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aozora_Nakaya-1900のコンテキスト表示

title Hikaku kagakuron
author Nakaya, Ukichiro
date 1959
source Aozora Bunko (http://www.aozora.gr.jp/cards/001569/card53214.html)
genre essay
subcorpus Aozora Bunko
terms of use Creative Commons license


 1比較科学論
 2中谷宇吉郎
 3一 研究 における 二 つ の 型
 4科学 が 今日 の よう に 発達 し て 来る と 、 専門 の 分野 が 、 非常 に 多岐 に 分れ て 、 研究 の 方法 も 、 千差万別 の 観 を 呈し て いる 。
 5事実 、 使わ れ て いる 機械 や 、 研究遂行 の やり方 を 見る と 、 正に 千差万別 で ある 。
 6しかし それら の 研究方法 を 概観 する と 、 二 つ の 型 に 分類 する こと が できる 。
 7その 一 つ は 、 今日 精密科学 と いわ れ て いる 科学 の ほとんど 全分野 にわたって 、 用い られ て いる 研究 の 型 で ある 。
 8問題 を 詳細 に 検討 し て 、 それ を 分類整理 し 、 文献 を よく 調べ て 、 未知 の 課題 を 見つける 。
 9この いわゆる 研究題目 が 決まる と 、 それ について 、 まず 理論的 な 考察 を し て 、 どういう 実験 を し たら 、 目的 と する 項目 について の 知識 が 得 られる か を 検討 する 。
 10そして 実験 を 、 その とおり に やっ て 、 結果 を 論文 として 報告 する 。
 11こういう 種類 の 研究 で 、 一番 大切 な こと は 、 よい 研究題目 を 見つける こと で ある 。
 12それ が 見つかれ ば 、 あと いろいろ と 工夫 を し て 、 その 問題 を 解い て 行け ば よい 。
 13比較的 簡単 に 解ける 場合 も あろ う し 、 非常 に 困難 な 実験 を し なくて は なら ない 場合 も あろ う 。
 14しかし いずれ に し て も 、 犯人 は 分っ て い て 、 それ を 捕える という 場合 に 似 て いる 。
 15相手 が 鼠小僧 や 石川五右衛門 の よう な 場合 に は 、 非常 に 複雑 で 困難 な 実験 を 必要 と する 。
 16こそ泥 くらい ならば 、 ちょっとした 実験 で すぐ 分る 。
 17いずれ に し て も 、 犯人 が 分っ て い て 、 それ を 捕える の に 難易 が ある の で ある から 、 これ は 警視庁型 と いっ た 方 が よい であろう 。
 18ところが 、 これ に反して 、 犯人 の 名前 が 分ら ない ばかり で なく 、 犯人 が いる か い ない か も 分ら ない 場合 も ある 。
 19アマゾン の 上流 、 人跡未踏 の 土地 へ 分け入っ た 生物学者 の 場合 が それ で ある 。
 20どんな 珍奇 な 生物 が いる かもしれない し 、 また い ない かもしれない 。
 21この 場合 も 、 探す の で ある が 、 その 探す という 意味 が 、 犯人 を 捜索 する 場合 と は 大分 ちがっ て いる 。
 22思いがけ ない 新種 の 発見 は 、 アマゾン の 上流 だけ に 限ら ず 、 物理 の 実験室 の 中 に も ある 。
 23そういう 新種 を 探す よう な やり方 の 研究 を 、 アマゾン型 の 研究 と 呼ぶ こと に する 。
 24アマゾン型 の 研究 の 特徴 は 、 いる か い ない か 分ら ない 新しい もの を 探す の で ある から 、 題目 が 与え られる の で は なく 、 「 地域 」 が 与え られる の で ある 。
 25生物 の 新種発見 の 場合 ならば 、 この 「 地域 」 は 、 アマゾン の 上流 で ある が 、 物理学 の 場合 は 、 それ は どこ でも よい 。
 26自然界 に ある すべて の 物質 と 勢力 と が 対象 で ある から 、 自然界 の 全部 が 、 その 「 地域 」 で ある 。
 27こういう 風 に いう と 、 警視庁型 と アマゾン型 と 、 全く 別 の 二 つ の 型 が ある よう に 思わ れる かもしれない 。
