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Context

title:Samayoeru yudayazin no shuki yori
author:Terada, Torahiko
date:1929
source:Shiso, September edition; Aozora Bunko (http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card42228.html)
genre:fiction
subcorpus:Aozora Bunko
terms of use:Creative Commons license

 1さまよえるユダヤ人の手記より
 2寺田寅彦
 3一 涼しさ と 暑さ
 4この 夏 は 毎日 の よう に 実験室 で 油 の 蒸餾 の 番人 を し て 暮らし た 。
 5昔 の 武士 の 中 の 変人達 が 酷暑 の 時候 に ドテラ を 着込ん で 火鉢 を 囲ん で 寒い 寒い と 云っ た という 話 が ある が 、 暑中 に 烈火 の 前 に 立っ て 油 の 煮える の を 見る の は 実は 案外 に 爽快 な もの で ある 。
 6暑い 時 に 風呂 に 行っ て 背中 から 熱い 湯 を 浴びる と 、 やはり 「 涼しい 」 と かなり よく 似 た 感覚 が ある 。
 7あれ も 同じ わけ で あろ う 。
 8涼しい という の は 温度 の 低い という こと と は 意味 が 違う 。
 9暑い という 前提 が あっ て 、 それ に 特殊 な 条件 が 加わっ て 始めて 涼しさ が 成立 する の で ある 。
 10先年 塩原 の 山中 を 歩い て い た 時 に 、 偶然 に この 涼しさ の 成立条件 を 発見 し た 。 と その 時 に 思っ た こと が ある 。
 11蒸さ れる よう な 暑苦しい 谷間 の 坂道 の 空気 の 中 へ 、 ちょうど 味噌汁 の 中 に 入れ た 蓴菜 の よう に 、 寒天 の 中 に 入れ た 小豆粒 の よう に 、 冷たい 空気 の 大小 の 粒 が 交じっ て 、 それ が 適当 な 速度 で われわれ の 皮膚 を 撫で て 通る とき に われわれ は 正真正銘 の 涼しさ を 感じる らしい 。
 12暑中 に 冷蔵庫 へ 這入っ た 時 の 感じ は 、 あれ は 正当 なる 涼しさ と は 少し ちがう 。
 13あれ は 無意味 なる 沈鬱 で ある 。
 14涼しさ の 生じる ため に は 、 どう も 時間的 に また 空間的 に 温度 の 短週期的変化 の ある こと が 必要条件 で ある らしい 。
 15しかし 、 寒中 に 焚火 を し て も いわゆる 「 涼しさ 」 は 感じ ない ところ を 見る と 、 やはり 平均気温 の 高い という こと が 涼しさ の 第一条件 で なけれ ば なら ない 。
 16そうして その 平均気温 から の 擬週期的変化 が 第二条件 で ある と 思わ れる 。
 17この 変化 は 必ずしも 低温 の 方向 に 起ら なくて も いい という こと は 、 暑中 熱湯 を 浴びる 実験 から も 分る と 思う 。
 18たぶん 温度 が 急激 に 降下 する とき に 随伴 する 感覚 で あっ て 、 しかも それ は すぐ に 飽和 さ れる 性質 の もの で ある から 、 この 感覚 を 継続 さ せる ため に は 結局 週期的 の 変化 が 必要 に なる と 考え られる 。
 19子供 の 時分 、 暑い 盛り に 背中 へ 沢山 の 灸 を すえ られ た 経験 が ある が 、 あの 時 の 背中 の 感覚 に は やはり 「 涼しさ 」 と どこ か 似通っ た ある 物 が ある 。
 20これ は ここ の 仮説 を 裏書 する 。
