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title:Article from Japanese-English Bilingual Corpus of Wikipedia's Kyoto Articles (Version 2.01)
date:2011/01/13
source:BDS_00005.xml (Available from https://alaginrc.nict.go.jp/WikiCorpus/index.html).
genre:wikipedia
subcorpus:wikipedia Kyoto
terms of use:Creative Commons Attribution-Share-Alike License 3.0

 1一休宗純
 2一休宗純 ( いっきゅうそうじゅん ) は 、 室町時代 の 臨済宗大徳寺派 の 禅僧 で ある 。
 3説話 の モデル として 知ら れる 。
 4「 一休さん の 頓知咄 」 について は 『 一休咄 』 の 項目 ( この ページ に も 若干 の 記述 あり ) を 、 テレビアニメ 『 一休さん 』 について は 「 一休さん 」 の 項目 を 参照 。
 5生涯
 6京都 の 生まれ で 後小松天皇 の 落胤 と いう 。
 7幼名 は 、 後世史料 によると 千菊丸 。
 8長じて 周建 の 名 で 呼ば れ 、 狂雲子 、 瞎驢 ( かつろ ) 、 夢閨 ( むけい ) など と 号し た 。
 9戒名 は 宗純 で 、 宗順 と も 書く 。
 10一休 は 道号 で ある 。
 11( 戒名 と 道号 について は 「 戒名 」 の 項目 を 参照 の こと 。 )
 126 歳 で 京都 の 安国寺 の 像外集鑑 に 入門 · 受戒 し 、 周建 と 名付け られる 。
 13早くから 詩才 に 優れ 、 13 歳 の 時 に 作っ た 漢詩 「 長門春草 」 、 15 歳 の 時 に 作っ た 漢詩 「 春衣宿花 」 は 洛中 の 評判 と なり 賞賛 さ れ た 。
 14応永 17 年 ( 1410 年 ) 、 17 歳 で 謙翁宗為 ( けんおうそうい ) の 弟子 と なり 、 戒名 を 宗純 と 改める 。
 15謙翁 は 応永 21 年 ( 1414 年 ) に 没し た 。
 16この 時 、 一休 は 師 の 遷化 による もの か は 断定 でき ない が 、 自殺未遂 を 起こし て いる 。
 17応永 22 年 ( 1415 年 ) に 京都 の 大徳寺 の 高僧 、 華叟宗曇 ( かそうそうどん ) の 弟子 と なる 。
 18なお 「 有ろじ ( 有漏路 ) 」 とは 迷い ( 煩悩 ) の 世界 、 「 無ろじ ( 無漏路 ) 」 とは 悟り ( 仏 ) の 世界 を 指す 。
 19応永 27 年 ( 1420 年 ) の ある 夜 、 カラス の 鳴き声 を 聞い て 、 俄か に 大悟 する 。
 20華叟 は 印可状 を 与え よう と する が 、 一休 は 辞退 し た 。
 21華叟 は ばか者 と 笑い ながら 送り出し た と いう 。
 22以後 は 詩 · 狂歌 · 書画 と 風狂 の 生活 を 送っ た 。
 23正長 元 年 ( 1428 年 ) 、 称光天皇 が 男子 を 残さ ず 崩御 し 、 伏見宮家 より 後花園天皇 が 迎え られ て 即位 し た 。
 24後花園天皇 の 即位 に は 一休 の 推挙 が あっ た と いう 。
 25ただし 、 今泉淑夫 は 後花園天皇 の 即位 は 幕府 の 賛成 による もの で 一休 の 推挙 は 無関係 だ と し て いる 。
 26応仁の乱 後 の 文明 6 年 ( 1474 年 ) 、 後土御門天皇 の 勅命 により 大徳寺 の 住持 ( 第47 代 ) に 任 ぜ られ 、 寺 に は 住ま なかっ た が 、 再興 に 尽力 し た 。
 27塔頭 の 真珠庵 は 一休 を 開祖 と し て 創建 さ れ た 。
 28天皇 に 親しく 接せ られ 、 民衆 に も 慕わ れ た と いう 。
 291481 年 、 88 歳 で 酬恩庵 に 没し た 。
 30臨終 に際し 、 「 死に とう ない 」 と 述べ た と 伝わる 。
 31酬恩庵 は 通称 「 一休寺 」 と 言い 、 京都府 京田辺市 の 薪地区 に ある 。
 32康正 2 年 1456 年 に 荒廃 し て い た 妙勝寺 を 一休 が 再興 し た もの で ある 。
 33墓 は 酬恩庵 に あり 、 「 慈揚塔 」 と 呼ば れる が 、 宮内庁 が 御廟所 として 管理 し て いる 陵墓 で ある
 34宮内庁 で は 落胤説 に もとづい て 「 後小松天皇皇子宗純王墓 」 と し て いる 。
 35人柄
 36自由奔放 で 、 奇行 が 多かっ た と 言わ れる 。
