
 318「 ずいぶん 待っ た ぞ 。
 319それ に きょう は 雨 が 降る かも しれ ない そう だ よ 。 」
 320「 そだら 早ぐ 行ぐ べす さ 。
 321おら まんつ 水 飲ん で ぐ 。 」
 322三 人 は 汗 を ふい て しゃがん で 、 まっ白 な 岩 から ごぼごぼ 噴きだす 冷たい 水 を 何 べん も すくっ て のみ まし た 。
 323「 ぼく の うち は ここ から すぐ な ん だ 。
 324ちょうど あの 谷 の 上 あたり な ん だ 。
 325みんな で 帰り に 寄ろ う ねえ 。 」
 326「 うん 。
 327まんつ 野原 さ 行ぐ べす さ 。 」
 328みんな が また あるき はじめ た とき わき水 は 何 か を 知らせる よう に ぐうっ と 鳴り 、 そこら の 木 も なんだか ざあっと 鳴っ た よう でし た 。
 329五 人 は 林 の すそ の 藪 の 間 を 行っ たり 岩かけ の 小さく くずれる 所 を 何 べん も 通っ たり し て 、 もう 上 の 野原 の 入り口 に 近く なり まし た 。
 330みんな は そこ まで 来る と 来 た ほう から また 西 の ほう を ながめ まし た 。
 331光っ たり かげっ たり 幾 通り に も 重なっ た たくさん の 丘 の 向こう に 、 川 に 沿っ た ほんとう の 野原 が ぼんやり 碧く ひろがっ て いる の でし た 。
 332「 ありゃ 、 あいづ 川 だ ぞ 。 」
 333「 春日明神さん の 帯 の よう だ な 。 」
 334三郎 が 言い まし た 。
 335「 何 の よう だ ど 。 」
 336一郎 が きき まし た 。
 337「 春日明神さん の 帯 の よう だ 。 」
 338「 うな神さん の 帯 見 だ ごと ある が 。 」
 339「 ぼく 北海道 で 見 た よ 。 」
 340みんな は なん の こと だ か わから ず だまっ て しまい まし た 。
 341ほんとう に そこ は もう 上 の 野原 の 入り口 で 、 きれい に 刈ら れ た 草 の 中 に 一 本 の 大きな 栗 の 木 が 立っ て 、 その 幹 は 根もと の 所 が まっ黒 に 焦げ て 大きな 洞 の よう に なり 、 その 枝 に は 古い 繩 や 、 切れ た わらじ など が つるし て あり まし た 。
 342「 もう 少し 行ぐ づど みんな して 草 刈っ てる ぞ 。
 343それから 馬 の いる どご も ある ぞ 。 」
 344一郎 は 言い ながら 先 に 立っ て 刈っ た 草 の なか の 一 ぽん みち を ぐんぐん 歩き まし た 。
 345三郎 は その 次 に 立っ て 、 「 ここ に は 熊 い ない から 馬 を はなし て おい て も いい なあ 。 」 と 言っ て 歩き まし た 。
 346しばらく 行く と みちばた の 大きな 楢 の 木 の 下 に 、 繩 で 編ん だ 袋 が 投げ出し て あっ て 、 たくさん の 草たば が あっち に も こっち に も ころがっ て い まし た 。
 347せなか に 草束 を しょっ た 二 匹 の 馬 が 、 一郎 を 見 て 鼻 を ぷるぷる 鳴らし まし た 。
 348「 兄 な 、 いる が 。
 349兄 な 、 来 た ぞ 。 」
 350一郎 は 汗 を ぬぐい ながら 叫び まし た 。
 351「 おおい 。
 352あ あい 。
 353そこ に いろ 。
 354今 行ぐ ぞ 。 」
 355ずうっと 向こう の くぼみ で 、 一郎 の にいさん の 声 が し まし た 。
 356日 は ぱっと 明るく なり 、 にいさん が そっち の 草 の 中 から 笑っ て 出 て 来 まし た 。
 357「 善ぐ 来 た な 。
 358みんな も 連れ で 来 た の が 。
 359善ぐ 来 た 。
 360戻り に 馬こ 連れ で て けろ な 。
 361きょう あ 午ま がら きっと 曇る 。
 362おら もう 少し 草 集め て 仕舞 がら な 、
 363うなだ 遊ば ば あの 土手 の 中 さ はいっ て ろ 。
 364まだ 牧馬 の 馬 二十 匹 ばかり は いる がら な 。 」
 365にいさん は 向こう へ 行こ う と し て 、 振り向い て また 言い まし た 。
 366「 土手 がら 外 さ 出はる な よ 。
 367迷っ て しまう づど あぶない がら な 。
 368午ま に なっ たら また 来る がら 。 」
 369「 うん 。
 370土手 の 中 に いる がら 。 」
 371そして 一郎 の にいさん は 行っ て しまい まし た 。
 372空 に は うすい 雲 が すっかり かかり 、 太陽 は 白い 鏡 の よう に なっ て 、 雲 と 反対 に 馳せ まし た 。
 373風 が 出 て 来 て まだ 刈っ て い ない 草 は 一面 に 波 を 立て ます 。
 374一郎 は さき に たっ て 小さな みち を まっすぐ に 行く と 、 まもなく どて に なり まし た 。
 375その 土手 の 一 とこ ちぎれ た ところ に 二 本 の 丸太 の 棒 を 横 に わたし て あり まし た 。
 376悦治 が それ を くぐろ う と し ます と 、 嘉助 が 、 「 おら こったな もの はずせ だ ぞ 。 」 と 言い ながら 片っぽう の はじ を ぬい て 下 に おろし まし た ので みんな は それ を はね越え て 中 に はいり まし た 。
 377向こう の 少し 小高い ところ に てかてか 光る 茶いろ の 馬 が 七 匹 ばかり 集まっ て 、 しっぽ を ゆるやか に ばしゃばしゃ ふっ て いる の です 。
 378「 この 馬 みんな 千円以上 する づ も な 。
 379来年 がら みんな 競馬 さ も 出 はる の だ づ ぢゃい 。 」
 380一郎 は そば へ 行き ながら 言い まし た 。
 381馬 は みんな いま まで さびしくっ て しよう なかっ た と いう よう に 一郎たち の ほう へ 寄っ て き まし た 。
 382そして 鼻づら を ずうっと のばし て 何 か ほし そう に する の です 。
 383「 ははあ 、 塩 を けろ づ の だ な 。 」
