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title:Article from Japanese-English Bilingual Corpus of Wikipedia's Kyoto Articles (Version 2.01)
date:2011/01/13
source:BDS_00004.xml (Available from https://alaginrc.nict.go.jp/WikiCorpus/index.html).
genre:wikipedia
subcorpus:wikipedia Kyoto
terms of use:Creative Commons Attribution-Share-Alike License 3.0


 1道元
 2道元 ( どうげん ) は 、 鎌倉時代初期 の 禅僧 。
 3曹洞宗 の 開祖 。
 4晩年 に 希玄 という 異称 も 用い た 。
 5同宗旨 で は 高祖 と 尊称 さ れる 。
 6諡 は 、 仏性伝東国師 、 承陽大師 ( 僧 ) 。
 7一般 に は 道元禅師 と 呼ば れる 。
 8日本 に 歯磨き 洗面 、 食事 の 際 の 作法 や 掃除 の 習慣 を 広め た と いわ れる 。
 9最初 に モウソウチク ( 孟宗竹 ) を 持ち帰っ た と する 説 も ある 。
 10生い立ち
 11道元 の 出生 に は 不明 の 点 が 多い が 、 内大臣 土御門通親 ( 源通親 あるいは 久我通親 ) の 嫡流 に 生まれ た と する 点 で は 諸説 が 一致 し て いる 。
 12定説 で は 京都 木幡 の 松殿山荘 で 通親 と 太政大臣 松殿基房 ( 藤原基房 ) の 娘 藤原伊子 の 子 として 生まれ た と さ れ て いる が 、 近年 の 研究 で は 定説 で は 養父 と さ れ て いる 堀川通具 の 実子 と する 説 が 有力 に なり つつ ある 。
 13また 、 通親 の 子 、 源通宗 または 久我通光 を 父親 と する 説 も ある 。
 14伝記 で ある 『 建撕記 』 によれば 、 3 歳 で 父 ( 通親 ) を 、 8 歳 で 母 を 失っ て 、 異母兄 で ある 堀川通具 の 養子 に なっ た 。
 15また 、 一説 によれば 両親 の 死後 に 母方 の 叔父 で ある 松殿師家 ( 元 摂政内大臣 ) から 松殿家 の 養嗣子 に し たい という 話 が あっ た が 、 世 の 無常 を 感じ て い た 道元 が 断っ た と も 言わ れ て いる 。
 16浄土真宗 の 開祖 親鸞 と は 、 互い に 母方 の 縁戚 に あたり 面識 が あっ た と する 説 が ある が 確証 は ない 。
 17著作 『 正法眼蔵 』 の 「 生死 」 の 巻 は 、 親鸞 に向けて 書か れ た もの で ある と する 説 が ある 。
 18活動
 19建暦 3 年 ( 1213 年 ) 比叡山 の 母方 の 叔父 良顕 を 訪ねる 。
 20建保 2 年 ( 1214 年 ) 天台座主 公円 に つい て 出家 し 、 仏法房道元 と 名乗る 。
 21建保 3 年 ( 1215 年 ) 園城寺 の 公胤 の 元 で 天台宗教学 を 修める 。
 22建保 5 年 ( 1217 年 ) 建仁寺 にて 栄西 の 弟子 明全 に 師事 。
 23貞応 2 年 ( 1223 年 ) 明全 とともに 博多 から 南宋 に 渡っ て 諸山 を 巡り 、 曹洞宗 の 天童如浄 より 印可 を 受ける 。
 24安貞 2 年 ( 1228 年 ) 帰国 。
 25天福 ( 日本 ) 元 年 ( 1233 年 ) 京都 深草 に 興聖寺 を 開く 。
 26この 頃 、 比叡山 から の 弾圧 を 受ける 。
 27寛元 元 年 ( 1243 年 ) 7 月 越前国 の 地頭 波多野義重 の 招き で 越前志比荘 に 移転 。
 28途中 、 朽木村 の 領主 佐々木信綱 の 招き に 応じ 、 朽木村 に 立ち寄る ( 興聖寺 ( 高島市 ) の 由来 )
 29寛元 2 年 ( 1244 年 ) 傘松 に 大佛寺 を 開く 。
 30寛元 4 年 ( 1246 年 ) 大佛寺 を 永平寺 に 改め 、 号 も 希玄 と 改める 。
 31この 頃 、 執権 北条時頼 、 波多野義重 ら の 招請 により 教化 の ため 鎌倉 に 下向 する 。
 32鎌倉 で の 教化期間 は 半 年間 で あっ た が 、 関東 における 純粋禅興隆 の 嚆矢 と なっ た 。
 33建長 5 年 ( 1253 年 ) 病 の ため 永平寺 を 弟子 の 孤雲懐奘 に 譲り 、 俗弟子 覚念 の 屋敷 ( 京都市高辻通西洞院通 ) で 死去 、 享年 54 ( 満53 歳 没 ) 。
 34死因 は 瘍 と さ れる 。
 35思想
 36成仏 とは 一定 の レベル に 達する こと で 完成 する もの で は なく 、 たとえ 成仏 し た と し て も 、 さらなる 成仏 を 求め て 無限 の 修行 を 続ける こと こそ が 成仏 の 本質 で あり ( 修証一如 ) 、 釈迦 に 倣い 、 ただ 坐禅 に うちこむ こと が 最高 の 修行 で ある ( 只管打坐 ) と 主張 し た 。