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title:Article from Japanese-English Bilingual Corpus of Wikipedia's Kyoto Articles (Version 2.01)
date:2011/01/13
source:BDS_00003.xml (Available from https://alaginrc.nict.go.jp/WikiCorpus/index.html).
genre:wikipedia
subcorpus:wikipedia Kyoto
terms of use:Creative Commons Attribution-Share-Alike License 3.0


 1浄土真宗
 2浄土真宗 ( じょうどしんしゅう 、 Shin-Buddhism , Pure Land Buddhism ) は 、 日本 の 仏教 の 宗派 の ひと つ で 、 鎌倉時代 初期 、 法然 の 弟子 ・ 親鸞 が 、 法然 の 教え ( 浄土宗 ) を 継承 発展 さ せ た 教団 で ある 。
 3宗派名 の 成り立ち の 歴史的経緯 から 、 現在 、 同宗 に 属する 宗派 の 多く が 宗旨名 として は 真宗 を 名乗る 。
 4過去 に は 一向宗 、 門徒宗 と も 通称 さ れ た 。
 5教義
 6念仏 ( 南無阿弥陀仏 、 なむあみだぶつ 、 なもあみだぶつ ( 本願寺派 ) ) を 称える こと ( 称名念仏 ) を通して 、 阿弥陀如来 ( 以降 「 如来 」 ) の 慈悲 を 信知 せしめ られ 、 悪人 を 含む 全て の 人 が 浄土 へ 往生 し 成仏 する という 絶対他力 へ の 信順 を 往生成仏 の 正因 と する 。
 7この こと から 、 真宗 の 教え を 漢字 8 字 で あらわす と 、 「 信心正因称名報恩 」 と 言わ れる 。
 8本願寺 八 世 蓮如 が 、 『 御文 』 にて 次 の よう に 述べ て いる 。
 9この 根拠 が 、 『 無量寿経仏説無量寿経 』 に 説か れる 四十八 願 、 ことに 「 王本願 」 と も 呼ば れる 第十八 願 ( 選択本願 ) で ある 。
 10本尊 は 阿弥陀如来一仏 で ある 。
 11ただし 、 高田派 及び 一部門徒 は 善光寺式阿弥陀三尊形式 で ある 阿弥陀如来 ・ 観世音菩薩 ・ 勢至菩薩 を 本尊 と する 。
 12念仏 へ の 誤解
 13一般 に 、 「 今 この 時 に も 阿弥陀如来 の 本願力 は 私たち に 回向 さ れ て い て 、 救わ れ て いる 」 ( 現生正定聚 ) について は 、 誤っ た 受け取り方 を する 者 が 多かっ た ため 、 たびたび 正し て いる 。
 14ここ で も 信心正因 を 確認 し 、 明確 に 正し て おり 、 「 ただ 念仏 を 称えれ ば 、 誰 でも 極楽 へ ゆける 」 と は 述べ て い ない 。
 15如来 より 賜る 信心 により 救わ れる の が 浄土真宗 で ある 。
 16あくまでも 念仏 は 、 報恩 の 為 に 発せ られる の で あっ て 、 往生 の 条件 で は ない 。
 17習俗
 18他 の 仏教宗派 に対する 真宗 の 最大 の 違い は 、 僧侶 に 肉食妻帯 が 許さ れる 、 無戒 で ある という 点 に ある ( 明治 まで 、 妻帯 の 許さ れる 仏教宗派 は 真宗 のみ で あっ た ) 。
 19そもそも は 、 一般 の 僧侶 という 概念 ( 世間 と の 縁 を 断っ て 出家 し 修行 する 人々 ) や 世間内 で 生活 する 仏教徒 ( 在家 ) として の 規範 から はみ出さ ざる を 得 ない 人々 を 救済 する の が 本願念仏 で ある と 、 師 法然 から 継承 し た 親鸞 が 、 それ を 実践 し 僧 として 初めて 公式 に 妻帯 し 子 を 設け た こと に 由来 する 。