 384みんな は 言い ながら 手 を 出し て 馬 に なめ させ たり し まし た が 、 三郎 だけ は 馬 に なれ て い ない らしく 気味わる そう に 手 を ポケット へ 入れ て しまい まし た 。
 385「 わあ 、 又三郎 馬 おっかながる ぢゃい 。 」 と 悦治 が 言い まし た 。
 386すると 三郎 は 、 「 こわく なんか ない やい 。 」 と 言い ながら すぐ ポケット の 手 を 馬 の 鼻づら へ のばし まし た が 、 馬 が 首 を のばし て 舌 を べろり と 出す と 、 さっと 顔いろ を 変え て すばやく また 手 を ポケット へ 入れ て しまい まし た 。
 387「 わあい 、 又三郎 馬 おっかながる ぢゃい 。 」
 388悦治 が また 言い まし た 。
 389すると 三郎 は すっかり 顔 を 赤く し て しばらく もじもじ し て い まし た が 、 「 そんなら 、 みんな で 競馬 やる か 。 」 と 言い まし た 。
 390競馬 って どう する の か と みんな 思い まし た 。
 391すると 三郎 は 、 「 ぼく 競馬 何べん も 見 た ぞ 。
 392けれども この 馬 みんな 鞍 が ない から 乗れ ない や 。
 393みんな で 一 匹 ずつ 馬 を 追っ て 、 はじめ に 向こう の 、 そら 、 あの 大きな 木 の ところ に 着い た もの を 一 等 に し よう 。 」
 394「 そいづ おもしろい な 。 」
 395嘉助 が 言い まし た 。
 396「 しから える ぞ 。
 397牧夫 に 見つけら え で がら 。 」
 398「 大丈夫 だ よ 。
 399競馬 に 出る 馬 なんか 練習 を し て い ない と いけ ない ん だい 。 」
 400三郎 が 言い まし た 。
 401「 よし おら この 馬 だ ぞ 。 」
 402「 おら この 馬 だ 。 」
 403「 そんなら ぼく は この 馬 で も いい や 。 」
 404みんな は 楊 の 枝 や 萱 の 穂 で しゅう と 言い ながら 馬 を 軽く 打ち まし た 。
 405ところが 馬 は ちっとも びくとも し ませ ん でし た 。
 406やはり 下 へ 首 を たれ て 草 を かい だり 、 首 を のばし て そこら の けしき を もっと よく 見る と いう よう に し て いる の です 。
 407一郎 が そこ で 両手 を ぴしゃん と 打ち合わせ て 、 だあ 、 と 言い まし た 。
 408すると にわか に 七 匹 とも まるで たてがみ を そろえ て かけ出し た の です 。
 409「 うまあい 。 」
 410嘉助 は はね上がっ て 走り まし た 。
 411けれども それ は どう も 競馬 に は なら ない の でし た 。
 412第一 、 馬 は どこ まで も 顔 を ならべ て 走る の でし た し 、 それ に そんな に 競馬 する くらい 早く 走る の で も なかっ た の です 。
 413それでも みんな は おもしろがっ て 、 だあだ と 言い ながら 一生けん命 その あと を 追い まし た 。
 414馬 は すこし 行く と 立ちどまり そう に なり まし た 。
 415みんな も すこし はあはあ し まし た が 、 こらえ て また 馬 を 追い まし た 。
 416すると いつ か 馬 は ぐるっ と さっき の 小高い ところ を まわっ て 、 さっき 五 人 で はいっ て 来 た どて の 切れ た 所 へ 来 た の です 。
 417「 あ 、 馬 出はる 、
 418馬 出はる 。
 419押えろ 押えろ 。 」
 420一郎 は まっ青 に なっ て 叫び まし た 。
 421じっさい 馬 は どて の 外 へ 出 た の らしい の でし た 。
 422どんどん 走っ て 、 もう さっき の 丸太 の 棒 を 越え そう に なり まし た 。
 423一郎 は まるで あわて て 、 「 どう 、 どう 、 どう どう 。 」 と 言い ながら 一生けん命 走っ て 行っ て 、 やっと そこ へ 着い て まるで ころぶ よう に し ながら 手 を ひろげ た とき は 、 その とき は もう 二 匹 は 柵 の 外 へ 出 て い た の です 。
 424「 早ぐ 来 て 押えろ 。
 425早ぐ 来 て 。 」
 426一郎 は 息 も 切れる よう に 叫び ながら 丸太棒 を もと の よう に し まし た 。
 427四 人 は 走っ て 行っ て 急い で 丸太 を くぐっ て 外 へ 出 ます と 、 二 匹 の 馬 は もう 走る で も なく 、 どて の 外 に 立っ て 草 を 口 で 引っぱっ て 抜く よう に し て い ます 。
 428「 そろそろど 押えろ よ 。 そろそろど 。 」 と 言い ながら 一郎 は 一 ぴき の くつわ に つい た 札 の ところ を しっかり 押え まし た 。
 429嘉助 と 三郎 が もう 一 匹 を 押え よう と そば へ 寄り ます と 、 馬 は まるで おどろい た よう に どて へ 沿っ て 一目散 に 南 の ほう へ 走っ て しまい まし た 。
 430「 兄な 、 馬あ 逃げる 、 馬あ 逃げる 。 兄な 、 馬 逃げる 。 」 と うしろ で 一郎 が 一生けん命 叫ん で い ます 。
 431三郎 と 嘉助 は 一生けん命 馬 を 追い まし た 。
 432ところが 馬 は もう 今度 こそ ほんとう に 逃げる つもり らしかっ た の です 。
 433まるで 丈 ぐらい ある 草 を わけて 高み に なっ たり 低く なっ たり 、 どこ まで も 走り まし た 。
 434嘉助 は もう 足 が しびれ て しまっ て 、 どこ を どう 走っ て いる の か わから なく なり まし た 。
 435それから まわり が まっ蒼 に なっ て 、 ぐるぐる 回り 、 とうとう 深い 草 の 中 に 倒れ て しまい まし た 。
 436馬 の 赤い たてがみ と 、 あと を 追っ て 行く 三郎 の 白い シャッポ が 終わり に ちらっと 見え まし た 。
 437嘉助 は 、 仰向け に なっ て 空 を 見 まし た 。
 438空 が まっ白 に 光っ て 、 ぐるぐる 回り 、 その こちら を 薄い ねずみ色 の 雲 が 、 速く 速く 走っ て い ます 。
