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title:Article from Japanese-English Bilingual Corpus of Wikipedia's Kyoto Articles (Version 2.01)
date:2011/01/13
source:HST_00009.xml (Available from https://alaginrc.nict.go.jp/WikiCorpus/index.html).
genre:wikipedia
subcorpus:wikipedia Kyoto
terms of use:Creative Commons Attribution-Share-Alike License 3.0


 1安土桃山時代
 2安土桃山時代 ( あづちももやまじだい 、 1568 年 - 1603 年 ) とは 、 織田信長 と 豊臣秀吉 が 天下人 として 日本 の 統治権 を 握っ て い た ( 織田政権 ・ 豊臣政権 ) 時代 を 指す 、 日本 の 歴史 の 時代区分 の 一 つ 。
 3織豊時代 ( しょくほうじだい ) や 安土大坂時代 ( あづちおおさかじだい ) と も 言う 。
 4また 、 安土桃山時代 の 元号 の 大部分 が 天正 だっ た ので 、 天正時代 ( てんしょうじだい ) と 呼ぶ こと も ある 。
 5概要
 6織田信長 の 居城 で あっ た 安土城 、 豊臣秀吉 の 居城 で あっ た 伏見城 ( 桃山 ) から 、 この よう に 呼ば れる 。
 7特に 、 豊臣家 が 全国支配 を 担っ た 後半 を 桃山時代 と いい 、 この 時代 を 中心 に 栄え た 文化 を 桃山文化 と 呼ぶ 。
 8ただし 、 桃山 の 名称 は 江戸時代 に なっ て 廃城 さ れ た 伏見城 の 跡地 に 桃 の 木 が 植え られ た こと から 名付け られ た もの で 、 桃山城 と 呼ば れる 城 が 存在 し た わけ で は ない 。
 9その ため 、 歴史的経緯 を 尊重 する なら “ 伏見時代 ” の 方 が 適切 な 呼称 と なる が 、 そもそも 、 安土城 は 完成 から わずか 3 年 余り しか 存在 し て おら ず 、 伏見城 ( 木幡山 ) も 完成 から 2 年後 に 秀吉 が 死去 する など 、 それぞれ 在城 は 短期間 で あり 、 これら を 時代 の 呼称 に 用いる こと 自体 が 適切 で は ない という 主張 も ある 。
 10その ため 、 近年 は 織豊時代 という 呼び方 も 広まっ て おり 、 安土大坂時代 、 または 天正時代 の 呼称 を 提案 する ひと も いる 。
 11安土桃山時代 の 始期 と 終期 に は 複数 の 見解 が 存在 する 。
 12始期 は 織田信長 が 足利義昭 を 奉じ て 京都 に 上洛 し た 永禄 11 年 ( 1568 年 ) が 有力 で ある が 、 義昭 が 京都 から 放逐 さ れ た 元亀 4 年 ( 1573 年 ) 、 安土城 の 築城 が 始まっ た 天正 4 年 ( 1576 年 ) と する 考え も ある 。
 13終期 は 、 豊臣秀吉 が 死去 し た 慶長 3 年 ( 1598 年 ) 、 関ヶ原の戦い で 徳川家康 が 勝利 し た 慶長 5 年 ( 1600 年 ) 、 家康 が 征夷大将軍 に 任じ られ 江戸幕府 を 開い た 慶長 8 年 ( 1603 年 ) など が ある 。
 14何れ にしても 、 「 織田 ・ 豊臣 の 時代 」 という 概念 を どこ で 区分 する か の 違い で は ある が 、 室町時代 、 戦国時代 ( 日本 ) と 重複 し て しまう こと が 、 その 定義付け を 複雑化 さ せ て いる 。
 15織田信長 による 政権 の 確立
 16戦国大名 の 中 で 織田信長 の 勢力 が 次第 に 強大 に なり 、 足利義昭 を 奉じ て 京都 に 上洛 し た こと で 、 信長 による 政権 の 運営 が 始まる こと に なっ た 。
 17元亀 4 年 ( 1573 年 ) に 足利義昭 を 京 から 放逐 する と 、 室町幕府 は 事実上 崩壊 し 、 名実 共 に 織田政権 が 確立 する 。
 18さらに 、 天正 4 年 ( 1576 年 ) に 安土城 の 築城 が 始まり 天下布武 へ の 流れ が 現実 の もの に なり つつ ある こと を 世 に 知ら しめる 。
 19こうした 中 、 信長 の 支配 により 平和 を 取り戻し た 京 を 中心 に 新た な 文化 が 花開い て いっ た 。
 20信長 は その 後 も 勢力 を 拡大 し 日本中央部 を 制圧 する に 至る が 、 天下統一 の 目前 と 思わ れ た 天正 10 年 ( 1582 年 ) に 本能寺の変 で 倒れ た 。
 21豊臣秀吉 による 天下統一
 22本能寺の変 に対し 羽柴秀吉 は 逸早く 京 に 駆け付け 首謀者 で ある 明智光秀 を 破っ た ( 山崎の戦い ) 。
 23これ により 織田政権内 で の 主導権 を 掌握 し た 秀吉 は 清洲会議 や 賤ヶ岳の戦い を 経 て 信長 の 後継者 として 地位 を 固め 、 天正 11 年 1583 年 に は 大坂城 の 築城 を 開始 する 。
