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aozora_Nomura-15-1954のコンテキスト表示

title Zuihitsu Zenigata Heiji (15 Torimono shoosetsu wa tanoshi)
author Nomura, Kodo
date 1954
source Aozora Bunko (https://www.aozora.gr.jp/cards/001670/card56321.html)
genre essay
subcorpus Aozora Bunko
terms of use Creative Commons license


 1随筆銭形平次
 2捕物小説は楽し
 3野村胡堂
 4+ 目次
 5
 6捕物小説 という もの を 、 私 は 四百二三十 篇 は 書い て いる だろう 。
 7その 上 、 近ごろ は 毎月 五六 篇 は 書い て いる から 、 幸い に 私 の 健康 が 続く 限り 、 まだまだ この 多量生産 は 止み そう も ない 。
 8私 が 「 銭形平次捕物控 」 という 捕物小説 を 書い た の は 、 昭和 六 年 ごろ で 、 「 オール読物 」 の 創刊 と 同時 で あっ た 。
 9最初 は 勿論 六 回 と 十二 回 で よす 積もり で あっ た が 、 調子 に 乗っ て 十何 年 か 書き 続け ( その 間 半 歳 だけ 休ん だ が ) 戦争末期 の オール の 廃刊 まで に 、 実に 百五十五 回 と 書き 続け た 。
 10その 後 オール の 復活 とともに また 書き 続け て いる し 「 新報知 」 その 他 の 新聞雑誌 に 書い た の を 加える と 、 銭形 だけ で 、 ざっと 三百二十 篇 くらい に は なっ て いる だろう 。
 11ほか に 「 池田大助捕物日記 」 が 約八十 篇 、 韓信丹次 、 平柄銀次 、 隼の吉三 など の 捕物帳 が それぞれ 五六 篇 ずつ 、 総計 四百二三十 の 捕物小説 を 書い て いる だろう と 思う 。
 12我 ながら いささか 呆れ返っ て いる が 、 先日 大佛次郎氏 に 逢っ て その 話 が 出る と 、 大佛氏 は 「 人間業 じゃ ない ね 」 と 酢っぱい 顔 を し て い た 。
 13化物扱い さ れる よう に なれ ば 、 作者 も まこと に 本懐 の 至り だ 。
 14将棋 の 木村名人 は 、 十数 年間 、 私 と 机 を 並べ て い た 友人 の 一人 だ が 、 あの 人 は 第一 級 の 探偵小説ファン で 、 「 あんな 詭計 を どうして 考える の だ 」 と 幾 度 も 私 に 訊い た 。
 15「 詰将棋 の 題 を 考える よう な もの さ 」 と いつ でも 私 の 答 は きまっ て い た 。
 16ある 科学者 が 、 同じ 問い を 私 に 出し た とき 、 私 は こう 答え た 。
 17「 数学 の 問題 を 考える よう な もの です よ 。 X=0 から 逆 に 考え て いく の だ 」 と 。
 18私 の 先生 は 、 生前 一 度 も お目に掛かっ た こと の ない 岡本綺堂先生 で あっ た と いっ て 宜い 。
 19私 の 「 銭形平次捕物控 」 は 、 「 半七捕物帳 」 に 刺戟 さ れ て 書い た もの で 、 私 は 筆 が 行き詰まる と 、 今 で も 「 半七捕物帳 」 を 出し て 何処 ともなく 読ん で いる 。
 20「 半七捕物帳 」 は 探偵小説 として は 淡い もの だ が 、 江戸時代 の 情緒 を 描い て いっ た あの 背景 は 素晴らしく 、 芸術品 として も かなり 高い もの だ と 信じ て いる 。
 21岡本綺堂先生 の 真似 は とても 出来 ない が 、 私 の 捕物小説 は 、 その 代わり もう 少し 探偵小説的 で あり たい と 思っ た 。
 22そして 同じく 探偵的 な 捕物小説 を 書く なら 、 少し でも モラル の 高い もの で あり たい と も 念願 し た 。
 23私 の 銭形平次 は 平気 で 犯人 を 逃がし た が 、 その 代わり 旧式 の 義理人情 ―― 低俗 な 偽善的 な もの を 憎み 続け た 。
 24探偵小説 は 一 度 読む と 捨て られる もの が 多い 。