 21こんな 事 を 考え て い た の で ある が 、 今年 の 夏 房州 の 千倉 へ 行っ て 、 海岸 の 強い 輻射 の エネルギー に 充たさ れ た 空間 の 中 を 縫う て 来る 涼風 に 接し た とき に 、 暑さ と 涼しさ と は 互い に 排他的 な 感覚 で は なくて 共存的 な 感覚 で ある こと に 始めて 気が付い た の で ある 。
 22暑い と同時に 涼しい という こと あるいは むしろ 暑い 感じ を 伴う こと なし に 涼しさ は 感じ 得 られ ない という こと が 一般的 な 事実 で ある のに 、 われわれ は 暑い 涼しい という 二 つ の 言葉 が 反対 の こと の よう に 思い込ん で しまっ て い た ため に 、 こんな 分り 切っ た こと に 今 まで 気が付か ない で い た の で は ない か 。
 23ここ で も われわれ は 「 言葉 」 という 嘘つき に 欺さ れ て い た の で は ない か 。
 24「 暑い 」 という こと と 寒暖計 の 示度 の 高い という こと と も 、 互い に 関係 は ある が 同意義 で は ない 。
 25いつ か 新聞 の 演芸風聞録 に 、 ある 「 頭 の 悪い 」 という の で 通っ て いる 名優 の 頭 の 悪い 証拠 として 次 の よう な こと を 書い て あっ た 。
 26ある 酷暑 の 日 に その 役者 が 「 今日 は だいぶ 暑い と 見える 、 観客席 で 扇 の 動き方 が 劇しい よう だ 」 と 云っ た という の で ある 。
 27これ は しかし その 役者 の 頭 の 悪い 証拠 で なくて 良い 方 の 破格 の 一 例 として 取扱わ る べき もの で ある かも しれ ない 。
 28暑い 日 の 舞台 の 上 は 自然的 の 通風 で 案外 涼しい かも しれ ない し 、 それ で なくて も 、 その 役者 が 真面目 に 芝居 を やっ て いる 限り その 日 が 特に 暑い 日 で ある か ない か 分る はず が ない の で ある 。
 29それ は 炭坑 の 底 に 働い て いる 坑夫 に 、 天気 が 晴れ て いる の か 暴れ て いる の か が 分ら ない の と 同様 で ある 。
 30それで 扇 の 動き方 で その 日 の 暑さ を 知っ た という の は 、 雁行 の 乱るる を 見 て 伏兵 を 知っ た 名将 と 同等 以上 で ある の かも しれ ない 。
 31しかし おそらく これ は すべて の 役者 に 昔 から よく 知ら れ た きわめて 平凡 な 事実 で ある かも しれ ない 。
 32そう だ として それ を 今頃 気が付い た と すれ ば 、 なるほど これ は 頭 の 悪い 証拠 に なる かも しれ ない 。
 33演芸風聞録 の 頭 の いい 記者 は たぶん この 意味 で 書い た に 相違 ない の で ある が 、 これ に これ だけ の 注釈 を つける こと も 出来る の で ある 。
 34二 玉虫
 35夏 の ある 日 の 正午 駕籠町 から 上野行 の 電車 に 乗っ た 。
 36上富士前 の 交叉点 で 乗込ん だ 人々 の 中 に 四十 前後 の 色 の 黒い 婦人 が 居 た 。
 37自分 の 隣 へ 腰 を かける と 間もなく 不思議 な 挙動 を する の が 自分 の 注意 を ひい た 。
 38ハンケチ で 首筋 の 辺 を はたく よう な こと を し て いる 。
 39すると 眼 の 下 の 床 へ ばたりと 一 疋 の 玉虫 が 落ち た 。
 40仰向き に 泥だらけ の 床 の 上 に 落ち て 、 起き直ろ う と し て 藻掻い て いる の で ある 。
 41しばらく 見 て い た が 乗客 の うち の 誰 も それ を 拾い上げ よう と する 人 は なかっ た 。
 42自分 は そっと この 甲虫 を つまみ上げ て ハンケチ で 背中 の 泥 を 拭う て いる と 、 隣 の 女 が 「 それ は 毒虫 じゃ あり ませ ん か 」 と 聞い た 。
