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title:Wikipedia article
date:2013/11/02
source:仙台市-Wikipedia.html
genre:wikipedia
terms of use:Creative Commons Attribution-ShareAlike License 3.0


 1仙台市
 2概要
 3仙台市都心部周囲 に は 広瀬川 や 青葉山 など の 自然 が あり 、 また 都心部 に も 街路樹 など の 緑 が 多い こと から 、 「 杜 の 都 」 と の 別名 を もつ 。
 4市 は 「 学都仙台 」 「 楽都仙台 」 など の キャッチコピー も 用い て いる 。
 5宮城県内 の 純観光地 の 中 で 宿泊客数 第1 位 を 誇る 秋保温泉 が 南西部 に ある 。
 6中国 で は 、 魯迅 が 留学 し た 都市 として 知ら れる 。
 7現在 の 仙台市 の 推計人口 は 、 東北地方 の 中 で 最も 多い 約107万 人 で 、 宮城県民 の 45.9 % が 居住 する 。
 8また 、 仙台都市圏 ( 広域行政圏 ) の 推計人口 は 約151万 人 で 、 宮城県民 の 70.8 % が 居住 する 。
 9県内総生産 で も 50.8 % を 仙台市 が 占め て おり ( 2009 年度 ) 、 「 仙台一極集中 」 と 言わ れる こと が ある 。
 10この よう な 集積度 と 東北 における 拠点性 により 、 物販面 で は 隣県 に 及ぶ 仙台経済圏 を 形成 し て いる 。
 11その 一方 、 都市像 として は バブル景気期 に 開業 し た 地下鉄南北線 沿い の 泉中央副都心 や 長町副都心 、 あるいは ロードサイド店舗 に 物販・職場 が 郊外化 する 傾向 も 見 られる 。
 12市 は 、 バブル崩壊後 の 1990 年代 後半 から コンパクトシティ を 志向 する よう に なり 、 都心部 へ の 「 アクセス 30 分 構想 」 を 進め て いる 。
 13当市 は かつて の 宮城郡南部 と 名取郡北部 に 市域 が 広がる が 、 両郡 の 東部 に 広がる 仙台平野 ( 狭義 ) は 、 西 と 北 を 陸前丘陵 、 東 を 太平洋 の 仙台湾 、 南 を 阿武隈川 に 囲ま れる 。
 14また 、 同平野 の 北部 は 長町-利府線断層帯 を 境 に 、 北西側 が 洪積台地 、 南東側 が 沖積平野 に 分かれる 。
 15当地 は 、 畿内 に 端 を 発する 山道 ( 後 に 東山道 に 再編 ) と 海道 ( 後 に 東海道 に 再編 ) と が 合一 する 唯一 の 地 で あり 、 その 合一 し た 街道 は 後年 、 奥大道 や 東街道 と 名称 を 変え ながら も 同断層帯 および それ に 続く 高舘丘陵 の 東縁 に 沿っ て 南北 に 通る 重要 な 道 として 存在 し 続け た 。
 16伊達政宗 による 仙台開府以前 の 当地 で は 、 この 街道沿い を 中心 に 、 同断層帯・丘陵 より 東側 の 沖積平野 に ある 自然堤防 など の 微高地 ( 以下 「 東方微高地 」 ) に のみ 町場 が 形成 さ れ た 。
 17「 東方微高地 」 に は 、 4 世紀 末 頃 に 東北最大 の 雷神山古墳 ( 現名取市 ) や 県内 2 位 の 遠見塚古墳 が 築造 さ れ 、 7 世紀 半ば の 陸奥国設置後 は 国府 と さ れる 郡山遺跡 や 多賀城 ( 現多賀城市 ) 、 さらに 陸奥国分寺 や 陸奥国分尼寺 など 同国 の 重要施設 も 置か れ た 。
 18多賀城 が 11 世紀 前半 に 国府 として の 機能 を 失う と 、 陸奥国府 は 陸奥府中 の 南西部 に あたる 現・JR岩切駅周辺 の 七北田川沿い 「 東方微高地 」 に 移転 し 、 南北朝時代 まで 続い た 。
 1912 世紀 に は 陸奥国府 は 多賀国府 と も 呼ば れる よう に なり 、 国府周辺 に は 多賀国府町 ( たがのこう町 ) と 呼ば れる 、 陸奥国 の 政治・経済 の 中心地 として の 町場 が 戦国時代 まで 続い た 。
 20当時 の その 他 の 町場 に は 、 原町 の 宿場 、 陸奥国分寺 の 門前町 で ある 国分日町 、 国分氏 の 小泉城下町 、 粟野氏 の 北目城下町 が あり 、 いずれ も 「 東方微高地 」 に あっ た 。
 2117 世紀 初頭 に 政宗 は 、 伝統的 な 当地 の 中心地 で ある 「 東方微高地 」 で は なく 、 同断層帯 より 西側 の 洪積台地 に 広がる 広瀬川 の 河岸段丘上 に 仙台城 ( 青葉城 ) および 仙台城下町 を 建設 し て 仙台藩 62万 石 の 中心地 と し た 。
 22城下 は 、 国分日町 が 移転 し て き た 国分町 、 北目城下町 が 移転 し て き た 北目町 、 そして 伊達氏 に 従っ て 移転 し て き た 御譜代町 6 町 を 中心 に 町人町 が 形成 さ れ 、 現在 の 都心部 の 基盤 と なっ た 。
 23「 東方微高地 」 で は 、 小泉城 および 小泉城下町 が 政宗 によって 再編 さ れ て 若林城 および 若林城下町 と なっ た が 、 死後 に 廃城 および 仙台城下町 に 吸収合併 さ れ た 。
 24また 、 原町 の 宿場 は 石巻街道(塩竈街道)下り第一宿駅 の 原町宿 に 再編 さ れ 、 旧・北目城下町 の 西隣 に は 奥州街道上り第一宿駅 の 長町宿 が 設置 さ れ 、 それぞれ 仙台城下町 と コナベーション し た 。
 25この 結果 、 仙台 は 「 2城下2宿場連接都市 」 の 様相 を 呈し た 。
 26旧・陸奥府中 で は 、 塩竈 ( 現塩竈市 ) が 仙台城下町 の 外港 として 発展 し 、 塩竈 と 仙台 と の 間 の 物流 の 中継地 と なっ た 蒲生 や 原町 も 発展 し た 。
 27明治 に なる と 、 東京 と 青森 の ほぼ 中間 ( 双方 から とも に 約350 km ) に 位置 する 当地 に 、 東北鎮台 ( → 仙台鎮台 → 第2 師団 ) が 設置 さ れ て 陸軍施設 が 集まり 、 「 軍都 」 の 側面 を 持ち 始め た 。
 281878 年 ( 明治 11 年 ) に 仙台区 と なり 、 1887 年 ( 明治 20 年 ) に は 旧制二高 が 創立 、 仙台駅 も 設置 さ れ た 。
 29同駅 の 設置 以降 、 船運中心 の 江戸時代 に 発展 し た 石巻 や 塩竈 から 、 鉄道 が 集積 する 仙台 に 商権 が 移り 、 現在 に 至る 「 商都 」 の 側面 を 手に入れ た 。
 301889 年 ( 明治 22 年 ) 4 月 1 日 に 市制 施行 。
 31日露戦争 を 機 に 1907 年 ( 明治 40 年 ) に は 東北帝国大学 が 創立 し 、 「 学都 」 として の 地位 を 確立 。
 32また 、 同年 から 大正 、 昭和初期 にかけて 「 五大事業 」 を 推進 し て 近代都市 へ と 脱皮 し 、 かつて 宮城郡役所 が 置か れ た 原町 、 名取郡役所 が 置か れ た 長町 など 隣接町村 と 合併 し て 、 これら 新市域 に 工場地区 を 形成 し た 。
