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Context for wikipedia_KYOTO_17

title:Article from Japanese-English Bilingual Corpus of Wikipedia's Kyoto Articles (Version 2.01)
date:2011/01/13
source:HST_00008.xml (Available from https://alaginrc.nict.go.jp/WikiCorpus/index.html).
genre:wikipedia
subcorpus:wikipedia Kyoto
terms of use:Creative Commons Attribution-Share-Alike License 3.0


 1院政
 2院政 ( いんせい ) とは 、 在位 する 天皇 の 直系尊属 で ある 太上天皇 ( 上皇 ) が 、 天皇 に 代わっ て 政務 を 直接 行う 形態 の 政治 で ある 。
 3上皇 は 「 院 」 と 呼ば れ た ので 、 院政 と いう 。
 4院政 を 布く 上皇 は 治天の君 と も 呼ば れ た 。
 5概要
 6前史
 7院政 とは 天皇 が 余力 ある 内 に 引退 し 、 若き 子 ( 孫 ) の 天皇 を 後見 する という 意味 。
 8院政 の 萌芽 は 持統天皇 ・ 元正天皇 ・ 聖武天皇 など から 見 られる 。
 9当時 は 皇位継承 が 安定 し て い なかっ た ため ( 大兄制 ) 、 譲位 という 意思表示 によって 意中 の 皇子 に 皇位継承 さ せる ため に とら れ た 方法 と 考え られ て いる 。
 10平安時代 に 入っ て も 嵯峨天皇 や 宇多天皇 や 、 円融天皇 など に も 見 られる ( 後述 ) 。
 11日本 の 律令下 で は 上皇 は 天皇 と 同等 の 権限 を 持つ と さ れ て い た ため 、 こうした やや 変則的 な 政体 ですら 制度 の 枠内 で 可能 で あっ た 。
 12これら の 天皇 は 退位後 も 「 天皇家 の 家父長 」 として 若い 天皇 を 後見 する と し て 国政 に 関与 する 事 が あっ た 。
 13だが 、 当時 は まだ この 状態 を 常に 維持 する ため の 政治的組織 や 財政的 ・ 軍事的 裏付け が 不十分 で あり 、 平安時代中期 に は 幼く 短命 な 天皇 が 多く 十分 な 指導力 を 発揮 する ため の 若さ と 健康 を 保持 し た 上皇 が 絶え て 久しかっ た ため に 、 父系 による この 仕組み は 衰退 し 、 代わり に 母系 に あたる 天皇 の 外祖父 の 地位 を 占め た 藤原北家 が 天皇 の 職務 ・ 権利 を 代理・代行 する 摂関政治 が 隆盛 し て いく こと に なる 。
 14だが 、 治暦 4 年 ( 1068 年 ) の 後三条天皇 の 即位 は その 状況 に 大きな 変化 を もたらし た 。
 15平安時代 を通じて 皇位継承 の 安定 が 大きな 政治課題 と さ れ て おり 、 皇統 を 一条天皇系 へ 統一 する という 流れ の 中 で 、 後三条 が 即位 する こと と なっ た 。
 16後三条 は 、 宇多天皇 以来 藤原北家 ( 後三条天皇 ) を 外戚 に 持た ない 170 年 ぶり の 天皇 で あり 、 外戚 の 地位 を 権力 の 源泉 と し て い た 摂関政治 が ここ に 揺らぎ 始める こと と なる 。
 17後三条天皇 以前 の 天皇 の 多く も 即位 し た 直後 に 、 王権 の 確立 と 律令 の 復興 を 企図 し て 「 新政 」 と 称し た 一連 の 政策 を 企画 実行 し て い た が 、 後三条天皇 は 外戚 に 摂関家 を 持た ない 強み も 背景 と し て 、 延久の荘園整理令 ( 1069 年 ) など より 積極的 な 政策展開 を 行っ た 。
 18延久 4 年 ( 1072 年 ) に 後三条天皇 は 第一皇子貞仁親王 ( 白河天皇 ) へ 生前 譲位 し た が 、 その 直後 に 病没 し て しまう 。