 20その ため 、 真宗 に は 法脈 ( 師弟関係 ) と 血脈 の 2 つ の 系譜 が 存在 する 。
 21与え られる 名前 も 戒名 で は なく 法名 と 言う 。
 22真宗 は 、 ただ 如来 の 働き に まかせ て ( すなわち 真実 の 信心 を 獲得 すれ ば ) 、 全て の 人 は 往生成仏 する こと が 出来る と する 教え から 、 他 の 宗派 と 比べ 多く の 宗教儀式 や 習俗 に とらわれ ず 、 報恩謝徳 の 念仏 と 聞法 を 大事 に する 。
 23仏教宗派 の 中 で は 、 唯一 加持祈祷 を 行わ ない の も 大きな 特徴 で ある 。
 24また 合理性 を 重んじ 、 作法 や 教え も 簡潔 で あっ た こと から 、 近世 に は 庶民 に 広く 受け入れ られ た が 、 他 の 宗派 から は かえって 反発 を 買い 、 「 門徒 物 知ら ず 」 ( 門徒 とは 真宗 の 信者 の こと ) など と 揶揄 さ れる 事 も しばしば で あっ た 。
 25また 真宗 は 、 本尊 ( 「 南無阿弥陀仏 」 の 名号本尊 、 若しくは 阿弥陀如来 の 絵像 ・ 木像 ) の 各戸 へ の 安置 を 奨励 し た 。
 26これ を 安置 する 仏壇 の 荘厳 に関して の 「 決まり 」 が 他 の 宗派 に比して 厳格 で ある 。
 27荘厳 は 本山 を 模し て いる こと から 、 真宗 各派 で も 作り が 異なり 、 仏具 に関して も それぞれ に 違い が ある 。
 28仏壇 に 、 本尊 を 安置 し 荘厳 さ れ た もの を 、 真宗 で は 「 御内仏 」 と 呼ぶ 。
 29真宗 において は 、 先祖壇 や 祈祷壇 として 、 用い ない 。
 30真宗 の 本山 に は 、 その いずれ において も 基本的 に 、 本尊阿弥陀如来 を 安置 する 本堂 ( 阿弥陀堂 ) と は 別 に 、 宗祖 親鸞 の 真影 を 安置 する 御影堂 が ある 。
 31真宗 の 寺院建築 に は 他 に も 内陣 に比べて 外陣 が 広い など 、 他宗 に 見 られ ない 特徴 が ある 。
 32また 各派 とも に 、 宗祖 親鸞聖人 の 忌日 に 、 「 報恩講 」 と 呼ば れる 法会 を 厳修 する 。
 33その 旨 は 、 求道 ・ 弘教 の 恩徳 と 、 それ を通じて 信知 せ しめ られ た 阿弥陀如来 の 恩徳 と に 報謝 し 、 その 教え を 聞信 する 法会 で ある 。
 34また この 法会 を 、 年間 最大 の 行事 と する 。
 35ただし 、 真宗 各派 で その 日 は 異なる 。
 36( 詳しく は 、 報恩講宗派別 の 御正忌報恩講 の 日程 を 参照 。 )
 37主 な 経典
 38正依 の 経典 は 浄土 三 部 経 。
 39また 経典 で は 無い が 、 七高僧 の 著作 について も 重んじる 。
 40中でも 天親 の 『 無量寿経優婆提舎願生偈 』 は 、 師 で ある 法然 が 「 三経一論 」 と 呼び 、 浄土三部経 と 並べ て 特に 重んじ た 。
 41親鸞 は 、 『 仏説無量寿経 』 を 『 大無量寿経 』 『 大経 』 と 呼び 特に 重んじ た 。
 42なお 蓮如 の 『 御文 ( 御文章 ) 』 は 、 本願寺派・大谷派 など で は 正依 の 聖教 に 準じ て 重んじる が 、 高田派 など 宗派 によって は 用い ない 。
 43( 蓮如 は 、 本願寺 の 血脈 で ある 為 、 宗祖 親鸞 から の 法脈 を 重んずる 宗派 で は 用い ない 。
 44また 蓮如 の 本願寺 と 高田派 は 、 争い が 起き 対立 し た 歴史 が ある 。 )