 33太平洋戦争前後 に 中央省庁 の 出先機関 が 集積 する 「 行政都市 」 として の 側面 を 得る が 、 その 一方 で 仙台空襲 により 中心部 は 廃墟 と なり 、 戦後占領期 に は 進駐軍 の 米兵 に 経済 を 握ら れ た 。
 34高度経済成長期 に なる と 企業 の 支店 が 多く 進出 し て 第三次産業 が 伸長 し 、 「 札仙広福 」 と 並び称さ れる 支店経済都市 と なっ た 。
 35昭和末期 に 泉市 ・ 宮城町 ・ 秋保町 と 合併 し 、 市制 100 周年 の 1989 年 ( 平成 元 年 ) 4 月 1 日 に 全国 で 11 番目 と なる 政令指定都市 に 移行 し た 。
 36地理
 37市域 は 、 東 を 太平洋 ( 仙台湾 ) 、 北 を 松島丘陵 、 西 を 奥羽山脈 、 南 を 名取川 と 境界 と し て いる 。
 38東西方向 に 宮城県 を 貫い て おり 、 奥州街道ルート で 長距離移動 する 際 、 本市 を 経由 せ ずに 南北 に 移動 する こと は 不可能 で ある 。
 39海岸 から 長町-利府線断層帯 まで が 地質的 に は 新しい 沖積平野 、 その 西 が 沖積平野 より 少し 古い 堆積岩類 の 台地 で あり 、 奥羽山脈 の 稜線近く は 新生代 に 噴出 し た 火山岩 で でき て いる 。
 40船形山 、 大東岳 、 神室岳 など は いずれ も 50万 年 から 150万 年 前 に 噴火 し た 火山 で ある 。
 41仙台市 は 奥羽山脈 を 挟ん で 山形県山形市 と 接し て いる 。
 42都道府県庁所在地 同士 が 隣接 する 例 に は 、 他 に 京都市 と 大津市 、 福岡市 と 佐賀市 が あり 、 経済的 に も 深い つながり を 持つ 。
 43気候
 44市街地 は 太平洋 に 開け た 平野部 に 位置 し 、 気候区分 は 太平洋側気候三陸型気候区 に 分類 さ れる 。
 45冬 は 海 から 近い こと と 晴天 が 多い ため 、 東北地方 として は 温暖 で 、 真冬日 は 稀 で ある 。
 46東北地方 の 県庁所在地 の 中 で 最も 降雪量 が 少なく 、 積雪 が 一 週間 以上 残存 する こと は 少ない 。
 47夏 は 太平洋 から の 海風 の 影響 で 気温 は あまり 上昇 せ ず 、 夏日 に は なる が 真夏日・熱帯夜 が 少ない 。
 48また 、 霧 の 発生回数 が 政令指定都市 の 中 で は 抜きん出 て 多い が 、 これ は 海上 から の 「 移流霧 」 が 主要因 で ある 。
 49梅雨 から 初夏 、 秋分前後 に は 、 北東 から の 冷たい 海風 により 、 曇りがち と なっ て 冷え込む こと が ある 。
 50真夏日 と 真冬日 の 合計 は 約20 日 で 、 都道府県庁所在地 の 中 で 最も 少ない 。
 512 番目 は 水戸市 の 約30 日 で 、 東京都 ( 千代田区 ) の 約45 日 、 大阪市 の 約66 日 と 比べ て も 非常 に 少ない 。
 52冷涼 な 海洋性 の 気候 で あり 寒暖 の 差 が 少ない こと と 、 市西部 に 比較的 高い 山脈 が 存在 せ ず 、 フェーン現象 が 起こり にくい こと が 要因 で ある 。
 53仙台市域 の 仙台 と 他 の 町村
 54都市 として の 仙台 の 歴史 は 、 1601 年 の 伊達政宗 による 建設 に 始まる 。
 55仙台輪之内 あるいは 仙台輪中 と 呼ば れ た 江戸時代 の 仙台 の 範囲 は 、 青葉山 に ある 仙台城 と その 麓・河原 に あたる 川内 と 、 広瀬川対岸 の 台地上 に 作ら れ た 城下町 から なる 南北 5 キロメートル 、 東西 4 キロメートル ほど の 範囲 で 、 現在 の 市域 の ごく 一部 で ある 。
 56中世 に は 青葉山 に 寺 が いく つ か あっ て 地方的 な 霊場 の 様相 が あっ た が 、 後 の 城下町 に あたる 場所 は 古代 から 中世 まで 人家 が 稀 な 原野 だっ た 。
 57しかし 、 現在 の 仙台市域 に 広げ て 歴史 を 眺める と 、 いく つ も の 集落 や 町 の 興隆 と 変遷 が 認め られる 。
 58弥生時代 から の 水田遺跡 で ある 富沢遺跡 と 南小泉遺跡 の 周辺 は 、 古墳時代 に 入っ て 多数 の 古墳 が 築か れ た 地域 の 中心 で あっ た 。
 597 世紀 末 から 8 世紀 初め まで は 郡山遺跡 に 陸奥国 の 国府 が 置か れ た 。
 608 世紀 に は 南小泉遺跡 の 北隣 に 陸奥国分寺 と 陸奥国分尼寺 が 建て られ た 。
 61中世 に は 多賀城 から 国府 が 市域北東部 の 岩切 に 移り 、 町 が 形成 さ れ た 。
 62戦国時代 に は 、 国分寺 から 南小泉遺跡 にかけて 国分日町 と 呼ば れる 町 が あっ た 。
 63他 に も 中世 に は 平野部 から 山間 の 盆地 まで 、 各地 に 集落 や 武士 の 館 が 作ら れ た 。
 64以降 の 説明 で は 、 中世 に 至る まで 単に 仙台 と いう 場合 に は 江戸時代 の 仙台 の 範囲 を 指し 、 現在 の 仙台市 の 範囲 を 指す 場合 に は 特に 仙台市域 と 呼ん で 区別 する 。
 65江戸時代以降 は それぞれ の 時代 の 仙台 をもって 仙台 と 呼び 、 現在 の 市域 と 区別 する 。
 66原始 ・ 古代
 67仙台市域 で は 、 富沢遺跡 で 旧石器時代 の 焚き火跡 が 見つかっ て いる 。
 68縄文時代 の 遺跡 として は 、 山田上の台遺跡 に 集落 が あり 、 市内 各地 で 遺物・痕跡 が 残さ れ て いる 。
 69当時 の 人々 は 低湿 な 平野 を 避け て 丘陵 に 居 を 構え た ので 、 丘陵 が 海 に 続く 松島湾沿い に 遺跡 が 集中 し 、 仙台市域 で は 少ない 。
 70弥生時代 に 人々 は 稲作適地 を 求め て 平野 に 進出 し 、 名取川 と 広瀬川 に はさま れ た 富沢遺跡 と 、 広瀬川 の 北 で 仙台 の 東 に ある 南小泉遺跡 で 水田 が 営ま れ た 。
 71古墳時代 に 入る と 、 富沢遺跡 の 周辺 に 一塚古墳 、 二塚古墳 、 兜塚古墳 など 中小 の 古墳 が 作ら れ た 。
 72南小泉遺跡 の 周辺 に も 中小 の 古墳 が 作ら れ 、 4 世紀 末 に は 若林区 に 遠見塚古墳 という 東北地方最大級 ( 第3 位 ) の 古墳 が 築か れ た 。
 73第1 位 の 雷神山古墳 は 名取川 の 南 、 現在 の 名取市内 に あり 、 二 つ の 巨大古墳 の 間 に 多数 の 中小古墳 が 散らばっ て い た 。
 74国郡 が 確定 し た とき 、 仙台市域 は 大部分 が 宮城郡 に 、 今 の 太白区 全体 と 若林区南部 が 名取郡 に 属し た 。