 439そして カンカン 鳴っ て い ます 。
 440嘉助 は やっと 起き上がっ て 、 せかせか 息 し ながら 馬 の 行っ た ほう に 歩き出し まし た 。
 441草 の 中 に は 、 今 馬 と 三郎 が 通っ た 跡 らしく 、 かすか な 道 の よう な もの が あり まし た 。
 442嘉助 は 笑い まし た 。
 443そして 、 ( ふん 、 なあに 馬 どこ か で こわく なっ て のっこり 立っ てる さ 、 ) と 思い まし た 。
 444そこ で 嘉助 は 、 一生懸命 それ を つけ て 行き まし た 。
 445ところが その 跡 の よう な もの は 、 まだ 百 歩 も 行か ない うち に 、 おとこえし や 、 すてき に 背 の 高い あざみ の 中 で 、 二 つ に も 三 つ に も 分かれ て しまっ て 、 どれ が どれ やら いっこう わから なく なっ て しまい まし た 。
 446嘉助 は 「 おうい 。 」 と 叫び まし た 。
 447「 おう 。 」 と どこ か で 三郎 が 叫ん で いる よう です 。
 448思い切っ て 、 その まん中 の を 進み まし た 。
 449けれども それ も 、 時々 切れ たり 、 馬 の 歩か ない よう な 急 な 所 を 横ざま に 過ぎ たり する の でし た 。
 450空 は たいへん 暗く 重く なり 、 まわり が ぼうっと かすん で 来 まし た 。
 451冷たい 風 が 、 草 を 渡り はじめ 、 もう 雲 や 霧 が 切れ切れ に なっ て 目 の 前 を ぐんぐん 通り過ぎ て 行き まし た 。
 452( ああ 、 こいつ は 悪く なっ て 来 た 。
 453みんな 悪い こと は これ から 集っ て やって来る の だ 。 ) と 嘉助 は 思い まし た 。
 454全く その とおり 、 にわか に 馬 の 通っ た 跡 は 草 の 中 で なくなっ て しまい まし た 。
 455( ああ 、 悪く なっ た 、
 456悪く なっ た 。 )
 457嘉助 は 胸 を どきどき さ せ まし た 。
 458草 が からだ を 曲げ て 、 パチパチ 言っ たり 、 さらさら 鳴っ たり し まし た 。
 459霧 が こと に 滋く なっ て 、 着物 は すっかり しめっ て しまい まし た 。
 460嘉助 は 咽喉いっぱい 叫び まし た 。
 461「 一郎 、 一郎 、 こっち さ 来う 。 」
 462ところが なん の 返事 も 聞こえ ませ ん 。
 463黒板 から 降る 白墨 の 粉 の よう な 、 暗い 冷たい 霧 の 粒 が 、 そこら 一面 踊り まわり 、 あたり が にわか に シイン として 、 陰気 に 陰気 に なり まし た 。
 464草 から は 、 もう しずく の 音 が ポタリ ポタリ と 聞こえ て 来 ます 。
 465嘉助 は 、 もう 早く 一郎たち の 所 へ 戻ろ う と し て 急い で 引っ返し まし た 。
 466けれども どう も 、 それ は 前 に 来 た 所 と は 違っ て い た よう でし た 。
 467第一 、 あざみ が あんまり たくさん あり まし た し 、 それ に 草 の 底 に さっき なかっ た 岩かけ が 、 たびたび ころがっ て い まし た 。
 468そして とうとう 聞い た こと も ない 大きな 谷 が 、 いきなり 目 の 前 に 現われ まし た 。
 469すすき が ざわざわざわっ と 鳴り 、 向こう の ほう は 底 知れ ず の 谷 の よう に 、 霧 の 中 に 消え て いる で は あり ませ ん か 。
 470風 が 来る と 、 すすき の 穂 は 細い たくさん の 手 を いっぱい のばし て 、 忙しく 振っ て 、 「 あ 、 西さん 、 あ 、 東さん 、 あ 、 西さん 、 あ 、 南さん 、 あ 、 西さん 。 」 なんて 言っ て いる よう でし た 。
 471嘉助 は あんまり 見っともなかっ た ので 、 目 を つむっ て 横 を 向き まし た 。
 472そして 急い で 引っ返し まし た 。
 473小さな 黒い 道 が いきなり 草 の 中 に 出 て 来 まし た 。
 474それ は たくさん の 馬 の ひづめ の 跡 で できあがっ て い た の です 。
 475嘉助 は 夢中 で 短い 笑い声 を あげ て 、 その 道 を ぐんぐん 歩き まし た 。
 476けれども 、 たより の ない こと は 、 みち の はば が 五 寸 ぐらい に なっ たり 、 また 三 尺 ぐらい に 変わっ たり 、 おまけ に なんだか ぐるっ と 回っ て いる よう に 思わ れ まし た 。
 477そして 、 とうとう 大きな てっぺん の 焼け た 栗 の 木 の 前 まで 来 た 時 、 ぼんやり 幾 つ に も 別れ て しまい まし た 。
 478そこ は たぶん は 、 野馬 の 集まり場所 で あっ た でしょう 。
 479霧 の 中 に 丸い 広場 の よう に 見え た の です 。
 480嘉助 は がっかり し て 、 黒い 道 を また 戻り はじめ まし た 。
 481知ら ない 草穂 が 静か に ゆらぎ 、 少し 強い 風 が 来る 時 は 、 どこ か で 何 か が 合図 を し て でも いる よう に 、 一面 の 草 が 、 それ 来 た っと みな からだ を 伏せ て 避け まし た 。
 482空 が 光っ て キインキイン と 鳴っ て い ます 。
 483それ から すぐ 目 の 前 の 霧 の 中 に 、 家 の 形 の 大きな 黒い もの が あらわれ まし た 。
 484嘉助 は しばらく 自分 の 目 を 疑っ て 立ちどまっ て い まし た が 、 やはり どう し て も 家 らしかっ た ので 、 こわごわ もっと 近寄っ て 見 ます と 、 それ は 冷たい 大きな 黒い 岩 でし た 。
 485空 が くるくるくるっ と 白く 揺らぎ 、 草 が バラッと 一 度 に しずく を 払い まし た 。
 486( 間違っ て 原 の 向こう側 へ おりれ ば 、 又三郎 も おれ も 、 もう 死ぬ ばかり だ 。 ) と 嘉助 は 半分 思う よう に 半分 つぶやく よう に し まし た 。
 487それから 叫び まし た 。