 19この とき 、 後三条天皇 は 院政 を 開始 する 意図 を 持っ て い た と する 見解 が 慈円 により 主張 さ れ て ( 『 愚管抄 』 ) 以来 、 北畠親房 ( 『 神皇正統記 』 ) 、 新井白石 ( 『 読史余論 』 ) 、 黒板勝美 、 三浦周行 など により 主張 さ れ て い た が 、 和田英松 が 、 災害異変 、 後三条 の 病気 、 実仁親王 ( 平安時代 ) の 立東宮 の 3 点 が 譲位 の 理由 で あり 院政開始 は 企図 さ れ て い なかっ た と 主張 し 、 平泉澄 が 病気 のみ に 限定 する など 異論 が 出さ れ た 。
 20近年 で は 吉村茂樹 が 、 当時 の 災害異変 が 突出 し て い ない こと 、 後三条 の 病気 ( 糖尿病 と 推定 さ れ て いる ) が 重篤化 し た の が 退位後 で ある こと を 理由 と し て 、 摂関家 を 外戚 に 持た ない 実仁親王 に 皇位 を 継承 さ せる こと による 王権 の 拡大 を 意図 し 、 摂関政治 へ の 回帰 を 阻止 し た もの で あっ て 院政 の 意図 は なかっ た と 主張 し 、 通説化 し て いる 。
 21しかしながら 美川圭 の よう に 、 院政 の 当初 の 目的 を 皇位決定権 の 掌握 と 見 て 、 王権 の 拡大 を 意図 し た こと 自体 を 重要視 する 意見 も 出 て いる 。
 22その 一方 で 、 近年 で は 宇多天皇 が 醍醐天皇 に 譲位 し て 法皇 と なっ た 後 に 天皇 の 病気 に伴って 実質上 の 院政 を 行っ て い た 事 が 明らか に なっ た 事 や 、 円融天皇 が 退位後 に 息子 の 一条天皇 が 皇位 を 継ぐ と 政務 を 見 よう と し た ため に 外祖父 で ある 摂政 藤原兼家 と 対立 し て い た という 説 も あり 、 院政 の 嚆矢 を 後三条天皇 よりも 以前 に 見る 説 が 有力 と なっ て いる 。
 23白河院政
 24次 の 白河 は 摂関家 を 外戚 に 持つ 天皇 で あっ た が 、 後三条 と 同様 に 親政 を 行っ た 。
 25白河 は 応徳 3 年 ( 1086 年 ) に 当時 8 歳 の 善仁皇子 ( 堀河天皇 ) へ 譲位 し 太上天皇 ( 上皇 ) と なっ た が 、 幼帝 を 後見 する ため 白川院 と 称し て 、 引き続き 政務 に 当たっ た 。
 26一般的 に は これ が 院政 の 始まり で ある と さ れ て いる 。
 27嘉承 2 年 ( 1107 年 ) に 堀河 が 没する と その 皇子 ( 鳥羽天皇 ) が 4 歳 で 即位 し 、 独自性 が 見 られ た 堀河時代 より 白河 は 院政 を 強化 する こと に 成功 し た 。
 28白河以後 、 院政 を 布い た 上皇 は 治天の君 、 すなわち 事実上 の 国王 として 君臨 し 、 天皇 は 「 まるで 東宮 ( 皇太子 ) の よう だ 」 と 言わ れる よう に なっ た 。
 29ただし 、 白河 は 当初 から その よう な 院政体制 を 意図 し て い た わけ で は なく 、 結果的 に そう なっ た と も いえる 。
 30白河 の 本来 の 意志 は 、 皇位継承 の 安定化 ( というより 自系統 による 皇位独占 ) という 意図 が あっ た 。
 31弟 で ある 実仁親王 ・ 輔仁親王 が 有力 な 皇位継承候補 として 存在 し て いる 中 、 我が 子 で ある 善仁親王 に 皇位 を 譲る こと で これら 弟 の 皇位継承 ( および それ を 支持 する 貴族 ) を 断念 さ せる 意図 が あっ た 。
 32直系相続 による 皇位継承 は 理想的 で ある 反面 、 皇位継承男子 が 必ずしも 確保 できる 訳 で は なく 、 常に 皇統断絶 の 不安 が つきまとう 。
 33逆 に 多く の 皇子 が 並立 し て い て も 皇位継承紛争 が 絶え ない こと と なる 。
 34院政 の 下 で は 、 「 治天の君 」 が 次代 ・ 次々代 の 天皇 を 指名 でき た ので 、 比較的 安定 し た 皇位継承 が 実現 でき 、 皇位継承 に 「 治天の君 」 の 意向 を 反映 さ せる こと も 可能 で あっ た 。