 75若林区 で 両郡 の 境 は 、 自然 な 境界 に なり そう な 広瀬川 ・ 名取川 から 北 に はみ出 て 曲がりくねっ て いる が 、 これ は 昔 の 広瀬川 の 流路 の 痕跡 と さ れる 。
 767 世紀 末 から しばらく の 間 、 市 の 南部 の 郡山遺跡 に は 陸奥国 の 国府 が 置か れ た 。
 77郡山遺跡 の 東西 に は 東多賀神社 と 西多賀神社 が 建立 さ れ 、 周辺 に は 東北地方最大級 の 環濠集落 も あっ た 。
 78国府 は 724 年 に 多賀城 に 移転 し た が 、 740 年代 か 750 年代 に 、 仙台 の 東 、 南小泉遺跡 の 北 に あたる 木ノ下 の 地 に 陸奥国分寺 と 陸奥国分尼寺 が 建て られ た 。
 79陸奥国分寺 に は 巨大 な “ 七 重 の 塔 ” が あっ た 。
 80国分寺 の 周辺 は 宮城野 ・ 宮城野原 と 呼ば れる 原野 で 、 平安時代 に は 萩 で 名高い 歌枕 に なっ た 。
 8110 世紀 半ば に 多賀城 が 国府機能 を 喪失 し た とき 、 国府 は 仙台市域 の 北東端 、 七北田川北岸 の 岩切 に 移転 し た と 推定 さ れる 。
 82鎌倉・南北朝時代 まで 、 多賀国府 と 呼ば れ た ところ で ある 。
 83七北田川 の 両側 に 町 が 形成 さ れ 、 北岸 で は 今 の 多賀城市 の 一部 まで 広がっ て い た 。
 84中世 から 戦国時代
 85東北地方 ( 奥羽 ) 全域 を 支配 し て い た 奥州藤原氏 が 源頼朝 によって 滅ぼさ れる と 、 鎌倉時代 の 東北地方 に は 頼朝 の 側近 で ある 伊沢家景 ・ 葛西清重 の 両名 が 奥州惣奉行 として 置か れ 、 葛西氏 ・ 伊沢氏 の 双頭体制 と なっ た 。
 86この のち 、 伊沢家景 は 多賀城 の “ 留守所長官 ” として 陸奥留守職 と なる 。
 87伊沢家景 は 現利府町 に 定住 し 、 26 年間 を 利府 で 過ごし て 没し た 。
 88伊沢家景 の 子 の 代 から 、 伊沢氏 は 留守氏 と 呼ば れ た 。
 89伊沢家景 の 子孫 も 、 代々 、 陸奥留守職 に 就任 し た 。
 90こうして 鎌倉時代 の 仙台 ( 東北地方 ) は 、 留守氏 の 支配下 に 置か れ た 。
 91室町時代 に なる と 、 室町幕府 の 管領家 ・ 斯波氏 の 一族 で ある 大崎氏 が 奥州探題 を 世襲 し 、 仙台 の 地 も 大崎氏 の 支配下 に おか れ た 。
 92大崎氏 の 本拠地 は 宮城県 大崎市 で ある 。
 93弥生時代 より 、 仙台 が “ 東北地方 の 政治的中心地 ” から 遠ざかっ た の は 、 この 室町時代 だけ で ある 。
 94中世 、 現在 の 仙台市域 の 大部分 は 国分氏 の 支配下 に あっ た 。
 95国分氏 は 現在 の 多賀城市 や 仙台市岩切 など を 拠点 と する 留守氏 と 、 激しく 対立 し た 。
 96しかし 戦国時代 に 入る と 、 両氏 とも 戦国大名 として 台頭 し て き た 伊達氏 から たびたび 養子 を 迎え て 相手方 より 優位 に 立と う など の 努力 を し た が 、 次第 に 伊達氏 の 隷属化 に 組み込ま れ て いく 。
 971522 年 ( 大永 2 年 ) 、 伊達政宗 の 曽祖父 ・ 伊達稙宗 は 、 室町幕府将軍・足利義晴 から 、 陸奥守護職 に 任じ られ た 。
 98すでに 稙宗 の 偉名 は 東北地方 全土 に 浸透 し て い た 。
 99子だくさん の 稙宗 は 東北地方 の 有力大名 と 政略結婚 を 繰り返し 、 奥羽 に 血縁ネットワーク を 築き上げ た 。
 100しかし 、 その 政略結婚 が 原因 と なっ て 、 1542 年 ( 天文 11 年 ) 、 嫡男・伊達晴宗 と の 間 に 「 天文の乱 」 が 勃発 し た 。
 101この 乱 は 東北地方 全土 に 波及 し 、 東北 の 戦国大名 を 二分 する 大乱 と なっ た 。
 1021548 年 ( 天文 17 年 ) 、 「 天文の乱 」 は 、 将軍・足利義輝 の 和睦勧告 を 受け て 、 伊達晴宗 の 勝利 で 幕 を 閉じ た 。
 103伊達晴宗 は 将軍 から 奥州探題 に 任じ られ た 。
 104晴宗 は 息子 の 一人 を 、 現利府町周辺 を 支配 し て い た 戦国大名・留守氏 の 跡取り養子 と し た 。
 105同じく 晴宗 は 息子 の 一人 を 、 現仙台市東部 を 支配 し て い た 戦国大名・国分氏 の 跡取り息子 と し た 。
 106伊達政宗 の 父 ・ 伊達輝宗 も 本来 で あれ ば 奥州探題 に 任じ られ て い た ところ で あっ た が 、 織田信長 が 室町幕府 を 滅ぼし た ため 、 輝宗 は 奥州探題 に なる こと が でき なかっ た 。
 107伊達政宗 の 叔父 ・ 国分盛重 が 政宗 の 下 から 逐電 する と 、 国分氏 の 領地 で あっ た 現仙台市 は 政宗 の 直轄領 に 組み込ま れる 。
 108なお 、 国分氏 が 城主 の 時代 の 城下町 の 系譜 を 引く の が 、 現在 の 国分町 で ある 。
 109伊達政宗 は 常陸国 の 戦国大名・佐竹義重 、 および 会津地方 の 戦国大名・蘆名氏ら と の 抗争 に 勝利 し 、 東北地方 の 南 半分 を 征服 し て “ 奥羽 の 覇者 ” と なっ た 。
 110政宗 と 同じ よう な “ 戦国時代 の 地方 の 覇者 ” として 、 毛利氏 ( 中国地方 ) ・ 島津氏 ( 九州地方 ) が いる 。
 111“ 関東 の 雄 ” 北条氏政親子 と 同盟関係 に あっ た 伊達政宗 は 北関東 の 征服 を 目前 の もの と し た が 、 織田信長 の 後継者 と なっ た 豊臣秀吉 に 服属 し 、 秀吉 は 北条氏ら を 滅ぼし て 日本統一 を 達成 する 。
 112秀吉 は 政宗 の 領地 を 、 先祖ゆかり の 現福島県 および 現山形県南部 および 現宮城県南部 から 、 現宮城県全域 および 現岩手県南部 へ と 、 北 へ 追いやっ た 。
 113これ に 反発 し た 政宗 は 、 奥羽 の 戦国大名 ・ 大崎氏 ・ 葛西氏 を 扇動 し て 大崎葛西一揆 を 起こす 。
 114しかし この 一揆扇動 は 秀吉 の 懐刀 ( ふところがたな ) ・ 蒲生氏郷 に 露見 し 、 政宗 は 一揆 を 鎮圧 する 羽目 に なる 。
 115政宗 は 大崎葛西一揆 を 鎮圧 し 、 秀吉 の 命令 で 居城 を 岩出山城 に 遷し た 。
 116この 頃 から 政宗 は 徳川家康 に 接近 し 、 秀吉 の 死後 、 家康 の 天下取り に 協力 する 。
 117関ヶ原の戦い の 翌年 1601 年 、 政宗 は 新た な 居城 仙台城 を 築城 する と 、 仙台 の 地 に 人口 約5万 人 の 城下町 を 築い た 。
 118その後 も 政宗 は 1613 年 、 スペイン帝国 に 慶長遣欧使節 を 派遣 する など 、 名君 として 君臨 し た 。
 119江戸時代