 488「 一郎 、 一郎 、 いる が 。
 489一郎 。 」
 490また 明るく なり まし た 。
 491草 が みな いっせいに よろこび の 息 を し ます 。
 492「 伊佐戸 の 町 の 、 電気工夫 の 童 あ 、 山男 に 手足い しばら え て たふ だ 。 」 と いつ か だれ か の 話し た 言葉 が 、 はっきり 耳 に 聞こえ て 来 ます 。
 493そして 、 黒い 道 が にわか に 消え て しまい まし た 。
 494あたり が ほんの しばらく しいんと なり まし た 。
 495それから 非常 に 強い 風 が 吹い て 来 まし た 。
 496空 が 旗 の よう に ぱたぱた 光っ て 飜り 、 火花 が パチパチパチッ と 燃え まし た 。
 497嘉助 は とうとう 草 の 中 に 倒れ て ねむっ て しまい まし た 。
 498そんな こと は みんな どこ か の 遠い できごと の よう でし た 。
 499もう 又三郎 が すぐ 目 の 前 に 足 を 投げだし て だまっ て 空 を 見あげ て いる の です 。
 500いつ か いつも の ねずみいろ の 上着 の 上 に ガラス の マント を 着 て いる の です 。
 501それから 光る ガラス の 靴 を はい て いる の です 。
 502又三郎 の 肩 に は 栗 の 木 の 影 が 青く 落ち て い ます 。
 503又三郎 の 影 は 、 また 青く 草 に 落ち て い ます 。
 504そして 風 が どんどん どんどん 吹い て いる の です 。
 505又三郎 は 笑い も し なけれ ば 物 も 言い ませ ん 。
 506ただ 小さな くちびる を 強 そう に きっと 結ん だ まま 黙っ て そら を 見 て い ます 。
 507いきなり 又三郎 は ひらっ と そら へ 飛びあがり まし た 。
 508ガラス の マント が ギラギラ 光り まし た 。
 509ふと 嘉助 は 目 を ひらき まし た 。
 510灰いろ の 霧 が 速く 速く 飛ん で い ます 。
 511そして 馬 が すぐ 目 の 前 に のっそり と 立っ て い た の です 。
 512その 目 は 嘉助 を 恐れ て 横 の ほう を 向い て い まし た 。
 513嘉助 は はね上がっ て 馬 の 名札 を 押え まし た 。
 514その うしろ から 三郎 が まるで 色 の なくなっ た くちびる を きっと 結ん で こっち へ 出 て き まし た 。
 515嘉助 は ぶるぶる ふるえ まし た 。
 516「 おうい 。 」
 517霧 の 中 から 一郎 の にいさん の 声 が し まし た 。
 518雷 も ごろごろ 鳴っ て い ます 。
 519「 おおい 、 嘉助 。
 520いる が 。
 521嘉助 。 」
 522一郎 の 声 も し まし た 。
 523嘉助 は よろこん で とびあがり まし た 。
 524「 おおい 。
 525いる 、 いる 。
 526一郎 。
 527おおい 。 」
 528一郎 の にいさん と 一郎 が 、 とつぜん 目 の 前 に 立ち まし た 。
 529嘉助 は にわか に 泣き出し まし た 。
 530「 捜し た ぞ 。
 531あぶながっ た ぞ 。
 532すっかり ぬれ だ な 。
 533どう 。 」
 534一郎 の にいさん は なれ た 手つき で 馬 の 首 を 抱い て 、 もっ て き た くつわ を すばやく 馬 の くち に はめ まし た 。
 535「 さあ 、 あべ さ 。 」
 536「 又三郎 びっくりし た べあ 。 」
 537一郎 が 三郎 に 言い まし た 。
 538三郎 は だまっ て 、 やっぱり きっと 口 を 結ん で うなずき まし た 。
 539みんな は 一郎 の にいさん に つい て 、 ゆるい 傾斜 を 二 つ ほど のぼり降り し まし た 。
 540それから 、 黒い 大きな 道 に つい て 、 しばらく 歩き まし た 。
 541稲光り が 二 度 ばかり 、 かすか に 白く ひらめき まし た 。
 542草 を 焼く におい が し て 、 霧 の 中 を 煙 が ぼうっと 流れ て い ます 。
 543一郎 の にいさん が 叫び まし た 。
 544「 おじいさん 。
 545い だ 、 い だ 。
 546みんな い だ 。 」
 547おじいさん は 霧 の 中 に 立っ て い て 、 「 ああ 心配 し た 、 心配 し た 。 ああ よがっ た 。 おお 嘉助 。 寒が べあ 、 さあ はい れ 。 」 と 言い まし た 。
 548嘉助 は 一郎 と 同じ よう に やはり この おじいさん の 孫 な よう でし た 。
 549半分 に 焼け た 大きな 栗 の 木 の 根もと に 、 草 で 作っ た 小さな 囲い が あっ て 、 チョロチョロ 赤い 火 が 燃え て い まし た 。
 550一郎 の にいさん は 馬 を 楢 の 木 に つなぎ まし た 。
 551馬 も ひひん と 鳴い て い ます 。
 552「 おおむぞやな 。
 553な 。
 554なんぼ が 泣い だ がな 。
 555その わろ は 金山掘り の わろ だ な 。
 556さあ さあ みんな 団子 たべろ 。
 557食べろ 。
 558な 、 今 こっち を 焼ぐ がら な 。
 559全体 どこ まで 行っ て だった 。 」
 560「 笹長根 の おり口 だ 。 」 と 一郎 の にいさん が 答え まし た 。
 561「 あぶないがっ た 。
 562あぶないがっ た 。
 563向こう さ 降り だら 馬 も 人 も それっ切り だっ た ぞ 。
 564さあ 嘉助 、 団子 食べろ 。
 565この わろ も たべろ 。
 566さあ さあ 、 こいづ も 食べろ 。 」
 567「 おじいさん 。 馬 置い で くる が 。 」 と 一郎 の にいさん が 言い まし た 。
 568「 うん うん 。
 569牧夫 来る ど まだ やがまし がら な 、
 570したども 、 も 少し 待で 。
 571また すぐ 晴れる 。
 572あ あ 心配 し た 。
 573おれ も 虎こ山 の 下 まで 行っ て 見 で 来 た 。
 574はあ 、 まんつ よがっ た 。
 575雨 も 晴れる 。 」
 576「 けさ ほんと に 天気 よがっ た のに な 。 」