 28しかし 本当 は 、 この 両者 が 融合 し た 場合 に 、 よい 研究 が できる の で あっ て 、 以上 に 挙げ た 二 つ の 型 は 、 その 両極端 を 指し て いる の で ある 。
 29問題 は 如何に し て この 両者 を 融合 さ せる か という 点 に ある 。
 30しかし 話 を 分り やすく する ため に 、 両極端 の 場合 について 考え て み よう 。
 31二 警視庁型 の 研究
 32まず 警視庁型 の 研究 で ある が 、 その 極端 に 行っ た もの は 、 米国 など で 行わ れ て いる 委託研究 で ある 。
 33もちろん 例外 も ある が 、 大多数 の 委託研究 は 、 目的 も 方法 も 非常 に はっきり し て い て 、 少し 大袈裟 に いえ ば 、 初め から 論文 が でき て いる よう な 形 で ある 。
 34唯 、 その 論文 は 、 測定数値 の ところ だけ が 空白 に なっ て いる 。
 35それで 実験 を し て 、 その 空白 の ところ に 、 数値 を 書き込め ば 、 研究 は 終了 する 。
 36それ ほど で は なくて も 、 研究 の 計画書 は 、 非常 に 詳細 に 出来 て いる 。
 37研究者 は 、 その 計画書 どおり に 、 レール に 乗っ て 動い て 行く だけ で ある 。
 38研究 す べき 材料 は 三 種類 で 、 それ を 五 つ の ちがっ た 温度 で 、 各 十 回 測る 、 という 風 に なっ て おれ ば 、 決して 四 種類 は やっ て み ない 。
 39五 つ の ちがっ た 温度 で やっ て み て 、 少し 変 な こと が あっ て も 、 もう 少し 低温 まで 調べ て み よう など という 気 は 起さ ない 。
 40契約 の 範囲外 だ から で ある 。
 41委託研究 という もの は 、 寄託者 の 方 で 必要 と する 資料 を 、 いわば 買う わけ で ある から 、 委託 さ れ た 方 で も 、 純粋 な 学問的興味 でもって 、 その 問題 を 追究 する 気 に なれ ない の も 、 無理 は ない 。
 42従って 契約事項 だけ を 忠実 に 実行 し て 、 それ を 渡し て しまえ ば 、 研究完了 という こと に なる 。
 43いう までも ない こと で ある が 、 こういう 研究 で は 、 全く 新しい 知識 が 得 られる こと は 、 滅多 に ない 。
 44或る 数値表 の うち の 抜け た ところ を 埋める よう な 種類 の 研究 に なり やすい 。
 45もちろん 実際 に もの を 作る よう な 場合 に は 、 こういう 研究 が 非常 に 大切 で ある 。
 46この頃 の 新しい 機械 は いずれ も 性能 が 高く 、 構造 が きわめて 複雑 で ある 。
 47各要素 に 分け て 、 その 一 つ 一 つ の 要素 について 、 精密 な 研究 を し て 、 それ を 有機的 に 働く よう に 組み立てる 。
 48こういう 場合 に は 、 未知 の 新しい 現象 を 探す こと に 、 時間 と 精力 と を 使っ て は おら れ ない 。
 49必要 な 資料 を 確実 に 集めれ ば 、 それで 研究 は 終了 する 。
 50しかし こういう こと が できる の は 、 原理 が よく 分っ て いる 場合 に 限る 。
 51ところで 、 その 場合 に も いろいろ あっ て 、 その うち 一番 分り やすい の は 、 昔 から よく 分っ て いる 原理 を 使っ て 、 更に 高性能 な もの を つくる 場合 で ある 。
 52たとえば 人工衛星 の よう な もの は 、 その 原理 は 、 ニュートン によって 、 樹立 さ れ た もの で 、 今日 で も それ を 一 歩 も 出 て い ない 。
 53或る 物 を 投げる 場合 、 速度 が 小さけれ ば 近く に 落ちる が 、 大きく する と 、 遠く まで 届く 。
 54速度 が 大きく なる ほど 遠く まで 行く ので 、 うんと 大きく する と 、 地球 の 反対側 まで 達する 。
 55それ 以上 速く なる と 、 もう 落ち て 来 なく なっ て 、 人工衛星 に なる わけ で ある 。