 120天正 まで 、 現在 の 仙台 の 地 は 「 千代 ( せんだい ) 」 と 呼ば れ て い た 。
 1211601 年 ( 慶長 6 年 ) 、 伊達政宗 が 青葉山 に 仙臺城 ( 仙台城 ) を 築き 、 城下町 を 開い て 当地 の 名前 を 「 仙臺 ( 仙台 ) 」 と 改称 し た こと で 、 仙台 の 都市 として の 歴史 が 始まっ た 。
 122「 伊達62万石 」 と いわ れ た 仙台藩 は 、 江戸幕府 ( 約700万 石 = 天領 400万 石 + 旗本領 300万 石 ) 、 加賀藩 ( 102.5万 石 ) 、 薩摩藩 ( 77万 石 ) に 次ぎ 、 尾張藩 ( 約62万 石 ) と 並ぶ 大藩 で あり 、 城下町 として の 仙台 も 発展 し た 。
 123伊達政宗 が 来る まで は 戦国大名 、 国分氏 の 居城 が あっ た 。
 1241611 年 ( 慶長 16 年 ) に 仙台 を 訪れ た セバスティアン・ビスカイノ は 、 仙台城 から 見 た 城下町 の 様子 を 「 江戸 と 同じ くらい の 大きさ だ が 、 建物 は もっと 立派 」 と 報告 し て いる 。
 125開府後 も 城下町 は 拡張 を 繰り返し 、 政宗 隠居 の 館 で ある 若林城 が 完成 する の と 前後 し て 、 寛永年間 に 南東方向 へ 大幅 に 町 が 拡張 し た 。
 126さらに 正保・寛文年間 に は 東照宮 の 造営 さ れ た 北東方向 に 、 延宝年間 に は 東部・北部方面 へ 町 が 更に 拡大 し た 。
 127宗門人別改制 の 導入 により 、 江戸時代 の 仙台 の 町方・寺院方人口 が 一部 記録 として 残っ て おり 、 以下 の 表 に まとめる 。
 128これ に 城下 に 暮らし て い た 武家人口 を 加え た もの が 実際 の 仙台 の 総人口 という こと に なる が 、 城下在住 の 武家人口 は 不明 で ある 。
 129但し 郷士 を 含む 仙台藩 の 武家人口 は 仙台藩 の 総人口 の 22 % から 26 % を 占める など ( 例えば 1695 年 ( 元禄 8 年 ) の 仙台・一関藩総人口 81万9749 人 に対して 一門 ・ 諸士 ・ 諸組 ・ 諸職人 の 人口 は 20万5916 人 ) 、 武家 の 割合 は 非常 に 高かっ た 。
 130この内 、 女・子供 を 除い た 仙台藩家臣団 の 総数 は 約3万5000 人 で 、 伊達家直属 の 家臣団 が 約8000 から 1万 人 を 占め 、 残る 約2万5000 人 は 陪臣 の 家中士 で ある 。
 131幕末 から 明治維新 まで
 132仙台藩 は 幕末 に 、 幕府 から 蝦夷地警護 の 使命 を 託さ れ 、 北海道 に 多く の 領地 と 警衛地 を 有し 、 その 面積 は 北海道 の ほぼ 三分の一 を 占め た 。
 1331868 年 ( 明治 元 年 ) の 戊辰戦争 において 、 仙台藩 は 奥羽越列藩同盟 の 盟主 と なっ て 旧幕府側 を 支援 し た ( すでに 幕府 は 滅亡 し て い た ので 、 旧幕府側 と は 別個 の 勢力 ) 。
 134列藩同盟 の 政府機関 で ある 「 列藩同盟公儀府 」 は 白石市 に おか れ た 。
 135仙台藩主伊達慶邦 は 孝明天皇 の 弟 で ある 輪王寺宮 ( のち の 北白川宮 ) を 列藩同盟 の 盟主 に そえ た 。
 136この とき 列藩同盟 ( 北部政府 ) に は 輪王寺宮 を 「 東武天皇 」 として 即位 さ せ “ 東武朝廷 ” を つくる 計画 が あっ た 。
 137伊達慶邦 は 征夷大将軍 に なる 予定 で あっ た 。
 138しかし 、 敗戦 により この 計画 は 幻 と 消え た 。
 139敗戦 により 石高 を 半分 以下 に 減らさ れ た 際 、 伊達一門ら 仙台藩 各地 の 領主たち は 、 困窮 し た 多数 の 家臣団 を 蝦夷地 ( 北海道 ) へ 集団移住 さ せる 決断 を 下し た 。
 140これ により 大量 の 知識階級 ( 武士階級 ) が 北海道 へ 流出 し た 。
 141仙台藩 は 明治新政府 と 共同 で 札幌市 を 開拓 し た ほか 、 単独 で 伊達市 など を 開拓 し た 。
 142こうして 仙台藩 は 北海道 の 開拓史 に 大きな 功績 を 残し た 。
 1431871 年 ( 明治 4 年 ) の 廃藩置県 において 、 仙台藩 は 仙台県 、 角田県 、 登米県 、 胆沢県 の 4 県 に 分割 さ れ 、 現在 の 仙台都市圏 と 似 た 範囲 で 仙台県 が 置か れ た 。
 144その後 何 度 か 境界変更 を 繰り返し 、 現在 の 規模 に なっ た 1872 年 ( 明治 5 年 ) に 宮城県 と 改称 し て 、 同時 に 仙台区 が 置か れ た 。
 145明治 から 戦前 まで
 146明治政府 による 中央集権体制 下 、 仙台 に は 東北地方 の 拠点都市 として 、 国 の 出先機関 の 設置 が 進め られ た 。
 147また 、 1887 年 ( 明治 20 年 ) に は 旧制二高 、 1907 年 ( 明治 40 年 ) に は 東北帝国大学 といった 高等教育機関 が 設け られ た 。
 148旧仙台藩 の 諸施設 は 接収 さ れ 、 明治政府 によって 転用 さ れ た 。
 149仙台城二の丸 に は 陸軍第二師団司令部 と 歩兵第三旅団司令部 、 現仙台国際センター に は 工兵第二連隊司令部 、 現榴岡公園 に は 歩兵第四連隊司令部 が 置か れ 、 輜重兵第二連隊 ( 現亀岡住宅 ) 、 騎兵第二連隊第二連隊 ( 現東華中学校 ) の 他 、 練兵場 ( 仙台城三の丸 ) 、 宮城野原練兵場 ( 現宮城野原公園総合運動場 および 宮城野貨物駅ヤード ) および 飛行場 ( 現国立仙台医療センター ) 、 射撃場 ( 旧警察学校 〜 現台原小学校 ) 、 工兵作業場 ( 現東北大学青葉山キャンパス ) 、 偕行社 ( 現西公園 ) 、 招聘社 ( 仙台城本丸 現宮城縣護國神社 ) が 置か れ た 。
 150第二師団 が 置か れ て 「 軍都 」 と なり 、 ( 旧制 ) 第二高等学校 が 置か れ て 「 学都 」 と なっ た 仙台 は 、 殖産興業 の 時代 に 工業 で は なく 、 これら 「 第二 」 が 付く 陸軍 や 学校 の 消費活動 に 都市経済 が 依存 し て い た ため 「 第二都市 」 と 呼ば れ た 。
 1511887 年 ( 明治 20 年 ) 12 月 、 日本鉄道 の 上野-塩竈間 ( 現:JR東北本線 ) が 開通 、 それ 以前 に は 数 日間 を 要し て い た 仙台 〜 東京間 の 移動 が 、 半 日 程度 に 短縮 さ れ た 。
 1521889 年 ( 明治 22 年 ) に は 市制 が 施行 さ れ 、 仙台区 は 仙台市 と なっ た 。
 153当時 の 人口 は 90,231 人 で あり 、 国内 第8 位 の 規模 で あっ た 。
 1541923 年 ( 大正 12 年 ) 、 周辺町村 と の 合併 が 初めて 行わ れ 、 長町 、 原町 、 南小泉地区 が 編入 さ れ た 。