 25本格物 ほど 詭計 や 推理 に 重点 を 置い て 、 人間味 の 温かさ を 忘れる から だ 。
 26私 は 自分 の 力 を 顧み ずに 、 二 度 も 三 度 も くり返し て 読ん で 貰える 探偵小説 を 、 捕物小説 の 形 で 書き たい と 念願 し た 。
 27滅多 に 古本屋 へ 出 て こ ない 芸術小説 ―― 少なくとも 一 度 読ん で しまっ て も 、 容易 に 手離せ ない 程 の 愛情 を 持た れる 小説 が 書け たら 、 私 は 本当 に 嬉しい 。
 28勿論 それ は 容易 の こと で は ない 。
 29恐らく ―― 北斎 で は ない が ―― 百 まで 生き なけれ ば 思う存分 な もの が 書け ない だろう 。
 30コナン・ドイル の 自叙伝 を 読む と 、 あれ ほど の 人 でも 「 私 が シャーロック・ホームズ を 書か なかっ たら 、 文壇的 に もう 少し 高く 評価 さ れ たろう 」 と 書い て いる 。
 31作者 自身 として は 、 まこと に 同情 す べき 言葉 だ が 、 我々 読者 から いう と シャーロック・ホームズ を 書か ない コナン・ドイル など は 到底 考え られ ず 、 また ドイル の 歴史小説 や 長篇小説 など は 、 そんな に 面白い もの だ と は どう し て も 思え ない の で ある 。
 32私 は ―― 私風情 は と いっ た 方 が いい だろう ―― 銭形平次 や 池田大助 を 書い た こと を 少し も 後悔 は し て い ない 。
 33反対 に 、 シャーロック・ホームズ の 愛読者 で あっ た 父 ―― 五十五 歳 で 三十幾 年 前 に 死ん だ 私 の 父 に 、 私 の 銭形平次 を 読ん で 貰え なかっ た こと が 、 何より も 口惜しい こと だ と 思っ て いる 。
 34私 は 救い の ない 小説 は 嫌い だ 、
 35したがって 、 誰 に でも 安心 し て 読ん で もらえる 探偵小説 を 書き たい と 思っ て いる 。
 36したがって それ は ハッピー・エンド に なり 、 甘く なる の は やむを得ない 。
 37私 は 犯罪小説 は 書き たく ない と 思っ て いる 。
 38探偵小説 が 探偵小説 で あれ ば ある ほど 、 明るく て 救い の ある もの で あり たい と も 思っ て いる 。
 39私 の 捕物小説 は 、 翻案 だ という 汚名 を 私 は 幾 度 か 被せ られ た 。
 40その 度 ごと に 私 は 、 翻案 なら 原作 を 提示 しろ と いっ て いる 。
 41私 の 捕物小説 に は ―― あえて 断言 する が 、 たった 一 つ も 翻案 は 無い 。
 42ことごとく 私 の 創作 だ 。
 43私 は 作り出す 興味 で 数百 篇 の 捕物小説 を 続け た と いっ て も 宜い 。
 44自由奔放 に 飛躍 する 想像力 と 、 それ を 整理 し て 論理的 に 筋立て を し て いく 興味 、 それ が 探偵小説 を 作る 面白さ だ 。
 45その 上 、 捕物小説 に は 、 時代 の カムフラージュ による 夢 が ある 。
 46作家 の 労作 は 苦しい が 一面
 47それ は 限りなく 楽しい こと で も ある 。
 48
 49銭形平次 の 苦心談 を よく きか れる が 、 実際 そんな おどろおどろしき 物語 など が ある わけ で は ない 。
 50私 は 明るい 障子 の 下 で 、 レコード を かきならし ながら 、 時 に は 鼻うた を 歌い ながら 書い て いる の で ある 。
 51落語 の 「 小言念仏 」 の 主人公 が 、 自分 の 小言 と 念仏 を 享楽 する よう な 心持 で 、 自分 の 物語 の 進行 を 享楽 し ながら 、 平次 と 八五郎 を おどら せ て いる の で ある 。
 52今 から 二十何 年 か 前 の こと 、
 53文芸春秋社 の 座談会 で 、 直木三十五 と 佐々木味津三 が 「 いや で いや で たまら ない けれども やむを得ず 小説 を 書い て いる 」 と いう の に対して 、 私 が 「 ぼく は 書く こと の 楽しさ に 引きずら れ て 書い て いる 」 と いう と 、 私 より 年 だけ は 確か に 若かっ た はず の 二人 が 「 それ は 、 君 は まだ 若い から だ よ 、 段々 書く の が いや に なる に 違いない 」 と いっ た はず で ある 。