 56月 が 地球 を 廻る の も 、 林檎 が 地面 へ 落ちる の も 、 同じ 万有引力 という 力 に よる という の が 、 ニュートン の 発見 で ある が 、 これ が すなわち 人工衛星 の 原理 で ある 。
 57原理 は よく 分っ て いる の で ある が 、 実際 に 人工衛星 を つくる こと 、 すなわち 地球 の 反対側 より も もっと 向う まで 行く よう な 超高速度 を 得る こと は 、 非常 に 困難 で ある 。
 58従来 は 、 夢 の よう な 話 と 思わ れ て い た 宇宙速度 に まで 到達 し た という 点 で は 、 ロケット の 飛躍的 な 発達 は 、 今世紀 の 科学 の 勝利 で ある 。
 59しかし 純粋 な 科学 の 立場 から いえ ば 、 人工衛星 または 人工惑星 が もつ 意義 は 、 それ によって 、 宇宙 の 研究 で 従来 不可能 で あっ た 分野 が 、 研究可能 に なっ た という 点 に ある 。
 60大気圏外 の 世界 は 、 人類未到 の 世界 で ある 。
 61其処 に は 、 何 が ある か 、 全然 わから ない 。
 62新しい アマゾン の 流域 が 、 科学者 の 到達 を 待っ て いる 。
 63警視庁型 の 研究 が 、 その 極限 に 近づく と 、 その 先 に アマゾン型 の 研究 が 待っ て いる 形 で ある 。
 64三 アマゾン型 の 研究
 65アマゾン の 秘境 に 立ち入る 生物学者 は 、 其処 に どんな 珍しい 新種 が ある か を 知ら ない 。
 66対象 の 実体 を 知ら ない ばかり で なく 、 そういう もの が ある か ない か も 分ら ない 。
 67従って 新しい 発見 の 方法 は 唯 一 つ しか ない 。
 68常に 眼 を 開い て 、 注意深く 探索 を つづける より 外 に 方法 は ない 。
 69そして ちょっと でも 変っ た こと が あっ たら 、 それ を 目ざとく 見付け て 、 その 対象 を 追究 し て 行く 。
 70それ が 新しい 発見 に 導か れる こと も ある し 、 何 も 出 て 来 ない 場合 も ある 。
 71もちろん 後者 の 場合 の 方 が 多い 。
 72しかし それ より 外 に 道 は ない の で ある から 仕方がない 。
 73ところで 新しい 発見 の 確率 は 、 何 か 変っ た こと 、 すなわち 糸口 を 捕える 確率 と 、 それ を 追究 する 方法 の 成功率 と の 積 で きまる 。
 74その 両者 とも 、 科学 の 基礎知識 が 、 その 基盤 と なる こと は もちろん で ある が 、 前者 に は 勘 が 重要 な 役割 を なし 、 後者 に は 研究 に対する 愛情 が 必要 で ある 。
 75アマゾン型 と は いっ た が 、 物理学 の 場合 は 、 自然現象 の すべて が 対象 で ある から 、 われわれ の 身辺 から 大気圏外 まで の すべて が 「 アマゾン の 流域 」 で ある 。
 76それ について 、 再び 線香花火 の 例 に 戻ろ う 。
 77線香花火 の 火花 は 、 回転砥石 から 出る 鉄 の 火花 に 通ずる が 、 この 鉄 の 火花 が 冷め た もの は 、 直径 十分の一 粍 程度 の きわめて 小さい 鉄 の 球 で ある 。
 78ところが それ と 全く 同じ もの が 、 太平洋 の 深海 の 泥土 の 中 から 、 たくさん 発見 さ れ て いる 。
 79大西洋 の 深海 から も 発見 さ れ て いる が 、 太平洋 の 赤粘土 の 方 が 、 遥か に 多数 の 鉄球 を 含ん で いる 。
 80太平洋 の 深海 は 、 六千 米 以上 の 深さ で 、 陸地 から 来る 泥土 は 、 大陸棚 と その 周辺 に 沈澱 し て しまう ので 、 こういう 深い ところ まで は 届か ない 。
 81それで この 鉄 の 球 は 、 流星 の 名残り と 考え られ 、 流星球 と 呼ば れ て いる 。
 82流星 は 案外 たくさん 始終 地球上 に 降りそそい で いる もの で 、 重さ 一 ミリグラム 以上 の 流星 は 、 一 日 に 一億七千万 個 、 〇・〇二五 ミリグラム の もの まで いれる と 、 一 日 に 八十億 個 ぐらい は 地球 の 大気中 に はいっ て いる と 、 専門家 は 計算 し て いる 。
 83この 流星 の 大部分 は 、 上空 で 燃え て 、 非常 に 小さい 微塵 、 すなわち 宇宙塵 と なっ て 、 大気 の 中 に 分散 し て しまう 。