 155これ 以降 も 仙台市 は 、 周辺市町村 と の 合併 を 繰り返し た ( → 市域 の 変遷 ) 。
 15620 世紀 初頭 における 仙台市政 の 目標 は 、 五大事業 を 内容 と する 都市計画事業 と 、 商業・軍事・行政都市 から 工業都市 へ の 転換 で あっ た 。
 1571926 年 ( 大正 15 年 ) に 仙台市電 が 開業 し た 。
 158第二次世界大戦 と 仙台空襲
 159第二次世界大戦 末期 の 1945 年 ( 昭和 20 年 ) 7 月 10 日 未明 、 仙台市街 は アメリカ軍 による 戦略爆撃 を 受け た 。
 160B-29爆撃機 123 機 による 焼夷弾絨毯爆撃 によって 2,755 名 が 死亡 し 、 市内中心部 は 廃墟 と 化し た 。
 161瑞鳳殿 や 仙台城大手門 といった 国宝 ( 当時 ) も 焼失 し 、 伊達政宗 の 時代 から 続い た 「 杜の都 」 は 消失 し た 。
 162戦後 の 復興 と 高度経済成長
 163終戦後 、 仙台 に は GHQ が 進駐 し 、 仙台 に あっ た 陸軍 は 解体 さ れ 、 軍事施設 の 跡地 は 主に 公園 に なっ た 。
 164また 、 東二番丁通り 、 広瀬通り 、 青葉通り 、 定禅寺通り など の 広幅員 の 道路 を 縦横 に 通し 、 近代都市 として の 基盤 が 造ら れ た 。
 165これら の 大通り に は 、 「 杜の都 」 の 復興 を 願っ て 多数 の 樹木 が 植え られ た 。
 166これら の 樹木 は 、 後 に 大木 に 成長 し て 「 新しい 杜の都 」 の 象徴 と なる 並木道 へ と なっ て いく 。
 167トラック流通 の 需要増加 と共に 1966 年 仙台バイパス の 供用 が 開始 さ れ 、 卸・流通団地 の 整備 が 図ら れ た 。
 1681975 年 に は 東北自動車道 が 開通 し 、 東北地方 の 中心地 の 一 つ と なり 、 東北地方 の 経済都市 として の 拠点性 は 一層 高まっ た 。
 169高度経済成長 ( 第三次産業型 ) と 支店経済 の 発展 により 、 1967 年 に は 人口 50万 人 を 超える 。
 170一方 で 交通渋滞 が 深刻 と なり 、 1976 年 に 仙台市電 が 廃止 さ れ た 。
 171宮城県沖地震
 1721978 年 ( 昭和 53 年 ) 6 月 12 日 夕刻 、 宮城県沖 を 震源 と する 大規模地震 が 発生 、 仙台市 で は 震度 5 を 記録 し た 。
 173倒壊 し た ブロック塀 の 下敷き に なる など し て 28 名 が 死亡 、 仙台市 ( 現在 の 市域相当 ) で は 住居 4,385 戸 が 全半壊 し た ほか 、 電気 、 ガス 、 水道 も 最大 1 週間 に 渡っ て 停止 し た 。
 174宮城県沖地震 は 、 日本 全国 の 建築基準 を 全面的 に 改定 さ せ た 。
 175この 建築基準 が 17 年後 の 阪神・淡路大震災 まで 続く こと と なる 。
 176高速交通網 の 整備
 1771980 年 ( 昭和 55 年 ) 、 東北自動車道 が 埼玉県 の 浦和インターチェンジ まで 延伸 。
 1781982 年 ( 昭和 57 年 ) に は 東北新幹線 が 大宮駅-盛岡駅間 で 開業 し た 。
 179これら によって 、 仙台市 と 首都圏 及び 東北地方 各地 と の 移動 は 飛躍的 に 容易 と なっ た 。
 180この 頃 、 新仙台駅 が 誕生 し 、 仙台駅西口 に ペデストリアンデッキ も 誕生 し た 。
 181バブル景気 と 政令指定都市 へ の 移行
 1821984 年 、 保守系 の 石井亨 が 新市長 と なり 、 「 青葉まつり 」 が 1985 年 に 再開 さ れ た 。
 183また 、 「 SENDAI光のページェント 」 も 同年 に 始まっ た 。
 1841987 年 、 NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」 が 放送 さ れる 。
 185本作 が “ NHK大河ドラマ史上最高視聴率 ” を 記録 し 、 大量 の 観光客 が 仙台 に 押し寄せ 、 仙台七夕 を 初め と し た 既存 の 祭り や イベント も 過去最高 の 入り込み客数 を 記録 する 。
 186この 年 は 「 ’87未来の東北博覧会 」 も 開催 さ れ 、 地下鉄南北線 も 開業 する など 、 政令指定都市移行前夜 の 仙台 で バブル景気 が 始まっ た 。
 1871988 年 、 仙台市 は 泉市 、 および 宮城町 、 秋保町 を 合併 し 、 1989 年 に 第11 番目 の 政令指定都市 に なっ た 。
 188バブル景気 の 後押し も あり 、 全国市長会 会長 を 務める 石井亨市長 の リーダーシップ の もと 、 数々 の 文化施設 を 建設 し 、 大規模イベント を 始める よう に なっ た 。
 1891989 年 に は 、 「 グリーンフェアせんだい 」 が 泉中央副都心 の 七北田公園 で 開催 さ れ た 。
 190しかし 、 1993 年 、 石井市長 が 本間俊太郎宮城県知事 とともに ゼネコン汚職事件 で 逮捕 さ れ 、 仙台 の バブル も 終焉 を 迎え た 。
 191市民 の 台頭
 192バブル期 の 開発行政 の 一方 で 、 1985 年 に 「 SENDAI光のページェント 」 、 1991 年 に 「 定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台 」 が 市民ボランティア の 手 で 始まっ た 。
 1931994 年 に は プロサッカークラブ「ブランメル仙台」 ( 後 の ベガルタ仙台 ) が 誕生 。
 1941997 年 に は 仙台市泉区 に ホームスタジアム で ある 仙台スタジアム が 建設 さ れ た 。
 1951998 年 から は 「 みちのくYOSAKOIまつり 」 、 2000 年 から 「 伊達ロック 」 、 2001 年 から 「 JazzPromenade 」 と 「 とっておきの音楽祭 」 など 、 市民ボランティア が 主体 と なっ て 開催 する 「 街 を 舞台装置 と し た 無料 の 屋外イベント 」 が 多数 開催 さ れる 街 へ と 変化 し た 。
 196仙台経済圏 の 拡大
 1972000 年 前後 から 始まっ た 東北地方 の 陸上交通 の 再編 の 動き の 中 、 仙台 が 小売 の 中心地 として 東北地方 各地 から 買い物客 を 引き付ける よう に 変化 し た 。
 1982004 年 に は プロ野球チーム の 「 東北楽天ゴールデンイーグルス 」 が 誕生 。
 199他 の プロ野球チーム を 持つ 都市 と の 間 に 交流 が 始まる 一方 で 、 東北地方 全体 から の 誘客力 も 上昇 し た 。
 2002005 年 に は 、 プロバスケットボール の 「 仙台89ERS 」 も 設立 し た 。
 201東日本大震災