 54この 座談会 の 記事 は 昭和 七八 年 ごろ の 「 オール読物 」 に 載っ て いる から 、 どこ か に 記憶 し て おら れる 人 も ある だろう 。
 55いやいや ながら 小説 を 書い た 二人 は 若く て 死ん で しまっ た が 、 それ より は 十 歳 くらい は 年上 だっ た はず の 私 は 、 今 でも のんき に 銭形平次 を 書い て いる の で ある 。
 56小説 として は 誠 に お恥ずかしい もの で ある に 違いない が 、 少なくとも 「 下手 な 小説 を 書く の も また 、 長寿法 の 一 つ 」 と いえる かもしれない 。
 57それ から 二十 年 も 経っ た 後 の こと 、
 58成城 の 横溝正史君 の 家 で 、 小説 を 書く の も 楽 で ない よう な 話 を する と 、 「 うそ だろう 、 君 は 面白く て 面白く て たまら ない よう だ が 」 と 素破抜い た の は 、 なんと その ころ 瓢庵先生 の 捕物 を 書き 始め た 水谷準君 だっ た の で ある 。
 59私 は 日本流 に 数え て 最早 七十二 歳 の 老人 だ 。
 60深刻 な もの 、 暗い もの 、 残虐 な もの 、 後味 の 悪い もの を 書く 気 は 毛頭 ない 。
 61ある 著名 な 作家 は 、 自分 の 書く もの を 、 自分 の 子供たち に は 読ま せ なかっ た という こと で ある が 、 私 は 反対 に 自分 の 子供たち に は 必ず 親父 の 書い た もの を 読ま せ て 批評 を 聴く こと に し た 。
 62わけて も 若く て 亡くなっ た 私 の 長男 は 、 私 の 作品 の 最も 良い 批評家 で 、 長男 が 推賞 し た 銭形平次 の 短篇 の 幾 つ か は 二十 年 の 後 まで 映画 や ラジオ や 浪花節 や 、 いろいろ の 形 で 残っ て いる 。
 63捕物小説 も 、 タンテイ小説 と 同じ よう に 、 コナン・ドイル の 手法 に 還れ という の が 、 私 の 年来 の 主張 で 、 物々しい 道具立て や 、 押し付け の 筋 や 、 偶然 の 解決 など は 排斥 し なけれ ば なら ない 。
 64この 種 の 物語 に は 、 必ず トリック を 必要 と する こと も 当然 で ある が 、 トリック の 巧拙 は 、 ほとんど 作者 の 天分 に ある こと で 、 急 に 心掛け た ところ で 、 最上等 の トリック を こしらえあげる こと の 出来 ない の は いう までも ない 。
 65ヴァン・ダイン は 生涯 四 つ の 長篇 しか 書か ない と いっ て い た が 、 実は その 倍 以上 も 書い た こと だろう 。
 66しかし 本当 に すぐれ た 作品 は 、 予言 し た 通り 、 最初 の 四 つ だっ た よう で ある 。
 67クリスティ は 百 篇 に 上り 、 クイーン は 五十 篇 を 越え た 。
 68それ は いずれ も 堂々 たる 長篇 で 、 私 が 四百 篇 以上 も 書い た ところ で 、 その 九十 パーセント まで は 短篇 だ から 、 あまり 威張れる わけ で は ない 。
 69トリック を 作る こと は 、 その 人 の 機智 と 合理的 な 物 の 考え方 と 、 そして 広い 常識 に まつ 外 は ない が 、 私 は これ を 詰碁 や 詰将棋 に たとえ て いる 。
 70トリック も 新しい 機構 や 手 の こん だ 装置 や 、 化学方程式 の ない 毒薬 を 用いる より 、 人間 の 心 と 心 の ズレ 、 ゆがみ 、 など から 作ら れる 、 心理的 な もの に 興味 の ある こと は 申す までも ない 。
 71マゲ物 の 小説 に は 、 ピストル も 電話 も 自動車 も 青酸カリ も 無い 。
 72したがって トリック が 非常 に 制約 を 受ける が 、 その 代わり 十 年 も 経つ と 社会情勢 や 経済機構 が ガラリ と 変わっ て 、 トリック が トリック で なく なる という 心配 は ない 。
 73例えば この 十 年間 に 東京 の ハガキ が 一 銭 五 厘 から 五 円 に なり 、 電車賃 は 八 銭 から 十 円 に なっ た が 、 徳川時代 の ソバ は 一 杯 十六 文 が 何百 年 も 続い た 。