 84近年 この 宇宙塵 が 雨 の 芯 に なる という 説 を 出し た 人 が あっ て 、 大分 学界 を 賑わし て いる が 、 これ に は 反対 の 学者 も 多い 。
 85それ は 別 の 話 と し て 、 鉄成分 の 宇宙塵 の 中 で 大きい もの は 、 鎔け て 鉄 の 小球 と なり 、 燃え 切ら ない で 地表 まで 達する 。
 86これ が 流星球 で ある 。
 87この 流星球 は 形 も 成分 も 鉄 の 火花 と ほとんど 同じ もの で ある 。
 88鉄工場 で われわれ は 、 毎日 流星球 を つくっ て いる の で ある 。
 89太平洋 の 深海 の 泥 は 、 千 年 に 一 粍 くらい の 割合 で 沈澱 し て いる こと が 、 泥土 の 放射能 の 研究 で 分っ て いる 。
 90瑞典 の ペターソン教授 は 、 底土 の 深さ 五 米 の ところ まで 、 この 流星球 の 存在 を 確め て いる 。
 91五百万 年 昔 まで の 流星 が つかまえ られ た わけ で ある 。
 92ところで 、 鉄 の 火花 について は 、 もっと 面白い こと が ある 。
 93純鉄 の 場合 が はっきり し て いる の で ある が 、 この 火花 は 、 その 末端 に 近い ところ で 、 一 度 光 が 弱まり 、 まさに 消え よう と し て 、 それから また 急 に 光 が 強まり 、 今度 は 本当 に 消え て しまう 。
 94ところが この 再発光 の 現象 は 、 流星 の 場合 に も 、 ほとんど 例外 なく 見 られる の で ある 。
 95流星 の 写真 と 、 鉄 の 火花 の 写真 と を 、 並べ て みる と 、 この 点 で は ほとんど 区別 が つか ない 。
 96まだ この 再発光 の 機巧 は よく 分っ て い ない が 、 大気圏外 も 、 われわれ の 身辺 も 、 とも に アマゾン の 流域 で ある という 一 つ の 例 と いっ て 、 いい であろう 。
 97四 二 つ の 研究 の 型 の 融合
 98今日 の よう に 発達 し 、 専門化 かつ 分化 し た 物理学 において も 、 新しい 発見 という もの は 、 偶然 によって もたらさ れる こと が 、 非常 に 多い 。
 99全く 新しい こと ならば 、 誰 も 予期 し ない こと で ある から 、 偶然 によって 発見 さ れる の が 当然 で ある 。
 100今日 の 原子力時代 を もたらし た 基礎 の 知識 は 、 原子核理論 で ある 。
 101その 原子核 の 構造 は 、 陽電子 、 中性子 、 メソン など の いわゆる 素粒子 の 発見 によって 、 初めて 分っ た もの で ある 。
 102ところで これら の 素粒子 の 発見 は 、 ウィルソン の 霧函 によって なさ れ た の で ある 。
 103ウィルソン の 霧函 内 で は 、 放射線粒子 の 一 つ 一 つ の 運動 を 、 眼 で 見る こと が できる ので 、 原子 の 研究 に は 、 最大 の 武器 の 一 つ で ある 。
 104ところが この 霧函 は 、 何 も 放射線 を 見る ため に 考案 さ れ た もの で は なく 、 雨 が どうして 降る か という 研究 の 副産物 で あっ た の で ある 。
 105水蒸気 が 上空 で 凝縮 し て 雲 に なり 、 雲 の 粒子 が 集っ て 雨 と なっ て 降っ て くる 。
 106その 最初 の ところ で 、 水蒸気 が 凝縮 し て 雲 の 粒 に なる とき に 、 核 、 すなわち 芯 に なる もの が 必要 で ある 。
 107ウィルソン は 気象学者 で あっ て 、 空気中 の イオン が この 芯 に なる 作用 を 研究 し て い た の で ある 。
 108水蒸気 で 飽和 し た 空気 を 、 急激 に 膨脹 さ せる と 、 温度 が 下っ て 、 過飽和 の 状態 に なる 。
 109この とき に 、 空気中 に 芯 に なる もの が ある と 、 それ に 水蒸気 が 凝縮 し て 、 白い 霧 が できる 。
 110ウィルソン は X線 や ラジウム の 放射線 で 照射 し て 正負 の イオン を つくり ながら 、 急激膨脹 を 起さ せる と 、 白い 霧 が できる という 実験 を し て い た 。