 2021978 年 の 宮城県沖地震 から 33 年後 の 、 2011 年 3 月 11 日 14 時 46 分 に 発生 し た 東北地方太平洋沖地震 ( 東日本大震災 ) によって 、 地震・津波 の 甚大 な 被害 を 受ける こと と なっ た 。
 203大津波 が 押し寄せ た 宮城野区 ・ 若林区 を 中心 に 多く の 家屋 が 倒壊・流失 し 、 市内 の 全住宅 約50万 戸 の うち 10万 戸 以上 が 全半壊 する という 壊滅的 な 被害 を 受け た 。
 204仙台市内 の 死者数 は 約850 人 に も のぼっ た 。
 205また 、 この 時期 に 物流 や 商業 の 新拠点 として 開発 が すすめ られ て い た 仙台港後背地 も 甚大 な 被害 を 受け た 。
 206震災復興計画
 207震災後 、 津波 の 被害 を 受け た 地域 など で は 、 市 が 主導 し て 復興特区制度 を 取り入れ 、 新た な 地域産業 の 開拓 を 今後 10 年間 行い 復興 する 計画 が さ れ て いる ほか 、 民間企業 による もの も 複数 計画 さ れ て いる 。
 208経済
 2092007 年度 の 市内総生産 は 4兆2784億 円 で あり 、 宮城県 の 51.6 % を 占め て いる 。
 210国内総生産 ( GDP ) と 比較 する と 、 仙台市 は 世界 80 位 以内 に ランクイン し て おり 、 世界 の 過半数 の 国 よりも 経済規模 が 大きい 。
 211江戸時代 に 東北地方最大 の 都市 にして 、 日本 で 十指 に 入る 人口 を 抱える 都市 と なっ て い た が 、 それ は 、 伊達氏 62万 石 の 藩内経済 を 背景 と し た もの で あり 、 藩外 と の 経済交流 を 考えれ ば 、 酒田 など の 港湾都市 の 方 に 資本集積 が あっ た と 考え られ て いる 。
 212明治時代 に なる と 仙台 は 、 明治政府 の 中央集権体制 における 東北地方 の 拠点都市 として 発展 する こと と なっ た 。
 213戦後 において は 、 特に 1982 年 の 東北新幹線開通後 の 発展 や 、 1989 年 ( 平成 元 年 ) の 政令指定都市化前後 は めざましい もの が あっ た 。
 214主 な 産業 は 、 東北 全体 を 商圏 と する 「 卸売業 」 、 仙台都市圏 を 中心 に 南東北 全体 に 商圏 を 広げ つつ ある 「 小売業 」 、 及び 、 「 サービス業 」 が 中核 を なす 。
 215中でも 、 「 卸売・小売業 」 は 仙台市 だけ で 東北 六 県 全体 の 年間販売額 の 40 % 近く を 占める 。
 216また 、 東北地方 の 情報集散地 として の 役割 も 担っ て いる ため 、 「 出版・印刷業 」 や 「 IT関連業種 」 など の 情報関連産業 も 多く 立地 し て いる 。
 217仙台市 は 、 大企業 の 支店 の 存在 に 経済 を 支え られ て いる 側面 が 強く 、 また 工業 も 発展 し て い ない ため 、 経済関係者 の 間 から 「 支店経済都市 」 「 支社都市 」 と 呼ば れ て いる 。
 218この ため 、 地場 の 産業 を 育成 する 事 が 課題 と なっ て いる 。
 219第一次産業
 220他 の 大都市 同様 、 総生産額 ・ 従業者 とも に 全産業 に 占める 第一次産業 の 割合 は 僅 で ある ( 市内 の 農家数 は およそ 5000 戸 ) 。
 221しかし 、 米 は 仙台 の 主力農産物 で あり 、 かつ 、 ササニシキ や ひとめぼれ など の ブランド米 を 産する 土地柄 、 平野部 の 稲作地 は 都市化圧力 から 守ら れ て き た 。
 222市内東部 の 平野 や 河川沿い の 平地 で は 土地改良事業 が 行わ れ 、 長方形型 の 大きな 圃場 が 整備 さ れ て 、 大型農機 による 大規模稲作 が 行わ れ て いる 。
 223これら の 大規模圃場 は 、 一部 税金 を 用い て 整備 さ れ て いる ため 、 商業地 や 住宅地 へ の 転用 が 条例 によって 規制 さ れ て いる 。
 224この よう に 、 河川沿い の 平地 や 東部 の 広大 な 平野部 は 、 農地指定 が 解除 さ れ ない 限り 、 商業地 や 住宅地 等 に 利用 でき ない ため 、 人口増 に 対応 する 住宅供給 は 、 専ら 仙台市都心部 を 取り巻く 丘陵地 の 宅地造成 により なさ れ た 。
 225宅地造成 は 、 都心部 に 近い 北西部 を 中心 に 進ん だ が 、 それでも 供給不足 に 陥っ た ため 、 仙台市民 の 隣接市町 へ の 転出 を 促し 、 名取市 ・ 富谷町 ・ 利府町 など の 人口増 に 寄与 し た 。
 226仙台市当局 は 、 政治的 に 平野部 の 農地 を 守っ て き た 。
 227その 政治判断 により 、 平野部 や 河川沿い に 水田 が 残り 、 夏 に は 風 の 通り道 に なっ て ヒートアイランド現象 を 軽減 し 、 また 、 西部 の 山々 とともに 都心部 を 取り巻く グリーンベルト として 景観 の 保持 に も 寄与 し て いる 。
 228他方 、 仙台市 の 農地政策 は 「 都心部 以外 は 、 平地 は 農地 、 丘陵地 は 住宅地 」 という 都市構造 を 助長 し た 。
 229その ため 、 住宅地 が 丘陵地 ごと に 島状分布 し 、 都心 と 住宅地 と の 間 に 坂道 が 多い ため 車社会 を 加速 し 、 人口密度 が 低く 、 人口 の 割 に 職住 が 離れ た 非効率的都市圏 を 形成 する こと に なっ た 。
 230現在 は 、 その 非効率性 は なくなっ て い ない ものの 、 農地指定 の 解除 が 徐々に 進ん で 、 「 島 」 と 「 島 」 と の 間 の 平地 が 商業地 や 住宅地 に なり つつ ある 。
 231第二次産業
 232工業地区 は 主に 仙台市東部地区 に 分布 し て いる 。
 233主 な 業種 は 「 石油化学業 」 、 次いで 「 印刷・出版業 」 、 「 電気機械・器具業 」 、 「 食品加工業 」 など 。
 234第二次世界大戦中 の 燃料不足 の おり に は 、 市内 の 中心部 に 近い 八木山 ・ 大年寺山 など で 褐炭 の 掘削 が 盛ん に 行わ れ た 。
 235第三次産業
 236仙台市 の 産業 の うち 、 総生産額 で 8 割 、 従業員数 で 7 割 を 占める 。
 237業種別 で は 「 サービス業 」 の 伸び が 顕著 で ある 。
 238仙台市 は 、 南東北 における 物販・サービス業 など の 中心地 と なっ て いる 。
 239一番町 と 仙台駅周辺 の 2 つ の 中心部商業地 の 大きな 集客力 と 、 郊外ロードサイドショップ の 密集 により 、 仙台市 の 小売商圏 は 、 仙台市周辺市町村 の 域 を 越え て 、 山形県村山地方 、 福島県中通り北部・浜通り北部 、 および 岩手県北上川流域南部 まで 広がっ て いる 。