 74捕物小説 に は 季感 が ある と いわ れ て いる 。
 75これ は 岡本綺堂 の 半七物語 に 始まる こと で 、 捕物小説 の 一 つ の 形 に なっ た よう で ある 。
 76季感 は 日本 の あらゆる 芸術 の 特色 で 、 これ を 織り込ん で 、 一 つ の ノスタルジア ( 郷愁 ) を 生ん だ 、 岡本先生 の 手柄 は 大きい 。
 77時代考証 も やかましく いわ れる が 、 私 は あまり こだわら ない よう に し て いる 。
 78捕物小説 という 一 つ の 世界 に は 、 かぶき芝居 の よう な 夢 が あっ て 差支え は ない よう に 思う 。
 79言葉 にしても 、 三馬 、 一九 の 調子 で やら れ たら 、 今 の 読者 は みんな 逃げ出す に きまっ て いる 。
 80ともかく 、 江戸時代 という もの は 、 悪い 時代 で あっ た に 違いない が 、 時 の 濾過 を 経る と 、 悪夢 は 大方 消えうせ て 、 美しい もの 、 良い もの 、 なつかしい もの だけ が 残る 。
 81その 舞台 の 上 に 、 存分 に 庶民 を 踊ら せる 捕物小説 は 、 われら にとって は 、 まこと に 素晴らしい ファンタジー で ある 。
 82この 背景 の 中 に 、 いろいろ の 人間 を 描こ う と する 野心 は 、 いかなる 小説 も 変わり が ある はず は ない 。
 83
 84「 銭形平次 を 書い て いる の が 、 いかに も 楽し そう で は ない か 」 と 、 ある 会合 の 席上 で 名 ある 捕物小説作家達 に いわ れ た こと が あっ た 。
 85その 時 は 、 こちら の 腹 を 見透かさ れる の が 劫腹 で 、 ツイ 、 「 いや そんな 事 は ない 、 何 を 書い て も 作家 の 苦心 は 同じ こと だ 、 私 だって 、 洒落 や 道楽 で 捕物小説 を 書い てる わけ で は ない 」 と は いっ た ものの 、 実は 巧み に いい当て られ た よう な 気 が し て 、 はなはだ 忸怩 たる もの が あっ た の で ある 。
 86一 年 ほど 前 から 、 捕物小説 を 書き 始め た 、 探偵作家 の 大先輩 水谷準氏 が 「 捕物小説 を 書く の は 楽しい な 」 と いっ た の を 、 横溝氏邸 の 座談会 で 、 私 自身 この 耳 で 聴い た 。
 87正直 の ところ 、 捕物小説 という もの は 、 そういった もの な の で ある 。
 88百 人 の 作家 が 百 人 まで 、 恐らく その 楽しみ の 程度 に 差異 は あっ て も 多かれ少なかれ 、 楽しん で 書い て いる こと に 間違い は ある まい 。
 89これ を 、 嫌 で 嫌 で たまら ない よう な 顔 を し て 、 油汗 を 流し ながら 、 深刻無比 な 表情 で 生産 する ある 種 の 小説 と 比べ て 、 どう で あろ う 。
 90芸術的 で ある か ない か は 別問題 と し て 、 作家 自身 が 楽しん で 書い て いる もの の 方 が 、 読者 に 喜ば れる こと は まこと に 当然 の 結果 で は ない だろう か 。
 91捕物小説 は 、 それ だけ 夢 が あり 、 楽しさ が あり 、 詩 が ある の で ある 。
 92随分 長い 間 、 迫害 と 侮辱 と 無視 と 軽蔑 と を 受け て 来 た にもかかわらず 、 大先輩 岡本綺堂先生 に依って 創め られ 、 我々 後生 が バトン を 引き継い だ 捕物小説 は 、 夢 と 楽しさ と を 載せ て 、 ますます 多く の 読者 を 獲 、 文壇 の 一角 に 確たる 地歩 を 占め て いく こと であろう 。
 93捕物小説 は 江戸時代 を 舞台 に し て いる だけに 、 道具建て に 夥しい 制約 を 受け 、 江戸 の 風物 と 詩情 と そして 簡素 な 筋立て に その 生命 を 托する が 故 に 、 感情移入 の 範囲 が 宏大 に なり 、 書く 者 の 楽しみ と共に 、 読む 人 の 喜び を 大きく する の で は ある まい か 。
 94だが 捕物小説 を 書く の が 楽しい といっても 、 作者 に 苦心 は ない わけ で は ない 。