 37以下 の よう な 逸話 が 伝わっ て いる 。
 38印可 の 証明書 や 由来 ある 文書 を 火中 に 投じ た 。
 39男色 はもとより 、 仏教 の 戒律 で 禁じ られ て い た 飲酒 · 肉食 や 女犯 を 行い 、 盲目 の 「 森侍者 」 ( しんじしゃ ) という 側女 が い たり 、 「 岐翁紹禎 」 という 実子 の 弟子 が い た 。
 40朱鞘 の 木刀 を 差す など 、 風変わり な 格好 を し て 街 を 歩き まわっ た 。
 41親交 の あっ た 本願寺門主 蓮如 の 留守中 に 居室 に 上がりこみ 、 蓮如 の 持念仏 の 阿弥陀如来像 を 枕 に 昼寝 を し た 。
 42その 時 に 帰宅 し た 蓮如上人 は 『 俺 の 商売道具 に 何 を する 』 と言う 発言 を 残し て いる 。
 43正月 に 、 杖 の 頭 に ドクロ を しつらえ 、 「 ご用心 、 ご用心 」 と 叫び ながら 練り歩い た 。
 44こうした 一見 奇抜 な 言動 は 、 中国臨済宗 の 高僧 として 知ら れる 普化 など 唐代 の 禅者 と 通じる もの が あり 、 教義 の 面 で は 禅宗 の 風狂 の 精神 の 表れ と さ れる 。
 45と同時に 、 こうした 行動 を通して 、 仏教 の 権威 や 形骸化 を 批判・風刺 し 、 仏教 の 伝統化 や 風化 に 警鐘 を 鳴らす もの で も あっ た 。
 46彼 の 禅風 は 、 直筆 の 法語 として 「 七仏通誡偈 」 が 残さ れ て いる こと から も 伺える 。
 47この 戒律 や 形式 に とらわれ ない 人間臭い 生き方 は 民衆 の 共感 を 呼び 、 江戸時代 に 彼 を モデル と し て 一休咄 に 代表 さ れる 頓知咄 ( とんちばなし ) を 生み出す 元 と なっ た 。
 48一休 は 能筆 で 知ら れる 。
 49一休 が 村田珠光 の 師 で ある という 伝承 が あり 、 茶人 の 間 で 墨蹟 が 極めて 珍重 さ れ た 。
 50( なお 、 珠光 の 師 という 説 は 現在 の 研究 で は やや 疑わしい と さ れる 。 )
 51著書 ( 詩集 ) は 「 狂雲集 」 、 「 続狂雲集 」 、 「 自戒集 」 、 「 骸骨 」 など 。
 52東山文化 を 代表 する 人物 で も ある 。
 53足利義政 と その 夫人 日野富子 の 幕政 を 批判 し た こと も 知ら れる 。
 54なお 、 アントニオ猪木ら によって 、 『 一休 の 言葉 』 として 流布 さ れ て い た 「 この 道 を 行け ば どう なる もの か ・・・ 」 に 始まる 言葉 は 実際 に は 一休 の 言葉 で は なく 、 文言 に 多少 の 相違 は ある ものの 、 もとは 清沢哲夫 の 「 道 」 という 詩 で あっ た と 見 られる 。
 55( 『 無常断章 』 に 収録 ;
 56一部 、 抜け ・ 間違い あり ) 。
 57伝記
 58幼少期 は 頓知小僧 で 、 青年期 に 厳しい 修行 を 積ん で 名僧 と なっ た という 逸話 が 多い 。
 59子供向け の 物語 で は 、 特に この 傾向 が 強い 。
 60また 、 幼少期 の 逸話 に は 、 頓知 で 和尚 や 足利義満 を やり込める 話 が 添え られる こと が 多い 。
 61これ は 『 一休咄 』 と 史実 の 一休宗純 を 一 つ の 物語 に し て おり 、 幼少期 について は 史実 から 遠い と 言える が 、 青年期 以降 の エピソード のみ で は 堅い 話 と なる ので 、 親しみ を 持た せる ため に この よう に し た と 思わ れる 。
 62なお 、 幼少期 の 一休 の 名前 や 、 寺 の 名前 、 生まれ について は 明示 する もの と し ない もの が ある 。
 63『 一休咄 』
 64「 一休さん の 頓知話 」 として 知ら れる 『 一休咄 』 は 、 一休 の 遷化 から 200 年 余り 後 の 元禄年間 ( 江戸時代前期 ) に 世 に 現れ た 。
 65作者 は 不明 で ある 。
 66『 一休咄 』 は 、 一休 の 事績 の 他 に 、 一休 に なぞらえ た 民間説話 や 登場人物 を 他 の 高僧 から 一休 に 置き換え た 伝説 が 数多く 含む ため 、 史実 と は 言い 難い 。
 67民衆 の 願い を 歴史上 の 人物 に 仮託 し た 読物 で ある 。
 68『 一休咄 』 は 、 現在 も 子ども向け の 読物 として 親しま れ て おり 、 これ を 翻案 し た TVアニメ 『 一休さん 』 も 製作 さ れ た 。
 69この 物語 を通じて 、 歴史 の 授業以前 に 、 一休 の 名 はもとより 、 足利義満 や 鹿苑寺 など 室町時代 について の 知識 を 得 た 人 は 多い 。