 43虫 を ハンケチ に くる ん で カクシ に 押し込ん で から 自分 は チェスタートン の 『 ブラウン教父の秘密 』 の 読みかけ を 読み つづけ た 。
 44研究所 へ 帰っ て から 思い出し て ハンケチ を 開け て みる と 、 だいぶ 苦しん だ と 見え て 、 糞 を 沢山 に ひり散らし た 痕 が ハンケチ に 印銘 さ れ て い た 。
 45手近 に あっ た アルコール の 数 滴 を 机 の 上 に 垂らし て その 上 に 玉虫 の 口 を おっつける と 、 虫 は 活溌 に その 嘴 を 動かし て アルコール を 飲み込ん だ 。
 46それ が われわれ の 眼 に は さも さも うま そう に 飲ん で いる よう に 見え た 。
 47虫 の 表情 という もの が あり 得る かどうか 知ら ない が 、 ただ 机 の 上 の アルコール の 減じ て 行く 速度 が そういう 感じ を 起さ せ た の で ある 。
 48幾 ミリグラム か の 毒液 を 飲み 終る と 、 もう 石 の よう に 動か なく なっ て しまっ た 。
 49そこ へ 若い F君 が やって来 た 。
 50自分 は F君 に 、 この 虫 が 再び 甦る と 思う か 、 この まま に 死ん で しまう と 思う か と 聞い た 。
 51もちろん 自分 に も 分ら なかっ た の で ある 。
 52F君 は 二〇 プロセント は 甦る と 云い 自分 は 百 プロセント 死ぬ という こと に し て 、 それ で 賭 を する と し たら 、 どういう 勘定 に なる か という 問題 を 色々 に 議論 し た 。
 53「 午後 の 御茶 」 の 時間 に 皆 で 集まっ た とき に 、 自分 は 、 この 玉虫 が いったい どこ で あの 婦人 の 髪の毛 に 附着 し て 、 そうして 電車 の 中 に 運ば れ た であろう か という 問題 を 出し た 。
 54Y君 は 染井 の 墓地 から という 説 を 出し た 。
 55私 は 吉祥寺 で は ない か と も 云っ て み た 。
 56この 婦人 に は 一人 男 の 連れ が あっ た が 、 電車 で は ずっと 離れ た 向う側 に 腰 を かけ て い た 。
 57後 の その 隣 に 空席 が 出来 た とき に 女 の 方 で そこ へ 行っ て 何 かしら 話 を し て い た の で ある 。
 58われわれ の 問題 は 、 虫 が 髪 に 附い て から 、 それ が 首筋 に 這い下り て 人 の 感覚 を 刺戟 する まで に おおよそ どの くらい から どの くらい まで の 時間 が 経過 する もの か という の で あっ た 。
 59もしも その 時間 が 決定 さ れ 、 そして その 人 が 電車 で 来 た もの と 仮定 すれ ば 、 その 時間 と 電車速度 の 相乗積 に 等しい 半径 で 地図上 に 円 を 描き 、 その 上 に ある 樹林 を 物色 する こと が 出来る 。
 60しかし 実際 は そう 簡単 に は 行か ない 。
 61しかし この 玉虫 の 一 例 は 、 われわれ が われわれ の 現在 に こびり付い た 過去 の 一 片 を からだ の どこ か に くっつけ て 歩い て いる という こと の いい 例証 に は なる であろう 。
 62もし も その 日 の 夕刊 に 、 吉祥寺 か 染井 の 墓地 で ある 犯罪 の 行わ れ た 記事 が 出 た と し たら 、 探偵 で ない 自分 は 、 少なくも 一 つ の 月並み な 探偵小説 を 心 に 描い て 、 これ に 「 玉虫 」 と 題し た かも しれ ない 。
 63アルコール を 飲ん だ 玉虫 は とうとう 生き返ら なかっ た 。
 64人間 だ と し たら たぶん 一 ポンド くらい の 純アルコール を 飲ん だ わけ で ある 。