 95調べる 苦心 、 詭計算出 の 苦心 、 筋立て の 苦心 、 起承転結 に 一分 の 隙 も なく する 苦心 、 そして それ が 、 美しく あり 、 些か でも 芸術的 で も ある ため の 苦心 は 、 しかめっ面 で 生産 する 小説 の 場合 と なん の 変わり が ある はず も ない 。
 96私 は これ を 恋 に 譬え て いる 。
 97書く もの の 苦心 は すなわち 恋 する もの の 苦心 で 、 全身全霊 を 捧げ て の 闘い で あり 、 本能 と 叡智 の 歓び の ため の 苦心 で ある 。
 98恋 は 子孫 を 遺す ため の 本能 と 営み の 一 つ ならば 、 創作 は 自分 を 表現 する ため の 、 あらゆる 能力 を 動員 し て の 闘い で ある 。
 99それ は いわゆる 芸術小説 で あろ う と 、 捕物小説 で あろ う と なん の 変わり も ある はず は ない 。
 100私共 は 少なくとも 毎月 二 度 三 度 、 多い とき は 五 度 六 度 の 恋 を し て いる わけ で ある 。
 101その 完成 の 歓び と 期待 に 燃え ながら 、 深刻無比 な しかめっ面 の 代わり に 、 いとも 楽しく 口笛 を 吹い て 、 肉体的 な 労苦 を 乗り越え 乗り越え 、 あらゆる 現世的 な 歓楽 や 安逸 を 無視 し て 、 ―― 実は ジャーナリズム に 駆使 さ れ ながら 、 ―― 命 を 縮める 思い で 働い て いる の で ある 。
 102
 103捕物小説 は 浮世絵 の 世界 で あり 旧劇 の 舞台 で ある 。
 104探偵小説 として は 、 それ は 第二義的 な もの で ある かもしれない が 、 その 代わり 、 時代 による 迷彩 に 助け られ て 、 読物 として は 、 一段 の 温かさ と 、 親しさ と 、 そして 美しき 夢 を 加え て いる こと も 争わ れ ない 。
 105私 は 過去 二十 年 の 間 に 、 少なくとも 四百二三十 篇 の 捕物小説 を 書い た 。
 106勿論 それ は ジャーナリズム に 強い られ た ため で は あっ た にしても 嫌い で は 決して 出来 ない こと で 、 探偵小説 の 持つ 推理 の 興味 と 、 髷物小説 を 特色づける 夢 と が 、 私 を 鼓舞 し て この 驚く べき 生産 を 遂げ さし た こと だろう と 思う 。
 107私 の 捕物小説 に 仮り に 用い た 主人公 の 名 は 、 銭形平次 、 池田大助 を始め ―― 曰く何 と 算え 来る と 五指 に も 余る だろう 。
 108その うち 銭形平次 と 池田大助 は 最も 多く 、 その 性格 も また やや 対蹠的 に 書か れ た 積もり で ある 。
 109銭形平次 の 温かさ と 俊敏さ は 、 池田大助 に も 共通 する だろう が 、 平次 の 好謔 は 大助 の 生真面目さ と 相対 し 、 平次 の 練達 は 、 大助 の 若さ に 、 そして 平次 は 腹 の 底 から の 江戸 の 庶民 で ある の に対して 、 大助 は 桶屋 の 倅 で ある にしても 、 名判官 大岡越前守 の 用人 で 、 押しも押されもせぬ 二 本 差し の 武家 で ある 。
 110銭形平次 の 遊び の 多い 叙述 、 換言 すれ ば 江戸 の 風物詩的 な 物語 に対して 、 池田大助 の 捕物 は やや 本格探偵小説的 で 、 冷たい 理智的 な もの を 用意 し て いる はず で ある 。
 111共 に 正義 を 愛し 、 共 に 偽善 を 憎み 、 最後 まで も 許さ ん と する 心構え を 持っ て いる 点 において は 、 平次 も 大助 も 共通 で 、 畢竟 は 同じ 血 を わけ た 兄弟 と いわ れ て も 致し方 は ない 。
 112
 113誰 でも 一 度 は 喰いつく が 、 滅多 に 最後 まで は 読み 通せ ない という 名著 が 、 かなり 夥しく 存在 する もの で ある 。
 114聖書 も その 一 つ なら 、 『 資本論 』 も その 一 つ で あり 、 『 戦争と平和 』 も その 例 に 漏れ 難く 、 近頃 の 人 にとって は 、 『 南総里見八犬伝 』 や 『 ドン・キホーテ 』 や 、 『 アラビアン・ナイト 』 も そう かもしれない 。