 577「 うん 。
 578また よぐなる さ 、
 579あ 、 雨 漏っ て 来 た な 。 」
 580一郎 の にいさん が 出 て 行き まし た 。
 581天井 が ガサガサ ガサガサ 言い ます 。
 582おじいさん が 笑い ながら それ を 見上げ まし た 。
 583にいさん が また はいっ て 来 まし た 。
 584「 おじいさん 。
 585明るぐ なっ た 。
 586雨 あ 霽れ だ 。 」
 587「 うん うん 、 そう が 。
 588さあ みんな よっく 火 に あだれ 、
 589おら また 草 刈る がら な 。 」
 590霧 が ふっと 切れ まし た 。
 591日 の 光 が さっと 流れ て はいり まし た 。
 592その 太陽 は 、 少し 西 の ほう に 寄っ て かかり 、 幾片 か の 蝋 の よう な 霧 が 、 逃げ おくれ て しかたなし に 光り まし た 。
 593草 から は しずく が きらきら 落ち 、 すべて の 葉 も 茎 も 花 も 、 ことし の 終わり の 日 の 光 を 吸っ て い ます 。
 594はるか な 西 の 碧い 野原 は 、 今 泣きやん だ よう に まぶしく 笑い 、 向こう の 栗 の 木 は 青い 後光 を 放ち まし た 。
 595みんな は もう 疲れ て 一郎 を さき に 野原 を おり まし た 。
 596わき水 の ところ で 三郎 は やっぱり だまっ て 、 きっと 口 を 結ん だ まま みんな に 別れ て 、 じぶん だけ おとうさん の 小屋 の ほう へ 帰っ て 行き まし た 。
 597帰り ながら 嘉助 が 言い まし た 。
 598「 あいづ やっぱり 風の神 だ ぞ 。
 599風の神 の 子っ子 だ ぞ 。
 600あそご さ 二人 して 巣食っ てる ん だ ぞ 。 」
 601「 そだ ない よ 。 」
 602一郎 が 高く 言い まし た 。
 603次 の 日 は 朝 の うち は 雨 でし た が 、 二 時間目 から だんだん 明るく なっ て 三 時間目 の 終わり の 十分休み に は とうとう すっかり やみ 、 あちこち に 削っ た よう な 青ぞら も でき て 、 その 下 を まっ白 な うろこ雲 が どんどん 東 へ 走り 、 山 の 萱 から も 栗 の 木 から も 残り の 雲 が 湯げ の よう に 立ち まし た 。
 604「 下がっ たら 葡萄蔓 とり に 行が ない が 。 」
 605耕助 が 嘉助 に そっと 言い まし た 。
 606「 行ぐ 行ぐ 。
 607三郎 も 行が ない が 。 」
 608嘉助 が さそい まし た 。
 609耕助 は 、 「 わあい 、 あそご 三郎 さ 教える や ない ぢゃ 。 」 と 言い まし た が 三郎 は 知ら ない で 、 「 行く よ 。 ぼく は 北海道 で も とっ た ぞ 。 ぼく の おかあさん は 樽 へ 二 っつ 漬け た よ 。 」 と 言い まし た 。
 610「 葡萄とり に おら も 連れ で が ない が 。 」
 611二 年生 の 承吉 も 言い まし た 。
 612「 わが ない ぢゃ 。
 613う など さ 教える や ない ぢゃ 。
 614おら 去年 な 新しい どご 見つけ だ ぢゃ 。 」
 615みんな は 学校 の 済む の が 待ち遠しかっ た の でし た 。
 616五 時間目 が 終わる と 、 一郎 と 嘉助 と 佐太郎 と 耕助 と 悦治 と 三郎 と 六 人 で 学校 から 上流 の ほう へ 登っ て 行き まし た 。
 617少し 行く と 一 けん の 藁やね の 家 が あっ て 、 その 前 に 小さな たばこ畑 が あり まし た 。
 618たばこ の 木 は もう 下 の ほう の 葉 を つん で ある ので 、 その 青い 茎 が 林 の よう に きれい に ならん で いかに も おもしろ そう でし た 。
 619すると 三郎 は いきなり 、 「 なん だい 、 この 葉 は 。 」 と 言い ながら 葉 を 一 枚 むしっ て 一郎 に 見せ まし た 。
 620すると 一郎 は びっくり し て 、 「 わあ 、 又三郎 、 たばご の 葉 とる づど 専売局 に うんと しから れる ぞ 。 わあ 、 又三郎 何して とっ た 。 」 と 少し 顔いろ を 悪く し て 言い まし た 。
 621みんな も 口々に 言い まし た 。
 622「 わあい 。
 623専売局 であ 、 この 葉 一 枚 ずつ 数え で 帳面 さ つけ でる だ 。
 624おら 知ら ない ぞ 。 」
 625「 おら も 知ら ない ぞ 。 」
 626「 おら も 知ら ない ぞ 。 」
 627みんな 口 を そろえ て はやし まし た 。
 628すると 三郎 は 顔 を まっ赤 に し て 、 しばらく それ を 振り回し て 何 か 言お う と 考え て い まし た が 、 「 おら 知ら ない で とっ た ん だい 。 」 と おこっ た よう に 言い まし た 。
 629みんな は こわ そう に 、 だれ か 見 て い ない か という よう に 向こう の 家 を 見 まし た 。
 630たばこばたけ から もうもう と あがる 湯げ の 向こう で 、 その 家 は しいんと し て だれ も い た よう で は あり ませ ん でし た 。
 631「 あの 家 一 年生 の 小助 の 家 だ ぢゃい 。 」
 632嘉助 が 少し なだめる よう に 言い まし た 。
 633ところが 耕助 は はじめ から じぶん の 見つけ た 葡萄藪 へ 、 三郎 だの みんな あんまり 来 て おもしろく なかっ た もん です から 、 意地悪く も いち ど 三郎 に 言い まし た 。
 634「 わあ 、 三郎 なんぼ 知ら ない たって わが ない ん だ ぢゃ 。
 635わあい 、 三郎 もど の とおり に し て まゆ ん だ であ 。 」
 636三郎 は 困っ た よう に し て また しばらく だまっ て い まし た が 、 「 そんなら 、 おいら ここ へ 置い てく から いい や 。 」 と 言い ながら さっき の 木 の 根もと へ そっと その 葉 を 置き まし た 。
