コーパス概要 タグ 文字列検索 ツリー検索
クレジット
English
ABC

      コンテキスト表示 について      Leaf-ancestor コンテキスト Leaf-root コンテキスト      括弧付きツリーをダウンロード

aozora_Nomura-17-1954のコンテキスト表示

title Zuihitsu Zenigata Heiji (17 Torimono shoosetsu to iu mono)
author Nomura, Kodo
date 1954
source Aozora Bunko (https://www.aozora.gr.jp/cards/001670/card57218.html)
genre essay
subcorpus Aozora Bunko
terms of use Creative Commons license


 1随筆銭形平次
 2捕物小説というもの
 3野村胡堂
 4+ 目次
 5
 6「 捕物小説 」 という もの は 、 好むと好まざるとに関せず 、 近頃 読書界 の 一 つ の 流行 で 、 大衆雑誌 の 編輯者 が 「 捕物小説 を 一 つ 入れ なけれ ば 、 売る 自信 が 持て ない 」 と いう の も 、 決して 誇張 や お世辞 で は ない よう で ある 。
 7十 年 二十 年 ほど 前 に は 、 やくざ小説 が はやり 、 明治 の 初年 に は 、 義賊小説 や 泥棒芝居 が 恐ろしい 勢い で 、 創作演劇 の 世界 を 風靡 し た 。
 8その いずれ に も 共通 な 性格 は 、 英雄的 で 、 多分 に 反社会的 な 傾向 を 持っ た もの で ある 。
 9今日 の 捕物小説 は 同じく 英雄崇拝的 な 傾向 を 持っ た もの で ある が 、 むしろ 根底 に 横たわる 思想 は 遵法的 又は 人道的 で 、 その 点 やくざ小説 又は 義賊小説 と まったく 異なり 、 同じ 系統 の 小説 らしく 見え ながら 、 新しい 読者 を 獲得 し た 所以 だろう と 思う 。
 10その 意味 において 捕物小説 は 、 単なる 犯罪小説 又は 怪奇小説 で あっ て は いけ ない 。
 11あえて 世道人心 を 裨益 し よう など という 、 大それた 自惚 は 持っ て い ない までも 、 娯楽 に 重点 を 置き 過ぎ 、 読者 の 好奇心 に 阿っ て 、 人 の 子 を 毒する よう な こと で は 、 遅かれ早かれ 、 世の中 から 見捨て られる 時期 が 来る だろう 。
 12捕物小説 に 一脈 の ヒューマニズム の 匂う の は 、 捕物小説 の ため に は 、 保身延命 の 保護策 で なけれ ば なら ない 。
 13
 14では 、 捕物小説 は 、 どれ だけ の 特色 が ある か と いわ れる と 、 一般大衆小説 と 同じ よう に 、 それ は 娯楽的 な 役目 を 果たす ばかり で なく 、 探偵小説 の 範疇 に 属する もの として 、 スリル と サスペンス の 刺戟 に なる 読書子 の 食慾 に 満足 を 与え 、 さらに 作中 の 主人公 と共に トリック を 解い て いく スポーツ的興味 の 外 に 、 何がなし 、 特別 な もの を 持っ て い なけれ ば なら ない はず で ある 。
 15その 一 つ は 、 江戸時代 を 描く こと に依って 味わい 得る 郷愁 へ の 訴え で ある 。
 16髷 を 結っ て 刀 を 差し て い た 江戸時代 、 青酸カリ も ピストル も 無かっ た 江戸時代 は 、 馬鹿馬鹿しい 義理人情 に 歪め られ た 時代 で は あっ た が 、 同時 に 、 吉原 と 猿若町 の 空気 が 、 不健康 で は ある にしても 、 一種 微妙 な 江戸情緒 を 醸し出し 、 そこ に 生まれ た 幾多 の ロマンティスト が 、 想像 も 及ば ぬ 美しき もの を 織り出し た 時代 で も あっ た の で ある 。
 17捕物小説 の 主人公 は 、 理想化 さ れ た 町方役人 又は 御用聞き で あり 、 その 活動 の 舞台 は 、 ほとんど ことごとく が 、 江戸っ子 の 庶民階級 で ある 。
 18其処 へ 登場 する 武家 は 、 先祖 の 手柄 で 徒食 する 、 ドン・キホーテ の 場合 が 多く 、 通俗小説 の 英雄 ―― 忠臣義士 は あまり 顔 を 出さ ない 。
 19「 捕物小説 の 与力 や 目明かし は 、 決して 賄賂 を 取ら ない 」 と ある 人 は いっ た 。
 20いかに も 面白い 言葉 で ある 。
 21現代 の 世智辛さ に 疲れ果て た 人 が 、 江戸時代 へ の 回顧 に 、 一脈 の 慰安 を 感ずる よう に 、 毎日 眼 に 触れる 収賄贈賄 の 新聞記事 に 中毒 し て いる 人達 は 、 江戸時代 の 御用聞き の 清廉さ に 、 涼風腋下 の 快感 を 覚える こと であろう 。