 115いやいや それどころ で は なく 、 こう 厖大 な 全集物 が 氾濫 し て は 、 評判 の やかましい 名作 も 、 ツンドク居士 の 蒐集 の 目的物 で 了る こと も 少なく は ない であろう 。
 116それ は ともかく と し て 、 書斎 や 客間 に 飾る 本 と 、 居間 や 寝室 に 置く 本 と は 、 自ら 区別 が ある わけ で 、 読書家 の 蒐集 に も 、 他所行 と 、 不断着 、 見せる 本 と 、 読む 本 と の 間 に 、 多少 の 違い の ある の は 已むを得ない こと で ある かもしれない 。
 117ある 有名 な 政治家 が 、 あまり 読み そう も ない 背革金文字 の 外国語 の 本 を ズラリ と 棚 に 並べ 、 若い 客 など が 来る と 、 わざわざ 書斎 に 通し て 、 まず 一脅かし 脅かし た という 噂 も あり 、 また 一方 に は 、 大した 狭い 家 で も ない のに 、 居間 や 書斎 を 空っぽ に し て 、 わざわざ 六つかしく 厳めしい 本 を 玄関 に 積み重ね 、 来訪 の 学生 や 新聞記者 の 胆 を 奪っ た という 学者 も ある 。
 118もっとも 我々 文士 の 中 に は 、 必要 以上 の 本 を 求める 篤志家 など は ほとんど なく 、 ひどい の に なる と 、 ろくな 参考書 を 持っ て い ない ばかり で なく 、 辞書 一 冊 持っ て い ない の を 、 かえって 自慢 の 種 に し て いる つむじ曲り も ある よう で ある 。
 119「 調べる 」 こと を 自慢 の 一 つ に し た 時代 に 、 俺 は 万年筆 と 原稿紙 さえ あれ ば 、 仕事 を し て みせる という 、 痩せ我慢 で あっ た の かもしれない 。
 120ところで 、 これ は 非常 に 長く フランス に い た 人 の 話 で ある が 、 巴里 あたり の 良い 家庭 の 客間 や 広間 に は 、 古典 の 文学書 が ギッシリ 並べ られ 、 その 装禎 の 美しさ を 競っ て いる が 、 その 著書 は 、 コルネーユ 、 ラシーヌ 、 モリエール から 精々 、 バルザック や 、 ユーゴー あたり まで で 、 フローベル や モーパッサン は ともかく 、 大デュマ など は 姿 も 見せ ない という こと で ある 。
 121この 話 は 戦前 に 聴い た こと で 、 近頃 は また 変わっ て いる の かもしれない が 、 ともかく 、 どこ の 国 で も 、 中流 以上 の 家庭 の 主婦達 は かなり 見栄坊 で ある こと は 疑い も ない 。
 122それならば 、 巴里ッ子 は ダルタニアン や モンテ・クリスト の 物語 を 読ま ない か と いう と 、 決して そう で は ない の で ある 。
 123現に 寝室 の 小卓 の 上 に は 、 いとも つつましやか に 、 大デュマ 以下 の 親しみ深い 名著 が 置か れ て ある と いう の で ある 。
 124それ が やがて 、 ファントマ に なり 、 ルパン に なっ た の かもしれない が 、 そこ まで は 詮索 の 限り で ない 。
 125物 を 書く の を 職業 に し て いる 我々 にとって は 、 自分 の 書い た もの が サロン に 飾ら れ て 、 百 年 の 埃 を 蒙る の も 、 誇らしい こと で ある に 違い は ない が むしろ 差し当って の 望み は 、 寝室 の 小卓 に 置か れ て 、 憩い と 眠り の 、 よき 友 に なり 、 幾 度 か くり返し て 読ん で 貰い たい 心持 で 一杯 で ある 。
 126我々 捕物作家 は 、 そう 考え た ところ で 、 少し も 恥ずかしい こと で は ない と 思う 。
 127とにもかくにも 、 明るく 楽しく 、 後味 の 良い 捕物小説 を 提供 する こと が 作者 二十 年来 の 望み で 、 この 激しい 物語 の 中 から 、 悪 を 憎む こと だけ で は なく さらに 人 を 愛する こと の 尊さ と 、 人 を 許す こと の 美しさ を 読み取っ て 下され ば 、 作者 にとって は この 上 も ない 喜び だ 。
 128半生 を 捕物小説 の 創作 に 過ごし た こと に対して さえ も いささか の 悔い も 残ら ない 。