 637すると 一郎 は 、 「 早く あ べ 。 」 と 言っ て 先 に たっ て あるきだし まし た ので みんな も つい て 行き まし た が 、 耕助 だけ は まだ 残っ て 「 ほう 、 おら 知ら ない ぞ 。
 638ありゃ 、 又三郎 の 置い た 葉 、 あすご に ある ぢゃい 。 」
 639なんて 言っ て いる の でし た が 、 みんな が どんどん 歩きだし た ので 耕助 も やっと つい て 来 まし た 。
 640みんな は 萱 の 間 の 小さな みち を 山 の ほう へ 少し のぼり ます と 、 その 南側 に 向い た くぼみ に 栗 の 木 が あちこち 立っ て 、 下 に は 葡萄 が もくもく し た 大きな 藪 に なっ て い まし た 。
 641「 こご おれ 見っつけ だ の だ がら みんな あんまり とる や ない ぞ 。 」
 642耕助 が 言い まし た 。
 643すると 三郎 は 、 「 おいら 栗 の ほう を とる ん だい 。 」 と いっ て 石 を 拾っ て 一 つ の 枝 へ 投げ まし た 。
 644青い いが が 一 つ 落ち まし た 。
 645三郎 は それ を 棒きれ で むい て 、 まだ 白い 栗 を 二 つ とり まし た 。
 646みんな は 葡萄 の ほう へ 一生けん命 でし た 。
 647その うち 耕助 が も 一 つ の 藪 へ 行こ う と 一 本 の 栗 の 木 の 下 を 通り ます と 、 いきなり 上 から しずく が 一 ぺん に ざっと 落ち て き まし た ので 、 耕助 は 肩 から せなか から 水 へ はいっ た よう に なり まし た 。
 648耕助 は おどろい て 口 を あい て 上 を 見 まし たら 、 いつ か 木 の 上 に 三郎 が のぼっ て い て 、 なんだか 少し わらい ながら じぶん も 袖ぐち で 顔 を ふい て い た の です 。
 649「 わあい 、 又三郎 何 する 。 」
 650耕助 は うらめし そう に 木 を 見あげ まし た 。
 651「 風 が 吹い た ん だい 。 」
 652三郎 は 上 で くつくつ わらい ながら 言い まし た 。
 653耕助 は 木 の 下 を はなれ て また 別 の 藪 で 葡萄 を とり はじめ まし た 。
 654もう 耕助 は じぶん で も 持て ない くらい あちこち へ ため て い て 、 口 も 紫いろ に なっ て まるで 大きく 見え まし た 。
 655「 さあ 、 この くらい 持っ て 戻ら ない が 。 」
 656一郎 が 言い まし た 。
 657「 おら 、 もっと 取っ て ぐ ぢゃ 。 」
 658耕助 が 言い まし た 。
 659その とき 耕助 は また 頭 から つめたい しずく を ざあっ と かぶり まし た 。
 660耕助 は また びっくり し た よう に 木 を 見上げ まし た が 今度 は 三郎 は 木 の 上 に は い ませ ん でし た 。
 661けれども 木 の 向こう側 に 三郎 の ねずみいろ の ひじ も 見え て い まし た し 、 くつくつ 笑う 声 も し まし た から 、 耕助 は もう すっかり おこっ て しまい まし た 。
 662「 わあい 又三郎 、 まだ ひと さ 水 掛げ だ な 。 」
 663「 風 が 吹い た ん だい 。 」
 664みんな は どっと 笑い まし た 。
 665「 わあい 又三郎 、 うな そご で 木 ゆすっ た け あ なあ 。 」
 666みんな は どっと また 笑い まし た 。
 667すると 耕助 は うらめし そう に しばらく だまっ て 三郎 の 顔 を 見 ながら 、 「 うあい 又三郎 、 汝 など あ 世界 に なくて も いい なあ 。 」
 668すると 三郎 は ずる そう に 笑い まし た 。
 669「 やあ 耕助君 、 失敬 し た ねえ 。 」
 670耕助 は 何 か もっと 別 の こと を 言お う と 思い まし た が 、 あんまり おこっ て しまっ て 考え出す こと が でき ませ ん でし た ので また 同じ よう に 叫び まし た 。
 671「 うあい 、 うあいだ 、 又三郎 、 うな みだい な 風 など 世界じゅう に なくて も いい なあ 、 うわあい 。 」
 672「 失敬 し た よ 、 だって あんまり きみ も ぼく へ 意地悪 を する もん だ から 。 」
 673三郎 は 少し 目 を パチパチ さ せ て 気の毒 そう に 言い まし た 。
 674けれども 耕助 の いかり は なかなか 解け ませ ん でし た 。
 675そして 三 度 同じ こと を くりかえし た の です 。
 676「 うわい 又三郎 、 風 など あ 世界じゅう に なくて も いい な 、 うわい 。 」
 677すると 三郎 は 少し おもしろく なっ た よう で また くつくつ 笑いだし て たずね まし た 。
 678「 風 が 世界じゅう に なくっ て も いい って どういう ん だい 。
 679いい と 箇条 を たて て いっ て ごらん 。
 680そら 。 」
 681三郎 は 先生 みたい な 顔つき を し て 指 を 一 本 だし まし た 。
 682耕助 は 試験 の よう だ し 、 つまらない こと に なっ た と 思っ て たいへん くやしかっ た の です が 、 しかたなく しばらく 考え て から 言い まし た 。
 683「 汝 など 悪戯ばり さ な 、 傘 ぶっこわし たり 。 」
 684「 それからそれから 。 」
 685三郎 は おもしろ そう に 一足 進ん で 言い まし た 。
 686「 それがら 木 折っ たり 転覆 し たり さ な 。 」
 687「 それから 、 それから どう だい 。 」
 688「 家 も ぶっこわさ な 。 」
 689「 それから 。
 690それから 、 あと は どう だい 。 」
 691「 あかし も 消さ な 。 」
 692「 それから あと は ?
 693それから あと は ?
 694どう だい 。 」
 695「 シャップ も とばさ な 。 」
 696「 それから ?
 697それから あと は ?
 698あと は どう だい 。 」
 699「 笠 も とばさ な 。 」
 700「 それからそれから 。 」
 701「 それがら 、 ラ ラ 、 電信ばしら も 倒さ な 。 」
 702「 それから ?
 703それから ?