 65手近 に あっ た 水銀燈 を 点じ て 玉虫 を 照らし て み た 。
 66あの 美しい 緑色 は 見え なく なっ て 、 鏽び た ひわ茶色 の 金属光沢 を 見せ た が 、 腹 の 美しい 赤銅色 は その まま に 見 られ た 。
 67三 杏仁水
 68ある 夏 の 夜 、 神田 の 喫茶店 へ はいっ て 一 杯 の アイスクリーム を 食っ た 。
 69その アイスクリーム の 香味 に は 普通 の ヴァニラ の 外 に 一種 特有 な 香味 の 混じ て いる の に 気がつい た 。
 70そうして それ が 杏仁水 で ある こと を 思い出す と同時に 妙 な 記憶 が 喚び起さ れ て 来 た の で ある 。
 71中学 中学 四 年 頃 の こと で あっ た か と 思う 。
 72同級 の I君 が 脚気 で 亡くなっ た ので 、 われわれ 数 人 の 親しかっ た 連中 で その 葬式 に 行っ た 。
 73南国 の 真夏 の 暑い 盛り で あっ た 。
 74町 から 東 の O村 まで 二 里 ばかり の 、 樹蔭 一 つ ない 稲田 の 中 の 田圃道 を 歩い て 行っ た 。
 75向う へ 着い た とき に 一同 は コップ に 入れ た 黄色い 飲料 を 振舞わ れ た 。
 76それ は 強い 薬臭い 匂 と 甘い 味 を もっ た 珍しい 飲料 で あっ た 。
 77要するに それ は 一種 の 甘い 水薬 で あっ た の で ある 。
 78もっとも I君 の 家 は 医家 で あっ た ので 、 炎天 の 長途 を 歩い て 来 た われわれ 子供たち の ため に 暑気払い の 清涼剤 を 振舞っ て くれ た の で ある 。
 79後 で 考える と あの 飲料 の 匂 の 主調 を なす もの が 、 やはり この 杏仁水 で あっ た らしい 。
 80明治 二十 年代 の 片田舎 で の 出来事 として 考える とき に 、 この 杏仁水 の 饗応 が はなはだ オリジナル で あり 、 ハイカラ な 現象 で あっ た よう な 気 が する 。
 81大学在学中 に 、 学生 の ため に 無料診察 を 引受け て い た いわゆる 校医 に K氏 が 居 た 。
 82いたずら好き の 学生達 は 彼 に 「 杏仁水 」 という 渾名 を 奉っ て い た 。
 83理由 は 簡単 な こと で 、 いかなる 病気 に でも その 処方 に 杏仁水 の 零点幾 グラム か が 加え られる という だけ で ある 。
 84いつ か 診察 を 受け に 行っ た とき に 、 先 に 来 て い た 一 学生 が 貰っ た 処方箋 を 見 ながら 「 また 、 杏仁水 です か 」 と 云っ て ニヤリと し た 。
 85K氏 は 平然 と し て 「 君等 は 杏仁水 杏仁水 と 馬鹿 に する が 、 杏仁水 でも 、 人 を 殺そ う と 思え ば 殺せる 」 と 云っ た 。
 86この 場合 で は 杏仁水 が 、 陳腐 なる もの コンヴェンショナル な もの の 代表 として 現われ た わけ で ある 。
 87自分 の 五十 年 の 生涯 の 記録 の 索引 を 繰っ て 杏仁水 の 項 を 見る と 、 先ず この 二 つ の 箇条 が 出 て 来る 。
 88近来 杏仁水 の 匂 の する 水薬 を 飲ま さ れ た 記憶 は さっぱり ない 。
 89久しく 嗅が なかっ た 匂 で あっ た ため に 、 今 この アイスクリーム の 匂 の 刺戟 によって 飛び出し た 追想 の 矢 が 一と飛び に 三十 年 前 へ 飛び越し た の かも しれ ない 。
 90不思議 な こと に 、 この 一 杯 の アイスクリーム の 香味 は その 時 の 自分 に は 何 かしら 清新 にして 予言的 な もの の よう な 気 が し た の で ある 。
 91四 橋 の 袂
 92千倉 で 泊っ た 宿屋 の 二 階 の 床 は 道路 と 同平面 に ある 。