 24天正 14 年 ( 1586 年 ) に は 関白 ・ 太政大臣 に 任ぜ られ 豊臣姓 を 賜り 、 天正 18 年 ( 1590 年 ) に 日本 を 統一 し 全国 で 検地 と 刀狩り を 実施 さ せ 政権 の 安定 に 力 を 注い だ 。
 25また 、 文禄 1 年 ( 1592 年 ) 秀吉 は 明 の 征服 を 目論ん で 文禄・慶長の役 を 起こし た が 、 経由地 で ある はず の 朝鮮 で 戦況 が 膠着化 し て しまう 。
 26一方 、 国内 は 天下統一 による 平和 が もたらさ れ た こと など から 、 諸大名 は 領国 の 経営 に 力 を 注ぎ 、 各地 で 都市 が 興隆 し て いっ た 。
 27また 、 秀吉 自身 は 京 を 活動 の 拠点 と し 茶の湯 を 始め と する 文化活動 を 自ら も 積極的 に 行っ た 。
 28こうした こと に加え 、 南蛮貿易 による 異文化 と の 接触 や 朝鮮陶法 の 伝播 など により 、 文化 は 新た な 時代 を 向かえ “ 桃山文化 ” と 呼ば れる こと に なっ た 。
 29豊臣時代 の 終焉
 30慶長 3 年 ( 1598 年 ) 秀吉 が 死去 する と 、 五大老 の 筆頭 で ある 徳川家康 が 頭角 を 現し 朝鮮遠征軍撤退 の 和平交渉 で も 主導権 を 握り 実質的 な 政権運営者 へ と のし上がっ て いっ た 。
 31これ に対し 石田三成 を 中心 と し た 反家康勢力 が 反発 し 慶長 5 年 ( 1600 年 ) に 全国 を 二分 する 関ヶ原の戦い が 勃発 し た 。
 32これ に 勝利 し た 徳川家康 は 政権 の 基盤 を 固め 慶長 8 年 ( 1603 年 ) 征夷大将軍 に 任じ られる 。
 33これ により 安土桃山時代 は 完全 に 終わり を 告げ 未曾有 の 太平 、 江戸時代 が 始まっ た 。
 34年表
 35織田信長 、 足利義昭 を 奉じ 、 上洛 ( 永禄 11 年 ・ 1568 )
 36室町幕府 滅亡 ( 元亀 4 年 ・ 1573 )
 37長篠の戦い ( 天正 3 年 ・ 1575 )
 38織田信長 、 安土城 を 築く ( 天正 4 年 ・ 1576 )
 39織田信長 、 顕如 を 降伏 さ せ 、 石山本願寺 と の 対決 を 終わら せる ( 石山合戦 ( 1570~1580 ) )
 40明智光秀 の 謀反 も 俗 に 言う 三日天下 で 終わる 。
 41羽柴秀吉 が 勝ち 、 敗れ た 柴田勝家 が 自害 。
 42羽柴秀吉 、 石山本願寺跡地 に 大坂城 築城 ( 天正 10 年 ・ 1583 )
 43羽柴秀吉 、 藤原氏 を 称し 関白 に 就任 。
 44( 天正 13 年 ・ 1585 ) 、 同年 四国 征伐
 45羽柴秀吉 、 太政大臣 と なり 、 豊臣姓 を 賜る ( 天正 14 年 ・ 1586 )
 46文禄・慶長の役 ( 1592-1598 )
 47豊臣秀吉 、 死去 ( 慶長 3 年 ・ 1598 )
 48関ヶ原の戦い ( 慶長 5 年 ・ 1600 )
 49徳川家康 、 征夷大将軍 に 就任 ( 慶長 8 年 ・ 1603 )
 50桃山文化
 51安土桃山時代 に は 、 都市部 において 豪商 と 呼ば れる 新興商人 が 成長 し 、 その 富 を 背景 に し た 豪華 で 大掛かり な 文化傾向 が 見 られる 。
 52また 信長 の 政策 により 、 仏教勢力 の 力 が 中央 で は 弱まっ た 。
 53仏教主義的 な 作品 が 減り 、 代わり に 人間中心 、 現世的 な 作風 が 見受け られる 。
 54茶の湯 が 流行 し 、 唐物 の 名物茶道具 が 珍重 さ れ た 一方で 、 それ へ の 反抗 として の わび茶 も 発達 し た 。
 55茶器 が 大名 から 家臣 へ の 報奨 と さ れ たり 、 茶会 が 武将 と 豪商 を 結ぶ など 政治 に も 影響 し た 。
 56特筆 す べき 点 として は 、 天文 ( 元号 ) 18 年 ( 1549 年 ) の フランシスコ・ザビエル来日 以来 の 南蛮貿易 によって もたらさ れ た 南蛮文化 の 影響 が 挙げ られる 。
 57まだ 小規模 で は あっ た が 、 日本 が 初めて 西洋文化 と 直接 ( 中国 など を 介さ ずに 、 正式 な 形 で ) 触れ合っ た という 点 で 重要 で ある 。
 58絵画
 59狩野派 の 絵師 が 織田信長 、 豊臣秀吉 など その 時々 の 権力者 と 結び付い た 。
 60画壇 の 中心 を 占め た 。
 61豊か な 色彩 と 力強い 線描 、 雄大 な 構図 が 特徴 。
 62活字印刷
 63朝鮮出兵 により 朝鮮人技術者 の 技術 を 移植 し た 木版 による 活字印刷 と 、 イエズス会 の ヴァリニャーニ が 伝え た 西洋 の 活字印刷 による もの が ある 。
 64城郭
 65織豊系城郭 と 呼ば れ 、 野面積み石垣 が 用い られる よう に なり 、 天守 を 持つ 城郭建築 が 主流 と なる 。