 45名称 について
 46開祖 親鸞 は 、 釈尊 ・ 七高僧 へ と 継承 さ れる 他力念仏 の 系譜 を ふまえ 、 法然 ( 浄土宗開祖 ) を 師 と 仰い で から の 生涯 に 渡り 、 「 真 の 宗教 で ある 浄土宗 の 教え 」 を 継承 し 、 さらに 高め て 行く 事 に 力 を 注い だ 。
 47法然没後 の 弟子たち による 本願 ・ 念仏 に対する 解釈 の 違い から 、 のち に 浄土宗西山派 など から の 批判 を 受ける 事 に つながる 。
 48親鸞 は 越後 流罪後 ( 承元の法難 ) に 関東 を 拠点 に 布教 を 行っ た ため 、 関東 に 親鸞 の 教え を 受け た 門徒 が 形成 さ れ て いく 。
 49親鸞 の 没後 に 、 浄土宗 から 独立 し た 宗旨 として 形成 さ れる 。
 50親鸞 の 教え を 継ぐ 者 に は 自ら の 教義 こそ 浄土 へ の 往生 の 真 の 教え との 思い は あっ た が 、 浄土真宗 と 名乗る こと は 浄土宗 の 否定 と も 取ら れ かね ない ため 、 当時 は ただ 真宗 と 名乗っ た 。
 51ちなみに 浄土宗 や 時宗 で も 自ら を 「 浄土真宗 」 「 真宗 」 と 称し た 例 が あり 、 また 時宗旧一向派 ( 開祖 一向俊聖 ) を 「 一向宗 」 と 称し た 例 も ある 。
 52近世 に は 浄土宗 から の 圧力 により 、 江戸幕府 から 「 浄土真宗 」 と 名乗る こと を 禁じ られ 、 「 一向宗 」 と 公称 し た ( 逆 に 本来 「 一向宗 」 を 公称 し て い た 一向俊聖 の 法統 は 、 本来は 無関係 で ある 時宗 へ と 強制的 に 統合 さ れる 事 に なる ) 。
 53親鸞 の 法統 が 「 浄土真宗 」 を 名乗る こと の 是非 について 浄土真宗 と 浄土宗 の 間 で 争わ れ た の が 安永 3 年 ( 1774 年 ) から 15 年 にわたって 続け られ た 宗名論争 で ある 。
 54明治 5 年 ( 1872 年 ) 太政官正院 から 各府県 へ 「 一向宗名之儀、自今真宗ト改名可致旨 」 の 布告 が 発せ られ 、 ここ に 近代 に なっ て ようやく 「 ( 浄土 ) 真宗 」 と 表記 する こと が 認め られ た の で ある 。
 55歴史
 56親鸞時代
 57蓮如 の 登場 まで
 58親鸞 の 死後 、 親鸞 の 曾孫 に あたる 覚如 ( 1270 年 - 1351 年 ) は 、 三 代 伝持 等 を 根拠 と し て 親鸞 の 祖廟継承 の 正当性 を 主張 し 、 本願寺 ( 別名 大谷本願寺 ) を 建て て 本願寺 3 世 と 称し た 。
 59こうした 動き に対し 、 親鸞 の 関東 における 門弟 の 系譜 を 継ぐ 佛光寺 7 世 の 了源 ( 1295 年 - 1336 年 ) など 他 の 法脈 は 、 佛光寺 や 専修寺 など を 根拠地 と し て 、 次第 に 本願寺 に 対抗的 な 立場 を 取る こと に なっ た 。
 60この 頃 の 浄土真宗 は 、 佛光寺 や 専修寺 において 活発 な 布教活動 が 行わ れ 多く の 信者 を 得 た が 、 本願寺 は 8 世 蓮如 の 登場 まで は 、 天台宗 の 末寺 として 存続 し て い た に 過ぎ なかっ た 。
 61蓮如 の 登場 ~ 石山合戦
 62室町時代 の 後期 に 登場 し た 本願寺 8 世 の 蓮如 ( 1415 年 - 1499 年 ) は 、 当時 の 民衆 の 成長 を 背景 に 講 と 呼ば れる 組織 を 築き 、 人々 が 平等 に 教え を 聴き 団結 できる 場 を 提供 し 、 また 親鸞 の 教え を 安易 な 言葉 で 述べ た 『 御文 ( 御文章 ) 』 を 著作 し 、 一般 に 広く 教化 し た 。