 93自分 の 部屋 の 前 が 橋 の 袂 に 当っ て いる ので 、 夕方 橋 の 上 に 涼み に 来る 人 と 相対 し て 楽 に 話 が 出来る くらい で ある 。
 94宿 の 主人 が 一 匹 の 子猫 の 頸 を つまん で ぶら下げ ながら 橋 の 向う側 の 袂 へ 行っ て ぽい と それ を ほうり出し た 。
 95猫 は あたかも 何事 も 起ら なかっ た か の よう に うそうそ と 橋 の 欄干 を 嗅い で い た 。
 96女中 に 聞い て みる と 、 この 橋 の 袂 へ 猫 を 捨て に 来る 人 が 毎日 の よう に あっ て 、 それら の 不幸 なる 孤児 等 が 自然 の 径路 で この 宿屋 の 台所 に 迷い込ん で 来る そう で ある 。
 97なるほど 始めて ここ へ 来 た とき から 、 この 村 に 痩せ た 猫 の 数 の はなはだ 多い こと に 気が付い た くらい で ある から 、 従って 猫 を 捨てる 人 の 多い の も 当然 で あろ う と 思わ れ た 。
 98猫 を 捨て に 出 た 人 が 格好 の 捨場 を 求め て 歩い て 行く うち に 一 つ の 橋 の 袂 に 来 た と すれ ば 、 その 人 は また おそらく 当然 そこ で その 目的 の 行為 を 果たす に 相違 ない 。
 99これ は 何故 で あろ う か 。
 100橋 の 袂 は 交通線上 の 一 つ の 特異点 で あっ て 、 歩行者 の 心 の テンポ に ある 加速度 を 与える ため に 自然 に 予定 の 行為 へ の 衝動 を 受ける の かも しれ ない 。
 101われわれ の 生活 の 行路 の 上 に も また こういう 橋 の 袂 が ある 。
 102そうして そこ で 自分 の 過去 の 重荷 を 下ろそ う と し て 躊躇 する こと が しばしば ある 。
 103同様 に 国家社会 の 歴史 の 進展 の 途上 に も 幾多 の 橋 の 袂 が ある 。
 104教育家 為政者 は 行手 の 橋 の 袂 の 所在 を 充分 に 地図 の 上 で 研究 し て おか なけれ ば なら ない と 思う 。
 105弁慶 が 辻斬 を し た の は 橋 の 袂 で ある 。
 106鍋焼うどん や 夜鷹 も また しばしば 橋 の 袂 を 選ん で 店 を 張っ た 。
 107獄門 の 晒首 や 迷子 の しるべ 、 御触れ の 掲示 など に も また しばしば 橋 の 袂 が 最も ふさわしい 地点 で ある と 考え られ た 。
 108これ は 云う までも なく 、 橋 が 多く の 交通路 の 集合点 で あっ て 一種 の 関門 と なっ て いる から で ある 。
 109従って あらゆる 街路 よりも 交通 の 流れ の 密度 が 大きい から の こと で ある 。
 110この 第二 の 意味 における 「 橋 の 袂 」 の よう な もの も また 個人 の 生活 や 人類 の 歴史 の 上 に 沢山 の 例 が ある 。
 111十字軍 や 一九一四 年 の 欧洲大戦 の ごとき は 世界人類 の 歴史 の 橋 の 袂 で あり 、 ポール・セザンヌ と 名づけ られ た 一人 の 田舎爺 は 世界 の 美術史 の 上 の 橋 の 袂 で ある 。
 112ニュートン 、 アインシュタイン 、 プランク 等 の し た 仕事 も また 物理学史上 の それぞれ の 橋 の 袂 で あっ た と も 云わ れる 。
 113われわれ 個人 にとって いちばん 重大 な の は われわれ の 内部生活 における 、 第一 並びに 第二 の 意味 における 橋 の 袂 で ある 。
 114ここ で われわれ は 身 を 投げる か 、 弁慶 の 薙刀 の 鏽 と なる か 、 夜鷹 に 食わ れる か 、 それとも また 鍋焼うどん に 腹 を こしらえ て 行手 の 旅 を 急ぐ か で ある 。
 115( 昭和 四 年 九 月 『 思想 』 )