 111その うち に 、 尖端放電 によって できる イオン の 分布 を 知る 必要 が で て き た 。
 112それで 函内 の 空気 を 乱さ ない で 急激膨脹 を さ せる ため に 、 丈 の 低い 円筒型 の 器 を つくり 、 底 全体 を ピストン に し て 、 急激 に 下げる 装置 を つくっ た 。
 113この 装置 で 、 尖端放電 の 研究 を する つもり だっ た ところが 、 膨脹 さ せ て み たら 、 白い 線 が 見え た 。
 114ラジウム を 使っ て い た ので 、 エマナチオン が 空気中 に まじっ て い て 、 アルファ線 が 出 て い た の で ある 。
 115放射線 の 粒子 が 走る 途中 、 空気 の 分子 と 衝突 し て 、 イオン を つくる 。
 116その イオン を 中心 に し て 水滴 が でき た ので 、 この 白い 線 は 、 アルファ線 が 走っ た あと 、 すなわち 飛跡 を 示す もの で ある 。
 117すなわち この 方法 を 使う と 、 放射線粒子 一つ 一つ の 運動 が 、 眼 に 見える こと に なる 。
 118それ は たいへん な 大発見 だ という こと に なっ て 、 もう 雨 どころ の 騒ぎ で なく なっ た 。
 119ウィルソン は 、 この 装置 を 順次 改良 し て いっ て 、 いろいろ な 放射線 について 、 その 粒子 の 飛跡 を 調べ 、 この 方面 で 新しい 分野 を 拓い た の で ある 。
 120原子爆弾 の 製造 や 原子力 の 解放 で 、 今日 その 基礎 に なっ て いる の は 、 ウラニウム核分裂 の 現象 で ある 。
 121原子 及び 原子核 の 研究 は 、 今世紀 の 初め頃 から 、 現代 の 物理学 の 主流 に なっ て い た が 、 原子力 を 実際 に 勢力源 として 使い 得る 見込 が 立っ た の は 、 一九三八 年 に 、 ハーン と ストラスマン と が 、 ウラニウム の 核分裂 を 発見 し た 時 に 始まる 。
 122この 核分裂 の 現象 は 、 その とき まで 、 誰 も 夢想 だに し て い なかっ た こと で ある 。
 123従って 、 ハーンたち も 、 それ を 目指し て 実験 し た わけ で は ない 。
 124ウラニウム の 原子核 に 中性子 を 衝突 さ せ て 、 ウラニウム より も もっと 重い 原子 を つくろ う と 試み て い た の で ある 。
 125ところが 、 実験 の 結果 は その 逆 で あっ て 、 ウラニウム の 原子核 は 、 もっと 軽い 原子核 二 つ に 分裂 する こと が 分っ た の で ある 。
 126これ など も 偶然 が もたらし た 大発見 と いっ て よい であろう 。
 127偶然 が 大きい 原因 を なし て いる 場合 は 、 その 研究 に は アマゾン型 の 要素 が 強く はいっ て いる 。
 128しかし 以上 に 挙げ た よう な 例 で は 、 偶然 に 発見 さ れ た 糸口 を たどる に は 、 原子論 の 理論 が 、 大いに 必要 で ある 。
 129追究 し て 、 確認 する に は 、 警視庁型 の 研究方法 が 用い られる わけ で ある 。
 130そして 実際 の ところ は 、 この 後者 の 方 が 骨 が 折れ 、 また 深い 学識 を 必要 と する 。
 131普通 、 論文 として 発表 さ れる の は 、 この 部分 で あっ て 、 最初 の アマゾン型 の 部分 は 、 省略 さ れる か 、 または 緒言 で ちょっと 触れる 程度 で ある 。
 132従って 、 原子論 など の 近代物理学 で は 、 アマゾン型 の 研究方法 は 、 もはや 立ち入る 余地 が ない よう に 誤解 さ れ やすい 。
 133しかし 物理学 が 如何に 進歩 し 、 精密化 さ れ て も 、 全く 予期 し ない 新しい こと は 、 つぎつぎ と 出 て くる もの で 、 アマゾン型 と 警視庁型 と の 融合 し た もの が 、 本当 の 研究 な の で ある 。
 134五 哲学型 の 研究
 135科学 は 哲学 から 産れ た もの で ある が 、 現代 で は 、 科学 が 哲学 を 置き去り に し て 、 独走 し て いる 形 で ある 。
 136そして たいてい の 科学者 は 、 哲学的 な 思考 など は 、 今日 の 発達 し た 科学 に は 、 もはや 必要 が ない よう に 思い がち で ある 。