 63この 事 により 本願寺 は 急速 に 発展・拡大 し 、 一向宗 と 呼ば れる よう に なっ た ( 逆 に この 他 の 真宗 各派 は 衰退 する こと と なる ) 。
 64中世末 の 複雑 な 支配権 の 並存 する 体制 に 不満 を 持つ 村々 に 国人 ・ 土豪 が 真宗 に 改宗 する こと で 加わり 、 「 一向一揆 」 と 呼ば れる 一 郡 や 一 国 の 一向宗徒 が 一 つ に 団結 し た 一揆 が 各地 で 起こる よう に なる 。
 65その ため 、 この 後 に 加賀 の 例 で 記述 する よう な 大名 に対する 反乱 が 各地 で 頻発 し 、 徳川家康 ・ 上杉謙信 など 多数 の 大名 が 一向宗 の 禁教令 を 出し た 。
 66中でも 、 薩摩国 の 島津氏 は 明治時代 まで 禁教令 を 継続 し た ため 、 南九州 の 真宗信者 は 講 を 組織 し 秘か に 山中 の 洞窟 で 信仰 を 守っ た ( かくれ念仏 ) 。
 67やがて 応仁の乱 ( 1467 年 - 1477 年 ) が 起こり 、 当時 越前国 に あっ た 本願寺 の 根拠 吉崎御坊 の 北 、 加賀国 で 東軍 ・ 西軍 に 分かれ て の 内乱 が 生じる と 、 専修寺派 の 門徒 が 西軍 に 与し た 富樫幸千代 に 味方 し た の に対し 、 本願寺派 の 門徒 は 越前 の 大名 朝倉孝景 ( 7 代 当主 ) の 仲介 で 、 文明 6 年 ( 1474 年 ) 、 加賀 を 追い出さ れ た 前守護 で 幸千代 の 兄 で ある 東軍 の 富樫政親 に 味方 し て 幸千代 を 追い出し た ( つまり 、 加賀 の 一向一揆 は 、 最初 は 真宗内 の 勢力争い で も あっ た ) 。
 68しかし その 後 、 本願寺門徒 と 富樫政親 は 対立 する よう に なり 、 長享 2 年 ( 1488 年 ) 、 政親 が 一向宗討伐軍 を 差し向ける と 、 結局 政親 を 自刃 に 追い込ん で 自治 を 行う まで に なっ た ( ただし 富樫氏一族 の 富樫正高 は 一向一揆 に 同情的 で 、 守護大名 として 象徴的 に 居座っ て いる ) 。
 69その 後 、 門徒 の 矛先 は 朝倉氏 に 奪わ れ て い た 吉崎 の 道場 奪回 に 向け られ 、 北陸 全土 から 狩り出さ れ た 門徒 が 何 度 も 朝倉氏 と 決戦 し て いる 。
 70一方 、 畿内 で は 、 吉崎 より 移っ た 蓮如 が 文明 14 年 ( 1482 年 ) に 建立 し た 、 京都山科本願寺 が 本拠地 で あっ た が 、 その 勢威 を 恐れ た 細川晴元 は 日蓮宗徒 と 結び 、 天文 ( 元号 ) 元 年 ( 1532 年 ) 8 月 に 山科本願寺 を 焼き討ち し た ( 真宗 で は 「 天文の錯乱 」 、 日蓮宗 で は 「 天文法華の乱 」 ) 。
 71これ により 本拠地 を 失っ た 本願寺 は 、 蓮如 が その 最晩年 に 建立 し ( 明応 5 年 1496 年 ) 、 居住 し た 大坂石山 の 坊舎 の 地 に 本拠地 を 移し た ( 石山本願寺 ) 。
 72これ 以後 、 大坂 の 地 は 、 城郭 に も 匹敵 する 本願寺 の 伽藍 と その 周辺 に 形成 さ れ た 寺内町 を 中心 に 大きく 発展 し 、 その 脅威 は 時 の 権力者たち に 恐れ られ た 。
 73永禄 11 年 ( 1568 年 ) に 織田信長 が 畿内 を 制圧 し 、 征夷大将軍 と なっ た 足利義昭 と 対立 する よう に なる と 、 本願寺 11 世 の 顕如 ( 1543 年 - 1592 年 ) は 足利義昭 に 味方 し 、 元亀 元 年 ( 1570 年 ) 9 月 12 日 、 突如 として 三好氏 を 攻め て い た 信長 の 陣営 を 攻撃 し た ( 石山合戦 ) 。