 704それから ? 」
 705「 それがら 屋根 も とばさ な 。 」
 706「 アア ハハハ 、 屋根 は 家 の うち だい 。
 707どう だ
 708いまだ ある かい 。
 709それから 、 それから ? 」
 710「 それだがら 、 ララ 、 それだがら ランプ も 消さ な 。 」
 711「 アア ハハハハ 、 ランプ は あかし の うち だい 。
 712けれど それ だけ かい 。
 713え 、 おい 。
 714それから ?
 715それからそれから 。 」
 716耕助 は つまっ て しまい まし た 。
 717たいてい もう 言っ て しまっ た の です から 、 いくら 考え て も もう でき ませ ん でし た 。
 718三郎 は いよいよ おもしろ そう に 指 を 一 本 立て ながら 、 「 それから ? それから ? ええ ? それから ? 」 と 言う の でし た 。
 719耕助 は 顔 を 赤く し て しばらく 考え て から やっと 答え まし た 。
 720「 風車 も ぶっこわさ な 。 」
 721すると 三郎 は こんど こそ は まるで 飛び上がっ て 笑っ て しまい まし た 。
 722みんな も 笑い まし た 。
 723笑っ て 笑っ て 笑い まし た 。
 724三郎 は やっと 笑う の を やめ て 言い まし た 。
 725「 そら ごらん 、
 726とうとう 風車 など を 言っ ちゃっ たろ う 。
 727風車 なら 風 を 悪く 思っ ちゃ い ない ん だ よ 。
 728もちろん 時々 こわす こと も ある けれども 回し て やる 時 の ほう が ずっと 多い ん だ 。
 729風車 なら ちっとも 風 を 悪く 思っ て い ない ん だ 。
 730それに 第一 お前 の さっき から の 数えよう は あんまり おかしい や 。
 731ララ 、 ララ 、 ばかり 言っ た ん だろう 。
 732おしまい に とうとう 風車 なんか 数え ちゃっ た 。
 733ああ おかしい 。 」
 734三郎 は また 涙 の 出る ほど 笑い まし た 。
 735耕助 も さっき から あんまり 困っ た ため に おこっ て い た の も だんだん 忘れ て 来 まし た 。
 736そして つい 三郎 と いっしょ に 笑い出し て しまっ た の です 。
 737すると 三郎 も すっかり きげん を 直し て 、 「 耕助君 、 いたずら を し て 済ま なかっ た よ 。 」 と 言い まし た 。
 738「 さあ それ であ 行ぐ べ な 。 」 と 一郎 は 言い ながら 三郎 に ぶどう を 五 ふさ ばかり くれ まし た 。
 739三郎 は 白い 栗 を みんな に 二 つ ずつ 分け まし た 。
 740そして みんな は 下 の みち まで いっしょ に おり て 、 あと は めいめい の うち へ 帰っ た の です 。
 741次 の 朝 は 霧 が じめじめ 降っ て 学校 の うしろ の 山 も ぼんやり しか 見え ませ ん でし た 。
 742ところが きょう も 二 時間目 ころ から だんだん 晴れ て まもなく 空 は まっ青 に なり 、 日 は かんかん 照っ て 、 お午 に なっ て 一 、 二 年 が 下がっ て しまう と まるで 夏 の よう に 暑く なっ て しまい まし た 。
 743ひるすぎ は 先生 も たびたび 教壇 で 汗 を ふき 、 四 年生 の 習字 も 五 年生 六 年生 の 図画 も まるで むし暑く て 、 書き ながら うとうと する の でし た 。
 744授業 が 済む と みんな は すぐ 川下 の ほう へ そろっ て 出かけ まし た 。
 745嘉助 が 、 「 又三郎 、 水泳ぎ に 行が ない が 。 小さい やづど 今ころ みんな 行っ てる ぞ 。 」 と 言い まし た ので 三郎 も つい て 行き まし た 。
 746そこ は この 前 上 の 野原 へ 行っ た ところ よりも 、 も 少し 下流 で 右 の ほう から も 一 つ の 谷川 が はいっ て 来 て 、 少し 広い 河原 に なり 、 すぐ 下流 は 大きな さいかち の 木 の はえ た 崖 に なっ て いる の でし た 。
 747「 おおい 。 」 と さき に 来 て いる こどもら が はだか で 両手 を あげ て 叫び まし た 。
 748一郎 や みんな は 、 河原 の ねむの木 の 間 を まるで 徒競走 の よう に 走っ て 、 いきなり きもの を ぬぐ と すぐ どぶんどぶん と 水 に 飛び込ん で 両足 を かわるがわる 曲げ て 、 だあんだあん と 水 を たたく よう に し ながら 斜め に ならん で 向こう岸 へ 泳ぎ はじめ まし た 。
 749前 に い た こどもら も あと から 追い付い て 泳ぎ はじめ まし た 。
 750三郎 も きもの を ぬい で みんな の あと から 泳ぎ はじめ まし た が 、 途中 で 声 を あげ て わらい まし た 。
 751すると 向こう岸 に つい た 一郎 が 、 髪 を あざらし の よう に し て くちびる を 紫 に し て わくわく ふるえ ながら 、 「 わあ 又三郎 、 何して わらっ た 。 」 と 言い まし た 。
 752三郎 は やっぱり ふるえ ながら 水 から あがっ て 、 「 この 川 冷たい なあ 。 」 と 言い まし た 。
 753「 又三郎 何して わらっ た ? 」
 754一郎 は また きき まし た 。
 755三郎 は 、 「 おまえたち の 泳ぎ方 は おかしい や 。 なぜ 足 を だぶだぶ 鳴らす ん だい 。 」 と 言い ながら また 笑い まし た 。
 756「 うわあい 。 」 と 一郎 は 言い まし た が 、 なんだか きまり が 悪く なっ た よう に 、 「 石取り さ ない が 。 」 と 言い ながら 白い 丸い 石 を ひろい まし た 。
 757「 する する 。 」
 758こどもら が みんな 叫び まし た 。
 759「 おれ それで あ 、 あの 木 の 上 がら 落とす がら な 。 」 と 一郎 は 言い ながら 崖 の 中ごろ から 出 て いる さいかち の 木 へ するする のぼっ て 行き まし た 。
 760そして 、 「 さあ 落とす ぞ 。 一二三 。 」 と 言い ながら その 白い 石 を どぶん 、 と 淵 へ 落とし まし た 。