 137この 点 について 、 寺田先生 は 、 全く 別 の 考え方 を もっ て おら れ た 。
 138先生 は 、 ギリシァ の 哲人 ルクレチウス の 『 物の本態について 』 を 愛読 さ れ 、 その 評釈 を さ れ て いる 。
 139その 中 に 次 の よう な こと が 書か れ て いる 。
 140現代 の 物理学 は 非常 に 発達 し 、 精緻 を きわめ た 体系 を もっ て いる が 、 その 形式 は 全く ギリシァ時代 の 人間 の 考え方 と 、 ほとんど 差 が ない 。
 141それ は 西洋的 な もの の 考え方 の 基調 を なし て いる 思考形式 で あっ て 、 人間 の 頭脳 の 力 が 、 文化 と 伝統 と によって 、 如何に 強く 支配 さ れ て いる か を 、 よく 物語っ て いる 。
 142東洋 の 全く 異なっ た 文化 に 育成 さ れ て き た 者 の 意識 は 、 全く 新しい 形式 の 科学 の 創設 に 、 重要 な 役割 を 果さ ない と は 断言 でき ない 。
 143例えば 、 現在 の 物理学 は 、 自然界 から 量的 に 計測 し 得る 性質 を 抜き出し て 、 その 間 の 関係 を 、 数式 で 表現 する 方向 に 向っ て 進歩 し て き た 。
 144自然界 に は 、 それ 以外 の 物理現象 が いくら も ある から 、 そういう 問題 を 取扱う 別 の 物理学 が あっ て も よい という 考え方 で ある 。
 145その 一 つ として 、 先生 は 「 形 の 物理学 」 という 問題 を 考え て おら れ た 。
 146それ について よく 言わ れ て い た 言葉 が ある 。
 147「 形 の 同じ もの ならば 、 必ず 現象 として も 、 同じ 法則 が 支配 し て いる もの だ 。 形 の 類似 を 単に 形式上 の 一致 として 見逃す の は 、 形式 という 言葉 の 本当 の 意味 を 知ら ない 人 の する こと だ 」 と いう の で ある 。
 148これ は 非常 に 意味 の 深い 言葉 で ある 。
 149先生 は 、 こういう 問題 について 、 単に 思索 さ れる だけ で なく 、 具体的 に 、 いろいろ な 現象 について 、 形 の 研究 を 進め られ た 。
 150割れ目 の 研究 にしても 、 電気火花 にしても 、 線香花火 にしても 、 墨流し にしても 、 みな 形 の 研究 という 考え が 、 その 基調 を なし て いる 。
 151それから 、 現代 の 科学 が 、 分析 に 偏する 傾向 が 強い こと も 、 時折 指摘 さ れ て い た 。
 152それ に対して 、 「 綜合 の 物理学 」 という もの も あり 得る という の が 、 先生 の 持論 で あっ た 。
 153例えば 、 ここ に 或る 複雑 な 形 の 波形 が ある 。
 154現在 の 物理学 の 方法 で は 、 それ を 応用数学 の 力 で 、 フーリエ級数 に 展開 し て 、 すなわち 分析 し て 調べる の が 、 普通 の やり方 で ある 。
 155任意 の 形 の 波 は 、 全体 の 周期 と 同じ 周期 を もっ た サイン波 と 、 その 二 倍 、 三 倍 、 …… の サイン波 の 倍音 と の 和 として 、 現わす こと が できる 。
 156任意 の 複雑 な 形 の 波 を 、 サイン波 の 和 の 形 に 展開 し た もの を 、 フーリエ級数 と いう の で ある 。
 157サイン波 の 性質 は よく 分っ て いる し 、 また その 取り扱い方 も 簡単 で ある 。
 158それで 複雑 な 形 の 波 を 、 サイン波 の 集合 という 形 に 分析 すれ ば 、 各要素 の サイン波 について 、 その 性質 を 調べ 、 その 和 として 、 全体 の 性質 を 表現 する こと が できる 。
 159この 方法 は 、 始終 使わ れ て いる が 、 計算 が 面倒 で あっ て 、 労 多く し て 功 の 少い 場合 が 多い 。
 160先生 の 綜合 の 物理学 で は 、 これ を 「 複雑 な 形 の 波 全体 」 として 、 何 か われわれ の 感覚 に 触れ させ よう と 試み られ た の で ある 。