 35摂関政治 の 下 で 、 皇位継承 に 摂関家 の 意向 が 大きく 反映 し て い た の と 大きく 異なっ て いる 。
 36また 、 外戚関係 を 媒介 に 摂政関白 として 政務 に あたる 摂関政治 と 異なっ て 、 院政 は 直接的 な 父権 に 基づく もの で あっ た ため 、 専制的 な 統治 を 可能 と し て い た 。
 37院政 を 布く 上皇 は 、 自己 の 政務機関 として 院庁 を 設置 し 、 院宣 ・ 院庁下文 など の 命令文書 を 発給 し た 。
 38従来 の 学説 で は 院庁 において 実際 の 政務 が 執ら れ た と さ れ て い た が 、 鈴木茂男 が 当時 の 院庁発給文書 に 国政 に関する 内容 が 認め られ ない こと を 主張 し 、 橋本義彦 が これ を 受け て 院庁政治論 を 痛烈 に 批判 し た ため 近年 で は 、 非公式 の 私文書 として の 側面 の ある 院宣 を 用い て 朝廷 に 圧力 を かけ 、 院 独自 の 側近 を 院 の 近臣 として 太政官内 に 送り込む こと によって 事実上 の 指揮 を 執っ た と する 見解 が 有力 と なっ て いる 。
 39これら 院 の 近臣 は 上皇 と の 個別 の 主従関係 により 出世 し 権勢 を 強め た 。
 40また 、 上皇 独自 の 軍事組織 として 北面の武士 を 置く など 、 平氏 を 主 と し た 武士勢力 の 登用 を 図っ た ため 、 平氏権力 の 成長 を 促し た 。
 41その ため 、 白河 による 院政開始 をもって 中世 の 起点 と する 事 も ある 。
 42院政 の 最盛 と 転換
 43白河 は 、 鳥羽 の 第一 皇子 ( 崇徳天皇 ) を 皇位 に つけ た 後 に 没し 、 鳥羽 が 院政 を 布く こと と なっ た が 、 鳥羽 は 崇徳 を 疎んじ 、 第九 皇子 で ある 近衛天皇 ( 母 、 藤原得子 ) へ 皇位 を 継が せ た ( 近衛没後 は その 兄 の 後白河天皇 ( 母 、 藤原璋子 ) が 継い だ ) 。
 44そして 、 保元 元 年 ( 1156 年 ) に 鳥羽 が 没し た 直後 、 崇徳 と 後白河 の 間 で 戦闘 が 起こり 、 後白河 が 勝利 し た ( 保元の乱 ) 。
 45後白河 は 保元 3 年 ( 1158 年 ) に 二条天皇 へ 譲位 する と 院政 を 開始 し た 。
 46後白河院政期 に は 、 平治の乱 と 平清盛政権 の 登場 および その 崩壊 、 治承・寿永の内乱 の 勃発 、 源頼朝 の 鎌倉幕府 成立 など 、 武士 が 一気 に 台頭 する 時代 と なっ た 。
 47後白河 の 後 は 、 その 孫 の 後鳥羽天皇 が 院政 を 行っ た 。
 48後鳥羽院 は 、 将軍 源実朝 が 暗殺 さ れ た 事 を 好機 と し 、 皇権復興 を 企図 し て 鎌倉幕府 を 倒そ う と し た が 失敗 ( 承久の乱 ) 、 自身 は 流罪 と なっ た 上 、 皇権 の 低下 と 朝廷 へ 執権 北条氏 の 介入 を 招い て しまっ た 。
 49乱後 、 後堀河天皇 が 即位 する と その 父親 で ある 守貞親王 が 例外的 に 皇位 を 経 ず し て 院政 を 行う ( 後高倉院 ) という 事態 も 発生 し て いる 。
 50院政 は 承久の乱以降 も 継続 し 、 公家政権 の 中枢 として 機能 し た 。
 51特に 乱以後 初めて 本格的 な 院政 を 布い た 後嵯峨天皇 に 院政諸制度 が 整備 さ れ て いる 。
 52後嵯峨院 は 、 奏事 ( 弁官 や 蔵人 による 奏上 ) を 取り次ぐ 役職 で ある 伝奏 の 制度化 、 そして 院 が 評定衆 とともに 相論 ( 訴訟 ) 裁許 に 当たる 院評定 を 確立 し 、 院政 の 機能強化 に 努め た 。
 53建武新政期 に は 後醍醐天皇 が 親政 を 行い 院政 は 一時期 中断 し た が 、 数 年 の 後 に 北朝 による 院政 が 復活 し 、 室町時代 に 入っ て から 院政 は 継続 し た が 、 永享 5 年 ( 1433 年 ) に 後小松天皇 が 死去 する と 院政 は 事実上 の 終焉 を 迎え た 。