 22
 23これ は すべて の 探偵小説 について 考える こと で ある が 、 探偵小説 又は 捕物小説 は しばしば 人間 の 猛烈 な 本能 の 発動 を 抑制 する ため の 安全弁 を なす こと で ある 。
 24本能 の 発展 盲動 は 、 多種多様 で 限り も なく 、 その 動き は 猛烈 で 、 容易 の こと で 抑え よう は ない 。
 25これ を 調節抑制 し て 、 社会生活 の 平衡 を 保ち 得る もの は 、 その 人 の 教養 ―― わけて も たしなみ と 打算 と 、 想像力 だけ で ある と いっ て も 良い 。
 26多く の 性格異常者 や 犯罪者 は 、 想像力 を 持た ない の が 普通 で 、 「 こう すれ ば ああ なる 」 「 ああ すれ ば こう なる 」 という 推理 と 想像 を 欠く ため に 、 少し ばかり の 金 の 欲しさ や 、 一時 の 慾望 の 衝動 に 駆られ て 、 とんでもない 事件 を 惹き起こす の で ある 。
 27最近 当局 が 売春婦狩り を し て 、 一人 一人 について 調べ た 結果 、 彼女等 の 七八十 パーセント まで は 、 花柳病 に対する 知識 が なく 、 病毒 の 危険 に対して 、 全く 無関心 で あっ た と いわ れ て いる 。
 28無知 と 想像力 の 欠如 ほど 、 人 の 生活 の 平衡 を 危うく する もの は ない 。
 29恐る べき は 探偵小説 を 読む 害毒 より も 、 探偵小説 を さえ 読ま ぬ 無知 と 、 探偵小説 を 解し 得 ぬ ほど の 想像力 の 欠如 で ある と いっ て 宜い 。
 30
 31捕物小説 は 義理人情小説 で ある と いう 人 が ある 、
 32それ は 捕物小説 を 低級 な チャンバラ小説 と 同一視 する 程度 の 、 恐る べき 浅見 と いわ なけれ ば なら ない 。
 33捕物小説 に は 、 原則 として チャンバラ は なく 、 捕物小説 に は 、 絶対 に 低級 な 義理人情 の 鼓吹 又は 讃美 は ない の で ある 。
 34捕物小説 の 一 つ の 傾向 は 、 単なる 殺人 の 技術 と 、 その 詭計解釈 の 小説 で あっ て は いけ ない ため に 、 法 の 適用 に 、 一 つ の ユートピア的 な 自由さ を 持た せ た 点 を 特色 と する 。
 35探偵小説 は 、 エドガー・アラン・ポー に 始まる と 思わ れ て いる が 、 中国 に は 早く も 元代 に 『 棠蔭比事 』 が あり 、 日本 に は 三百 年 前 の 井原西鶴 に 『 桜蔭比事 』 が ある 。
 36以後 『 桃蔭比事 』 を 経 て 『 大岡政談 』 に 至る まで 、 多く は 探偵小説 で ある と いう より は 、 むしろ 裁判小説 で あり 、 名判官 の 名裁判 をもって 終始 し て いる が 、 一貫 せる 思想 は 、 達眼 をもって 情理 を 見極める 、 一種 の 大岡裁き で 、 もっぱら 法 の 運用 の 面白さ を 描い た もの で ある 。
 37冷酷無残 な 人情 と 、 仮借 なき 法 の 運用 に対する 反抗 は 、 昔 から 小説 の よき 題材 で は ある が 、 わけて も ヴィクトル・ユーゴー の 『 レ・ミゼラブル 』 は 代表的 で 、 法 の 冷たい 執拗さ の 影 に 、 人間 の 果敢なさ 弱さ を 強調 し た もの で ある 。
 38この 思想 は 何時 の 世 に も 民衆 の 喝采 を 呼ぶ こと に 変わり は なく 、 やや 不健康 な 程度 に まで 奔逸 し た の は 、 泥棒小説 と やくざ小説 の 題材 に なっ て いる の で ある 。
 39法 の 精神 は 、 動機 を 罰せ ず し て 、 行為 を 罰する 。
 40動機 が いかに 兇悪無残 で も 、 行為 として 直接 現われ ない 限り 、 法 は これ を 罰する こと は 出来 ない 。
 41しかし 、 大岡裁き や 捕物小説 において は 、 しばしば 行為 を 罰せ ず し て 、 動機 を 罰する こと さえ 許さ れ て いる の で ある 。
 42捕物小説 の 面白さ 、 読者 に やんや と いわ れる 原因 は 、 その 辺 に も ある こと だろう と 思う 。
 43
 44だが 、 私 は 決して 捕物小説 の 現状 に 満足 し て いる もの で は ない 。
 45捕物小説 も 、 娯楽小説 で ある と共に 、 文学 として の 一 つ の 形式 を 確立 し 、 芸術的作品 に まで 地位 を 高め なけれ ば なら ない の で ある 。
 46ドストイェフスキー の 『 罪と罰 』 が かつて 試み た よう に 、 人間 の 心 の うち から 、 天使 と 悪魔 と を 抽出 し て 、 最高文学 の 領域 に まで 、 その 創造 を 高め なけれ ば なら ない の で ある 。