 761みんな は われ 勝ち に 岸 から まっさかさま に 水 に とび込ん で 、 青白い らっこ の よう な 形 を し て 底 へ もぐっ て 、 その 石 を とろ う と し まし た 。
 762けれども みんな 底 まで 行か ない に 息 が つまっ て 浮かびだし て 来 て 、 かわるがわる ふう と そこら へ 霧 を ふき まし た 。
 763三郎 は じっと みんな の する の を 見 て い まし た が 、 みんな が 浮かん で き て から じぶん も どぶん と はいっ て 行き まし た 。
 764けれども やっぱり 底 まで 届か ずに 浮い て き た ので みんな は どっと 笑い まし た 。
 765その とき 向こう の 河原 の ねむの木 の ところ を 大人 が 四 人 、 肌ぬぎ に なっ たり 、 網 を もっ たり し て こっち へ 来る の でし た 。
 766すると 一郎 は 木 の 上 で まるで 声 を ひくく し て みんな に 叫び まし た 。
 767「 おお 、 発破 だ ぞ 。
 768知ら ない ふり し て ろ 。
 769石とり やめ で 早ぐ みんな 下流 さ さがれ 。 」
 770そこで みんな は 、 なるべく そっち を 見 ない ふり を し ながら 、 いっしょ に 砥石 を ひろっ たり 、 鶺鴒 を 追っ たり し て 、 発破 の こと なぞ 、 すこし も 気がつか ない ふり を し て い まし た 。
 771すると 向こう の 淵 の 岸 で は 、 下流 の 坑夫 を し て い た 庄助 が 、 しばらく あちこち 見まわし て から 、 いきなり あぐら を かい て 砂利 の 上 へ すわっ て しまい まし た 。
 772それから ゆっくり 腰 から たばこ入れ を とっ て 、 きせる を くわえ て ぱくぱく 煙 を ふきだし まし た 。
 773奇体 だ と 思っ て い まし たら 、 また 腹かけ から 何 か 出し まし た 。
 774「 発破 だ ぞ 、
 775発破 だ ぞ 。 」
 776と みんな 叫び まし た 。
 777一郎 は 手 を ふっ て それ を とめ まし た 。
 778庄助 は 、 きせる の 火 を しずか に それ へ うつし まし た 。
 779うしろ に い た 一人 は すぐ 水 に はいっ て 網 を かまえ まし た 。
 780庄助 は まるで 落ちつい て 、 立っ て 一 あし 水 に はいる と すぐ その 持っ た もの を 、 さいかち の 木 の 下 の ところ へ 投げこみ まし た 。
 781すると まもなく 、 ぼお という よう な ひどい 音 が し て 水 は むくっ と 盛りあがり 、 それから しばらく そこら あたり が きいん と 鳴り まし た 。
 782向こう の 大人たち は みんな 水 へ はいり まし た 。
 783「 さあ 、 流れ て 来る ぞ 。 みんな とれ 。 」 と 一郎 が 言い まし た 。
 784まもなく 耕助 は 小指 ぐらい の 茶いろ な かじか が 横向き に なっ て 流れ て 来 た の を つかみ まし た し 、 その うしろ で は 嘉助 が 、 まるで 瓜 を すする とき の よう な 声 を 出し まし た 。
 785それ は 六 寸 ぐらい ある 鮒 を とっ て 、 顔 を まっ赤 に し て よろこん で い た の です 。
 786それから みんな とっ て 、 わあわあ よろこび まし た 。
 787「 だまっ て ろ 、 だまっ て ろ 。 」
 788一郎 が 言い まし た 。
 789その とき 向こう の 白い 河原 を 肌ぬぎ に なっ たり 、 シャツ だけ 着 たり し た 大人 が 五六 人 かけ て 来 まし た 。
 790その うしろ から は ちょうど 活動写真 の よう に 、 一人 の 網シャツ を 着 た 人 が 、 はだか馬 に 乗っ て まっしぐら に 走っ て 来 まし た 。
 791みんな 発破 の 音 を 聞い て 見 に 来 た の です 。
 792庄助 は しばらく 腕 を 組ん で みんな の とる の を 見 て い まし た が 、 「 さっぱり い ない な 。 」 と 言い まし た 。
 793すると 三郎 が いつ の ま に か 庄助 の そば へ 行っ て い まし た 。
 794そして 中 くらい の 鮒 を 二 匹 、 「 魚 返す よ 。 」 と いっ て 河原 へ 投げる よう に 置き まし た 。
 795すると 庄助 が 、 「 なん だ この 童あ 、 きたい な やづ だ な 。 」 と 言い ながら じろじろ 三郎 を 見 まし た 。
 796三郎 は だまっ て こっち へ 帰っ て き まし た 。
 797庄助 は 変 な 顔 を し て み て い ます 。
 798みんな は どっと わらい まし た 。
 799庄助 は だまっ て また 上流 へ 歩きだし まし た 。
 800ほか の おとなたち も つい て 行き 、 網シャツ の 人 は 馬 に 乗っ て 、 また かけ て 行き まし た 。
 801耕助 が 泳い で 行っ て 三郎 の 置い て 来 た 魚 を 持っ て き まし た 。
 802みんな は そこ で また わらい まし た 。
 803「 発破 かけ だら 、 雑魚 撒か せ 。 」
 804嘉助 が 河原 の 砂っぱ の 上 で 、 ぴょんぴょん はね ながら 高く 叫び まし た 。
 805みんな は とっ た 魚 を 石 で 囲ん で 、 小さな 生け州 を こしらえ て 、 生きかえっ て も もう 逃げ て 行か ない よう に し て 、 また 上流 の さいかち の 木 へ のぼり はじめ まし た 。
 806ほんとう に 暑く なっ て 、 ねむの木 も まるで 夏 の よう に ぐったり 見え まし た し 、 空 も まるで 底なし の 淵 の よう に なり まし た 。
 807その ころ だれ か が 、 「 あ 、 生け州 ぶっこわす とこ だ ぞ 。 」 と 叫び まし た 。
 808見る と 一人 の 変 に 鼻 の とがっ た 、 洋服 を 着 て わらじ を はい た 人 が 、 手 に は ステッキ みたい な もの を もっ て 、 みんな の 魚 を ぐちゃぐちゃ かきまわし て いる の でし た 。
 809その 男 は こっち へ びちゃびちゃ 岸 を あるい て 来 まし た 。
 810「 あ 、 あいづ 専売局 だ ぞ 。
 811専売局 だ ぞ 。 」