 54これ 以降 、 院政 は 度々 執ら れ た が 、 あくまで 形式上 の 存在 で しか なく なっ て いっ た ため で ある 。
 55江戸時代 の 院政
 56江戸時代 に 入る と 、 『 禁中並公家諸法度 』 に 基づい て 江戸幕府 の 対朝廷介入 は 本格化 し 、 皇族 の 政治介入 は ほとんど 出来 なく なっ た 。
 57徳川氏 を 外戚 に 持つ 明正天皇 の 即位 で この 体制 は 確立 さ れる が 、 明正 の 治世中 は 後水尾天皇 による 院政 が 敷か れ た ため 、 明正 が 朝廷 に於ける 実権 を 持つ こと は 無く 、 後水尾上皇 に 朝廷内 の 実権 が 集中 し た 。
 58さらに 、 霊元天皇 が 院政 を 行う と 、 江戸幕府 と の 間 に 確執 を 生み 、 朝幕関係 に 緊張 を 走ら せ た 。
 59結果 、 江戸幕府 は 院政 の 存在 を 黙認 せ ざる を え なく なる 。
 60元々 院政 は 朝廷 の 法体系 の 枠外 の 仕組み で あっ た が ため に 、 『 禁中並公家諸法度 』 で は それ を 統制 でき ず 、 江戸幕府 による 朝廷 の 統制 に 限界 が ある こと を 露呈 し た 格好 と なっ た 。
 61江戸時代末期 ( 文化年間 ~ 弘化年間 ) に 閑院宮出身 の 光格天皇 が 、 息子 の 仁孝天皇 に 譲位 し て 院政 を 行っ た が 、 これ が 現在 において 最後 の 院政 で ある 。
 62現在 の 日本 で は 、 院政 は 事実上 禁止 さ れ て いる 。
 63これ により 、 院政 の 前提 と なる 上皇 の 存在 は 否定 さ れ た 。
 64そして 敗戦後 の 1947 年 に 法律 として 制定 さ れ た 現行 の 皇室典範 で も 、 第4 条 で 「 天皇 が 崩じ た とき は 、 皇嗣 が 、 直ちに 即位 する 」 と し 、 皇位 は 終身制 で あり 、 皇位 の 継承 は 天皇 の 死去 によって のみ おこなわ れる こと を 定め て いる 。
 65さらに 第2 条 で 皇位継承 の 順序 を 、 第3 条 で その 順序 の 変更 について 規定 し て おり 、 天皇 が 自ら の 意思 によって 継承者 を 指名 でき なく なっ て いる 。
 66世界史上 から 見 た 院政
 67君主位譲位者 が 後継者 の 後見 として 実質的 な 政務 を 行う という 政治体制 は 、 恒久的 な 制度 として は 世界史的 に きわめて 稀 で あり 、 他 に は ヴェトナム の 陳朝 に その 例 を 見る 程度 で ある 。
 68現代 日本 における 「 院政 」
 69院政 という 言葉 は 現代日本 で も 使わ れ て いる 。
 70組織 の トップ が 公的地位 を 去り 、 なおも 執行部 に対して 決定的 な 影響 を 常時 与える 形態 を 指す 比喩 で ある 。
 71主に 国政 や 企業経営 の 状況 に対して 使わ れる 。
 72政治 において は 、 スキャンダル 等 によって 退陣 を 余儀なくされ た 内閣総理大臣 が 、 なお 与党内 において 最も 強力 な 影響力 を 保持 し て いる 場合 に 「 院政 」 の 比喩 が 用い られる 。
 73例えば 、 竹下登 が 政権 退陣 し た 後 の 宇野宗佑政権 ・ 海部俊樹政権 が 「 竹下院政 」 と 称さ れ た こと が ある ( 事実 が そう で ある か は 不明 ) 。
 74現代日本政治 の 「 院政 」 は 、 名目上 実権 を 持た ない 地位 に 就い て 実質的 な 権力 を 行使 する こと により 、 権力行使 に 伴う 法的 ・ 道義的 責任 を 回避 する こと を 主目的 と する 意味 で 使わ れ て おり 、 歴史上 の 院政 と は 本質的 に 異なる 。
 75また 企業 や 団体 で の 類似 の 現象 も 院政 と 比喩 さ れる こと が ある が 、 この 場合 は 忠実 な 腹心 や 縁者 を 後継者 として 確定 さ せる こと により 権力 の 更なる 強化 を 図る 意味合い が 強い 。