 240中心商業地 以外 で は 、 仙台駅東口 から 日本製紙クリネックススタジアム宮城 に 至る 宮城野通り 周辺 の 仙台駅東口 や 、 泉中央 ・ 長町 の 副都心 において も 集積 が み られる 。
 241金融機関
 242現在 の 青葉通り の 東端 に 仙台駅 が 設置 ( 1887 年 ) さ れ 、 芭蕉の辻 ( 江戸時代 の 仙台 の 中心商業地 。 国分町通り = 奥州街道 、 および 大町 = 仙台城大手門前 から 続く 道 の 交差点 ) に 日本銀行 仙台支店 が 設立 ( 1941 年 ) さ れ た こと により 、 この 2 点 の 間 の 地域 に 金融機関 が 集中 し た 。
 243現在 の 仙台市 の 金融街 は 、 青葉通り沿い の 仙台駅西口前 から 晩翠通り辺り ( 東西軸 ) まで を 中心 と し 、 途中 交差 する 国分町通り沿い ( 南北軸 ) に も 立地 し て いる 。
 244仙台市都心部 に は 、 一番町 と 仙台駅西口一帯 の 2 つ の 極 が ある が 、 従来 から 、 一番町 は 地元商店 が 強く 、 駅前 は 県外資本 ( 主に 東京 ) が 強い 。
 245金融街 の 構成 に も 似 た 傾向 が あり 、 青葉通り沿い の 仙台駅前 から 東二番丁通り交差点 まで の 部分 に 都市銀行 や 有力地方銀行 の 本支店 が 集中立地 し 、 それ より 西 の 一番町 に 近い 青葉通り沿い に 他 の 地銀 や 第二地銀 の 本支店 が 集中立地 し て いる 。
 246また 、 西東北 を 地盤 と する 銀行 を 傘下 に 持つ 金融持株会社・フィデアホールディングス の 本社 は 、 仙台市 に 設け られ て いる 。
 247仙台市 に は 2006 年 ( 平成 18 年 ) 2 月 27 日 に ローソン ( ローソンATM ) 、 2006 年 ( 平成 18 年 ) 3 月 1 日 に セブンイレブン と イトーヨーカドー仙台泉店 ( セブン銀行 ) 、 2006 年 ( 平成 18 年 ) 3 月 20 日 に ファミリーマート と ミニストップ ( イーネット ) に 、 コンビニATM が 設置 さ れ た 。
 248仙台市 へ の コンビニATM により 政令指定都市 全て に コンビニATM が 導入 さ れる こと と なっ た 。
 249教育
 250詳細 は 「 学都仙台 」 を 参照 。
 251仙台 は 、 高等教育機関 に 通う 学生 を 85,000 人 以上 抱え て おり 、 人口 に対する 学生比率 が 、 政令市 等 の 中 で は 京都市 、 福岡市 、 東京23区 に 次い で 4 番目 に 高く 、 仙台市 の 行政 や 地元マスメディア は 「 学都仙台 」 を 自称 し て いる 。
 252また 、 人口 に対する 大学院生比率 も 京都市 に 次い で 2 番目 に 高い 上 、 高等教育機関 の 教員 も 4,000 人 近く 住ん で おり 、 日本 の 学術 を 支える 重要 な 都市 の 1 つ と なっ て いる 。
 253しかし 、 東北大学 において は 、 その 入学者 における 地元占有率 ( 東北大 で は 東北地方出身者 の 割合 ) が 、 他 の 旧帝大 の それ と 比べ て 低く 、 また 、 仙台市 や 東北地方 に 十分 な 就職先 が 確保 さ れ て い ない ため 、 卒業者 の ほとんど が 他 の 地方 ( 特に 東京圏 ) に 流出 し 、 頭脳流出 が 激しい 。
 254また 、 工業基盤 が 薄い 仙台市 で は 、 研究成果 も 他 の 地方 に 流出 し 、 地場 で 産業化 さ れる 例 は 極めて 少ない 。
 255近年 で は 、 人材 と 研究成果 の 流出 を 抑える ため 、 産学官共同 の ベンチャーキャピタル が 設立 さ れ た が 、 まだ 大きな ビジネス に 育っ て い ない 。
 256一方 、 東北学院大学 や 宮城学院女子大学 に 代表 さ れる 県内私立大学 の 入学者 の ほとんど は 、 東北地方出身者 で あり 卒業後 も 仙台 で の 就職 を 希望 する もの も 多く 、 幅広い 分野 で 地域 の 産業 を 支え て いる 。
 257しかし 、 特別支援学校 について は 、 少子化 と 反比例 する 形 で 入学対象者 が 増加傾向 ( 特別支援学級 を 含む 特別支援教育 の 対象 と なる 範囲 が 、 法的 に 広がっ た こと も 起因 し て いる ) に あり 、 とりわけ 知的障害 を 主 な 教育対象 と する 特別支援学校 の 数 が 、 県立学校 で は 市内 に は 、 宮城県立光明支援学校 1 校 しか なく 、 その 学区 から 外れ た 場合 は 、 仙台市外 に 位置 する 特別支援学校 へ の 通学 を 余儀なくされ て いる 現状 に ある 。
 258文化
 259仙台市内 に は ライブハウス や クラブ が 存在 し 、 アマチュア・バンド や インディーズ が 活動 し て いる 。
 260仙台市 に 拠点 を 置い て 活動 する 他地方出身 の セミプロバンド も おり 、 全国版 の ヒットチャート と 仙台 の ヒットチャート と の 間 に 違い が 生じる よう に なっ た 。
 261また 、 アマチュア演劇 も 行わ れ て おり 、 多数 の アマチュア劇団 が 存在 し て 活動 を し て いる 。
 262仙台市 は 文化活動 、 文化事業 を 「 楽都仙台 」 や 「 劇都仙台 」 と 標榜 し て バックアップ し 、 都市 の 文化的魅力 を 高める とともに 、 産学官 の 連携組織 で ある 仙台クリエイティブ・クラスター・コンソーシアム を 設立 し 、 芸術 や 文化 の 創造性 を 活かし た 創造的産業 の 振興 に も 力 を 入れ て いる 。
 263また 一方 で 、 地元マスメディア も 地元 の 人材活用 を する よう に なっ て 、 バンド ・ タレント ・ 芸能人 ・ モデル など の ローカルタレント が 増加 し て 、 隣県 の メディア に 進出 する 者 も 表れ た 。
 264その ため 、 小さい ながら も 仙台芸能界 が 形成 さ れ つつ ある 。
 265機関 ・ 施設
 266仙台市 の 文化機関 ・ 公共施設 は 、 市 が 設置・運営 し て いる もの の 他 、 市 の 外郭団体 、 民間 が 設立・運営 ( 電力ホール など ) し て いる もの が ある 。
 267仙台市博物館 や 仙台市天文台 など の 社会教育機関 は 、 その 社会教育活動 や 施設 を 維持 する ため に 有料 で ある が 、 2002 年 から 仙台都市圏 の 小中学生 を 対象 に し て 発行 さ れ た 「 どこでもパスポート 」 を 利用 する と 、 土曜日 、 日曜日 、 休日 、 春休み 、 夏休み 、 秋休み 、 冬休み の 期間 は 所持 し て いる 小中学生 に 限り 無料 で 利用 する こと が できる 。
 268公民館 の 機能 を 持つ 施設 として 「 市民センター 」 を 各区 に 設け て いる 。
 269グルメ