 161その 一 つ の 方法 として 、 この 波形 の 高低 を トーキー の フィルム上 に 、 濃淡 で 印画 する こと を 考え て おら れ た 。
 162それ を 音 として 再生 する と 、 波形 によって 、 それぞれ ちがっ た 音色 の 雑音 として 聞える だろう という 見込 で ある 。
 163各種 の 波形 について 、 音色 が 皆 ちがえ ば 、 波 全体 として 、 われわれ の 感覚 に 触れる わけ で ある 。
 164この 実験 は 遂に なさ れ なかっ た が 、 まこと に 面白い 着想 で ある 。
 165先生 は 、 哲学方面 の 造詣 も 深く 、 その 未完 の 名著 『 物理学序説 』 で は 、 物理学 の 本質 について 、 深奥 な 考察 を さ れ て いる 。
 166これ を 読む と 、 寺田物理学 に は 、 やはり 強い 哲学的 な 背景 の あっ た こと が よく 分る 。
 167そういう 哲学的 な 考察 など は 、 修飾 に は なる が 、 実際 の 物理学 の 研究 に は 、 不必要 で ある という 考え方 が 、 一部 の 科学者 の 間 に は 、 広く 行き渡っ て いる よう で ある 。
 168しかし 透徹 し た 眼 で 、 深く 科学 の 本質 を 見極め た 哲学的 な 思索 が 、 やはり 人間 の 思索 の 一 つ の 現われ で ある 物理学 に 、 役 に 立た ない はず が ない 。
 169その 良い 例 を 一 つ 、 この 『 物理学序説 』 から 引用 し て み よう 。
 170それ に は 、 まず これ が 書か れ た 時代 を 説明 し て おく 必要 が ある 。
 171この 本 は 未完 で あっ て 、 先生 の 死後 、 その 草稿 が 見つかっ た の で ある 。
 172草稿 を 書か れ た の は 、 一九二〇 年 から 二五 年 くらい まで の 間 と 推定 さ れ て いる 。
 173この 時代 は 、 現代 の 量子力学 の 基礎 を なし て いる ところ の ド・ブローイ や シュレーディンガー など の 論文 が 出る 直前 の 頃 で あっ た 。
 174その 頃 まで に 、 古典電子論 は 発達 の 極致 に 達し 、 電子 の 大きさ 、 剛性 、 荷電 の 分布状態 など について 、 議論 は 尽きる ところ を 知ら ず 、 煩瑣哲学 の 趣き が 、 ありあり と 物理学 の 上 に 現われ て い た 。
 175丁度 その 頃 に 先生 は 、 この 本 の 第二 篇 第三 章 「 実在 」 の ところ で 、 次 の よう な 記述 を さ れ て いる 。
 176「 著者 は 過去 の 歴史 に 徴し また 現在 の 物理学 を 詮議 し て 見 た 時 に 、 少く も 今 の まま の 姿 で それ ( 註 、 物理学 の 進歩 の 経路 ) が 必然 だ という 説明 は 存し ない と 思う もの で ある 。 もし 果して 然ら ば 物理学 の 所得 たる 電子 等 も いまだ 決して 絶対的確実 な 実在 の 意味 を 持た ぬ もの で あっ て 、 これ に関する 観念 が 全然 改造 さ るる 日 も ある であろう と 信じ て いる 」 と 断言 さ れ て いる 。
 177今 から 考え て みれ ば 、 世界中 の 物理学者 が かかっ て 、 電子 の 二次的 な 性質 について 、 煩瑣哲学的 な 研究 を 積み重ねる べく 、 無駄 な 努力 を 払っ て い た わけ で ある 。
 178こういう 趨勢 の 由って来たる ところ は 、 電子 の 粒子性 の 実験結果 に 誘導 さ れ て 、 いつ の 間 に か 、 誰 も が 電子 を 、 野球 の ボール を 極端 に 小さく し た もの という ふう に 、 思い込ん で い た から で ある 。
 179電子 を そういう 「 実在 」 と 思い込ん で しまえ ば 、 それ に いろいろ な 物性 を 賦与 する の も 自然 の 勢い で ある 。
 180まして 、 昔 から 物質 の 第一 性質 と 考え られ て い た 不可入性 など について は 、 疑問 を もっ た 人 は 、 ほとんど なかっ た 。
 181しかし 先生 は 、 その 点 まで も 、 はっきり と 指摘 し て おら れる 。