 74また 、 これ に 呼応 し て 各地 の 門徒 も 蜂起 し 、 伊勢国長島願証寺 の 一揆 ( 長島一向一揆 ) は 尾張 の 小木江城 を 攻め滅ぼし て いる 。
 75この 後 、 顕如 と 信長 は 幾 度 か 和議 を 結ん で いる が 、 顕如 は 義昭 など の 要請 により 幾 度 も 和議 を 破棄 し た ため 、 長島 や 越前 など 石山 以外 の 大半 の 一向一揆 は 、 ほとんど が 信長 によって 根切 ( 皆殺し ) に さ れ た 。
 76石山 で は 開戦以後 、 実に 10 年 も の 間 戦い 続け た が 、 天正 8 年 ( 1580 年 ) 、 信長 が 正親町天皇 による 仲介 という 形 で 提案 し た 和議 を 承諾 し て 本願寺側 が 武装解除 し 、 顕如 が 石山 を 退去 する こと で 石山合戦 は 終結 し た 。
 77( その 後 、 石山本願寺 の 跡地 を 含め 、 豊臣秀吉 が 大坂城 を 築造 し て いる 。 )
 78この よう に 一向一揆 は 、 当時 の 日本社会 における 最大 の 勢力 の ひと つ で あり 、 戦国大名 に 伍する 存在 で あっ た が 、 真宗 の 門徒 全体 が この 動き に 同調 し て い た わけ で は ない 。
 79越前国 における 本願寺門徒 と 専修寺派 の 門徒 ( 高田門徒 ・ 真宗三門徒派 ) と の 交戦 の 例 に 見 られる よう に 、 本願寺 以外 の 真宗諸派 の 中 に は これ と 対立 する もの も あっ た 。
 80京都 に 再興
 81豊臣秀吉 の 時代 に なる と 、 天正 19 年 ( 1591 年 ) に 、 顕如 は 京都中央部 ( 京都七条堀川 ) に 土地 を 与え られ 、 本願寺 を 再興 し た 。
 821602 年 、 石山退去時 の 見解 の 相違 等 をめぐる 教団内部 の 対立状況 が 主因 と なり 、 これ に 徳川家康 の 宗教政策 が 作用 し て 、 顕如 の 長男 で ある 教如 ( 1558 年 - 1614 年 ) が 、 家康 から 本願寺 の すぐ 東 の 土地 ( 京都七条烏丸 ) を 与え られ 東本願寺 を 構え た 。
 83これ により 、 当時 最大 の 宗教勢力 で あっ た 本願寺 は 、 顕如 の 三男 准如 ( 1577 年 - 1630 年 ) を 12 世 宗主 と する 西 ( 現在 の 浄土真宗本願寺派 、 真宗興正派 など ) と 、 長男 教如 を 12 世 宗主 と する 東 ( 現在 の 真宗大谷派 など ) と に 分裂 する こと に なっ た 。
 84明治維新後 の 宗教再編時 に は 、 大教院 に対し 宗教団体 として 公的 な 登録 を 行う 際 、 現在 の 浄土真宗本願寺派 のみ が 浄土真宗 として 申請 し 、 他 は 真宗 として 申請 し た こと が 、 現在 の 名称 に 影響 し て いる 。
 85また 、 長い 歴史 の 中 で 土俗信仰 など と 結びつい た 、 浄土真宗系 の 新宗教 も 存在 し て いる 。
 86宗派
 87現在 、 浄土真宗宗派加盟 の 10 派 ほか 諸派 に 分かれ て いる が 、 宗 全体 として は 、 日本 の 仏教諸宗中 、 最も 多く の 寺院 ( 約22,000 ヶ寺 ) 、 信徒 を 擁する 。
 88真宗十派 ( 真宗教団連合 )
 89真宗教団連合 は 、 親鸞聖人 生誕 750 年 ・ 立教開宗 700 年 に あたる 1923 年 ( 大正 12 年 ) 、 真宗 各派 の 協調 ・ 連携 を 図る 為 に 、 真宗各派協和会 として 結成 さ れ た 。
 90加盟団体 は 以下 の 10 派 で あり 、 「 真宗十派 」 と いわ れる 。