 270仙台 は 三陸 の 魚介類 は 勿論 、 各種 農作物 、 ブランド米 「 ひとめぼれ 」 「 ササニシキ 」 、 高級和牛牛肉 「 仙台牛 」 の 産地 に 近く 、 海の幸 ・ 山の幸 が 集積 する 。
 271近年 は 、 仙台中央卸売市場 が 仙台経済圏 に 商圏広域化 し 、 弱体化 し た 周辺 の 卸売市場 の 機能 を 肩代わり し て いる ため 、 食材 の 集散地 として の 機能拡充 も 進ん で いる 。
 272庶民的 な 料理店 の 特色 として 、 仙台発祥 の 牛タン料理 の 店 が 多い ほか 、 安い 定食屋 の 半田屋 の 根強い 人気 が 上げ られる 。
 273また 、 仙台ラーメン を 供する 店 も ある 。
 274なお 、 仙台駅 は 駅弁 の 種類 が 日本 で 最も 多い 駅 で ある 。
 275芋煮会
 276仙台 の 秋 の 風物詩 として 、 芋煮会 が ある 。
 277芋煮会 は 、 河原 など の 野外 において 、 家族 や 友人 、 学校 や 職場 の 仲間 が 集まっ て 、 大鍋 に 汁 を つくっ て 食べる 季節行事 で ある 。
 278この 習慣 が ある 地域 で は 、 花見 と 同様 に 重要 な 年中行事 として 扱わ れ て いる 。
 27910 月 から 11 月 にかけて 行わ れる 。
 280仙台 の 芋煮 は 、 里芋 と 豚肉 を 主 な 具 と し て 味噌 で 味付け する 、 いわゆる 豚汁タイプ が 一般的 で ある が 、 魚 や ジャガイモ を いれる もの も ある 。
 281また 、 参加 する 人数 が 多く なる と 、 仙台風 の 芋煮 の 他 に 、 牛肉 ・ 醤油味 の 山形風芋煮 、 キムチチゲ ( 鍋 ) 、 バーベキュー や 鉄板焼き など を 加え て 作る こと も ある 。
 282芋煮 の ため の 大鍋 は 、 スーパー や コンビニエンスストア で 借りる こと が 出来 、 薪 も 買える 。
 283シーズン中 は 、 材料 の 下ごしらえ が さ れ た 芋煮セット が スーパー や 大学生協 など で 売ら れ て いる ので 、 忙しい 人たち も 簡単 に 芋煮会 を する こと が 出来る 。
 284また 、 仙台近郊 の キャンプ場 で は 、 全て の 材料 ・ 鍋 ・ 薪 が 準備 さ れ て い て 、 あと は 火 を おこし て 煮る だけ の 芋煮会パック という サービス も ある 。
 285方言
 286仙台独特 の 方言 として は 仙台弁 が あり 、 福島県 や 東関東 など と 同じ 無アクセント で ある こと や 、 語尾 の 「 だっちゃ 」 など が 特徴的 で ある 。
 287しかし 、 現在 で は 高齢者 を 除い て 共通語 ・ 標準語 に 近い 言葉 が 使用 さ れ 、 他地域 から 転入 し た 人々 の 言葉 が 混じっ て いる こと も 多い 。
 288ただし 、 語彙 や 表現 は 共通語化 さ れ て い て も 、 アクセント に は 元来 の 無アクセント の 影響 が 残っ て いる こと が 多い 。
 289道路
 290仙台市 と その 近隣市町村 に は 、 仙台都市圏環状自動車専用道路 ( ぐるっ都・仙台 ) が 整備 さ れ て おり 、 環状高速道路 を 中心 に 高規格道路 が 広がる 。
 291一般道 において は 、 3環状12放射状線 を 骨子 に 道路整備 が 進め られ て いる 。
 292仙台市都心部 で は 、 ほぼ 碁盤 の 目 の よう に 道路 が 整備 さ れ て いる が 、 その ほとんど の 道路 に 道路愛称 および 歴史的 な 通称 が 一般的 に 使わ れ て いる 。
 293歴史的町名活用道路 に は 、 辻標 や 通り看板 を 設置 し て いる 。
 294観光地
 295「 杜の都 」 と 呼ば れる 仙台 に は 、 名所 や 旧跡 、 景勝地 が ある 。
 296また 海の幸 ・ 山の幸 に 恵まれ て おり 、 美味しい 料理 を 味わう こと が 出来る 。
 297市内観光 に は 市交通局 が 運行 する 、 市内周遊観光バス 「 るーぷる仙台 」 が 便利 で ある 。
 298市街地 から 車 で 30 分 も あれ ば 、 郊外 へ 出る こと が 出来る 。
 299秋保温泉 ・ 作並温泉 は 「 仙台の奥座敷 」 と 呼ば れ 、 江戸時代 から の 名湯 で ある 。
 300松島 に も 近い ため 、 観光ツアー や 旅行ガイドブック で は 「 仙台 ・ 松島 」 と 一緒 に 組ま れる こと が 多い 。
 301名所 ・ 名勝
 302仙台城址 の 整備 は 長らく 市民 の 悲願 で あり 、 現在 は 石垣 の 整備 および 、 三の丸跡 から 本丸跡 へ の 観光ルート の 整備 が 行わ れ て いる 。
 3032006 年 ( 平成 18 年 ) 3 月 に 、 本丸 に 小規模 な ガイダンス施設 「 仙台城見聞館 」 が オープン し た 。
 304仙台城 の 大手門 を 復元 し よう という 計画 も ある 。
 305現在 の 仙台城本丸 は 、 眺め は よい ものの 、 石垣 と 伊達政宗銅像 が ある のみ で ある 。
 306天守閣 は もともと ない 。
 307大手門 の 位置 に あっ た 大手門脇櫓 ( わきやぐら ) が 復元 さ れ て おり 、 これ のみ が 城らしい 建物 で ある 。
 308脇櫓 は 市民 の 間 で は 隅櫓 ( すみやぐら ) と 呼ば れ 、 これ と 大橋 が 現在 の 仙台城 の シンボル で ある 。
 309脇櫓 の 向かい に 林子平 の 銅像 と 阿部次郎記念散歩道 の 案内 が ある ( 外部リンク 「 歴史と文化の散歩道 」 を 参照 ) 。
 310隅櫓 近く の 、 東北大学川内記念講堂周辺 の 散歩道 は 快適 で ある 。
 311東北大学植物園内 に も 遊歩道 や 遺跡 が ある 。
 312公園 ・ 緑地
 313仙台市 で は 都市 の 緑化 と 緑地公園 ・ 森林公園 に 力 を 入れ て いる 。
 314平成 11 年 に は 、 市民 ・ 事業者 ・ 行政 の 協働 による 今後 の 緑づくり の 具体的施策 を 定め た 「 百年の杜づくり行動計画 」 を 策定 し 、 市街地 の 「 緑の回廊づくり 」 、 誕生 、 結婚 、 新築 など 人生 の 節目 を 記念 する 植樹 など によって 1 年 1万 本 を 目標 に 市民 による 植樹 を 進める 市民 による 「 100万本の森づくり 」 、 「 学校の森づくり 」 、 「 建築物の緑化助成 」 、 小学生向け緑化啓発サイト 「 キッズ百年の杜 」 など の 施策 を 実施 し て いる 。
 315都心部 を 囲む 水田地帯 、 広瀬川 の 河川敷 、 小さな 山 など を 含め て グリーンベルト と 見なし 、 条例 で 開発 を 規制 し て いる 。
 316生垣 に も 助成金 を 出し て いる 。
 317ブロック塀 を 減らす こと で 地震対策 と し て いる 面 も ある 。
 318これ は 1978 年 の 宮城県沖地震 の 際 、 ブロック塀 が 崩れ 、 その 下敷き と なり 多く の 犠牲者 を 出し た 反省 に 基づい て いる 。