 182「 もし 今日 電子 の 色 を 黒い とか 赤い とか いえ ば 学者 は 笑う に 相違ない が 電子 が 剛体 で ある とか 弾性 で ある とか いう の は それ ほど 怪しま ない 。 まして 電子 の 不可入 という 事 について 疑う 人 は 極めて 稀 だ と いっ て よい 。 しかし 著者 は この 如き 仮定 の 必然性 を 何処 に も 認め 得 ない 」 と いっ て おら れる 。
 183これ は 非常 な 卓見 で あっ て 、 哲学的考察 が 物理学 において も 、 如何に 必要 で ある か を 物語っ て いる 、 珍しい 例 の 一 つ で ある 。
 184先生 の この 言 から 数 年 にして 、 ド・ブローイ によって 電子 の 物性 は 除外 さ れ 、 シュレーディンガー の 式 によって 規定 さ れる ところ の 形 も 不可入性 も ない 数学的表現 が 電子 で ある 、 という こと に なっ た 。
 185そして この 基礎 から 出発 し た 量子力学 が 、 今日 遂に 原子力 の 秘密 を 解放 する まで に 発達 し た の で ある 。
 186六 結び
 187比較科学論 という の は 、 新しい 言葉 で あっ て 、 その 意味 が 、 はっきり し て い ない 。
 188文学 や 宗教 など 、 国民性 によって 著しく 異なる もの に は 、 比較文学 とか 、 比較宗教学 とかいう 言葉 は 、 当然 あっ て よい 。
 189しかし 自然科学 の よう に 、 自然現象 を 対象 と する 学問 に は 、 国境 も 民族性 も ない はず で ある 。
 190従って 、 比較科学論 など という 言葉 は 、 それ 自身 の 中 に 矛盾 が ある 、 と 思わ れる かもしれない 。
 191科学 は 人聞 を 離れ た 自然 そのもの を 対象 と し て いる 、 という 見方 からすれば 、 その とおり で ある 。
 192しかし 自然現象 は 非常 に 深く また 複雑 で あっ て 、 科学 は 、 自然 全体 を 対象 と する もの で は ない 。
 193自然界 の 中 から 、 現在 の 科学 の 方法 に 適っ た 面 だけ を 抜き出し て 、 それ を 対象 と し て いる という 見方 も 成り立つ 。
 194この 立場 を とれ ば 、 比較科学論 も 成り立つ わけ で ある 。
 195寺田先生 は 、 はっきり と 、 この 後者 の 立場 を とっ て おら れ た 。
 196「 今日 の 科学 を 盛る べき 容器 は 既に 希臘 の 昔 に 完成 し て それ 以後 に は 何ら の 新しき もの を 加え なかっ た 。 」
 197内容 は つぎつぎ と 変っ て 行っ た が 、 容器 、 すなわち 思考形式 は 変っ て い ない という 意味 で ある 。
 198こういう 立場 を とれ ば 、 形 の 物理学 や 綜合 の 物理学 など という 全く 新しい 物理学 も 考え られる 。
 199それ が 本当 の 比較科学論 で ある 。
 200しかし それ を なす に は 、 稀世 の 天才 を 待つ より 仕方がない 。
 201しかし 一 歩 下っ て 、 現在 の 科学 だけ に 話 を 限定 し て も 、 なお 比較科学論 は 成り立つ よう に 、 私 に は 思わ れる 。
 202そして そういう 立場 から 、 今日 の 科学 を 見る こと は 科学 の 発展 の ため に も 必要 で ある よう に 思わ れる 。
 203人工衛星 や 原子力 の 解放 に 幻惑 さ れ た 人々 は 、 具体的 な 目的 を もっ て 、 それ を 実現 さ せる 研究 、 すなわち 警視庁型 の 研究 を 、 科学 の すべて と 思い やすい 。
 204それら は 大勢 の 研究者 の 協力 と 、 多額 の 研究費 と を 要する 大企業 で ある 。
 205従って 「 科学 は 独創 の 時代 を 過ぎ て 、 協力 の 時代 に はいっ た 」 という の は 、 この 面 において は 、 本当 で ある 。
 206しかし 何時 の 世 に なっ て も 、 やはり アマゾン型 の 研究 も 必要 で ある 。
 207それ を 不用 と 思う の は 、 自然 を 甘く 見る から で ある 。
 208自然 は 、 われわれ が 想像 する 以上 に 、 深く かつ 複雑 な もの で ある 。
 209固定 し た 目的 を もた ずに 、 自然 に 即し て 、 その 神秘 を さぐる という やり方 の 研究 が 、 不必要 に なる こと は 、 永久 に ない であろう 。